1995年 年上の友達と旅にでる
エジプトから帰国すると世界はまた灰色にとざされてしまった。大学へ行っても日々の生活はやっぱりつまらないままだった。
それでも以前とは確実に違っていたことがある。アカンタレの泣き虫には変わりないが、私は以前は知らなかったことを
「知っている」
からだ。この世界には楽しいこともあるのだと。砂漠にそびえるピラミッドやふごふご鳴くラクダや、物語のように刺激的な世界が本当にあるのだと。遠い世界のことなんて日々の生活には関係ないが、それを知っているのと知らないのとで私の中では大違いだった。
私は知ってしまったのだ。旅の魅力を。
二度目の旅行は友人と一緒だった。
「インドに行こう。私、インドって行ってみたいねん。なんかスゴイらしいやん?」
年上の友人がそうい言うのでインドに行くことになった。
下痢の洗礼
人生二度目の海外でインドというのはヘタレな私には厳しい気がしたが、ガイドさんに張り付いていれば大丈夫だということは前回のエジプトで学んでいた。それに今回は一人じゃない。二人なのだ。友人は私より7才ほど年上の社会人。頼れるお姉さんが一緒だから怖くない!
そう思っていたのだが。
4日目のジャイプールで2人そろってお腹をこわした。2人そろって下痢止めをのみながら飛行機に乗り、次の町へと移動した。寝たら治るだろうと高をくくっていたがどんどん悪くなる。
「正露丸の効かない下痢ってあるんだねえ」
と笑っていられたのも束の間。
翌朝、友人が倒れた。
「ごめん、私アカンみたい」
えげつない下痢だった。
「ほんまアカンわ、もう駄目」
『頼れる大人』が倒れてしまって私は泡を食った。
どうしよう! どうしよう!
助けを呼ばなければ!
オタオタしながら私は走った。友人を助けなくてはと焦っていた。階段を駆け下りてロビーに飛び込んだ。白人の宿泊客がチェックアウトを済ませたところでフロントは空いていた。
が、そこで足が止まった。
『友達が病気です、お医者さんを呼んでください』って英語でどう言えばいいんだろう?
英語が出てこなかったのだ。中学高校と6年間も英語を学習していたわりにはお粗末な話である。勉強をサボっていたツケだ。エジプトでもインドでも日本語ガイドつきのパックツアーだから英語なんて話さなくてもよかったが、今は違う。ガイドさんも年上の友人もいない。私ひとりでフロントに立ち向かうしかない。
ヘタレな私はヘタレらしく叫んだ。
「へるぷみー!」
たった一言で用は足りた。
「どくたー・ぷりーず!」
お粗末な英語よりも切羽詰まった表情がすべてを語っていたのだろう。フロントマンは冷静にうなずき
「わかりました。すぐにドクターを呼びます。あなたはお友達のそばにいてあげてください」
と言ってくれた。
やがて、がっしりした女医さんが部屋に来てくれた。腹痛でのたうちまわる友人と私を見比べ、
「どうされたのですか?病状は?」
私に尋ねた。またしても英語の壁だ。聞かれていることはわかるが答えようがない。英語で「下痢」をどう言うのか知らなかった。
しかたがないのでこう言った。
「といれっと! といれっと! といれっと! めにー・たいむず!」
「そう。下痢なのね」
通じてびっくりした。英語の下手くそな日本人観光客に慣れているのだろう。
先生は友人のお尻にぶすっと一本、太い注射をぶっ刺した。抗生剤だろう。それから薬を取り出し身振り手振りを加えて説明してくれた。
「もしも吐いたらこの薬を飲むこと。吐くってわかる?『ウゲーッ!』よ。それからこっちは明日の朝のぶん。わかるわね」
わかった。覚えた。下痢は『diarrhea』で、嘔吐するは『vomit』だ!
後々、この2つの単語には何度も何度何度も! お世話、当時の私には想像すらできなかった。