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22.車椅子でエジプト旅行(3)ツタンカーメン

王家の谷

エジプト観光3日目。
飛行機の関係でこの日だけはハードスケジュールとなった。朝はなんと2時半起き! 6時のフライトでルクソールへ飛ぶ。ルクソール空港にはリフトがなかったので、スチュワードさんがU子をお姫様だっこで降ろしてくれた。

眠い目をこすりつつ、いざ、王家の谷へ!

いくら下見で「大丈夫だ。行ける」と思っていても、実際に訪れてみるとやっぱり苦労はあるものだ。王家の谷へ入るには「タフタフ」と呼ばれるチューチュートレインに乗らなければいけなかったし、遺跡の中は例外なくガタガタで、車椅子を押すにも一苦労。

U子は移動のたびに抱き上げる必要があるため、地元の男性を雇ってもらった。アフマド君という若者だ。介助についてはまったくの素人ながら、力持ちだし優しいし、一生懸命はたらいてくれた。彼がいなければほとんど何も観られなかっただろう。

ツタンカーメンの墓はアフマド君の本領発揮だった。洞窟のように狭くて急な長い階段をずーっと降りていく作り。もちろん車椅子を持って入るなんて不可能だ。私は2年前の下見のときに
「U子には無理だろう」
とあきらめていた。

ところがアフマド君は、
「行けるよ。大丈夫。だってツタンカーメンの墓だよ? 見なくっちゃ!」
U子をひょいと担ぎあげ、そのものすごい階段を、抱っこしたまま降りてくれたのだ。
……途中で落とさないかハラハラしたけど。

一番奥の玄室に着くと、アフマド君に一息入れてもらうため、私はU子を木の手すりにもたせかけて立たせた。美しい壁画の下に石棺が横たわっている。
「今もこの棺にツタンカーメンが眠ってるんだよ」
と言うと、U子はニンマリ笑った。
ニンマリと。
ただ一度だけ。

実はこのときU子は体調を崩していたのだ。ツタンカーメンの墓から出てきた時にはオシリス神のように真っ青な顔色になっていた。

さては早起きをして疲れたか。階段で緊張しすぎたのか。それとも、これがツタンカーメンの呪いというやつか!?
……なんて、冗談を言える雰囲気ではない。
それほどU子の状態は悪かった。昼前だというのにホテルへ入り、午後はひたすら眠らせた。

ミイラ!

U子は疲れが出ただけだった。あまりの刺激に身体がついてこられなかったのだろう。脳みそも興奮しすぎて何度もてんかん発作を起こした。だが幸い、危険な状態にはならず、安静にしていれば治るものだった。

翌日、たくさん眠ったU子はすっかり絶好調! 笑いっぱなしだった。
嬉しくって。
楽しくって。
車椅子からずり落ちそうなほどに笑っていた。
あんなにハッピーなU子の笑顔は、エジプトへ来てから……というより、今までの人生でも初めて見たくらいだ。
U子の笑顔に、私たちも幸せだった。

U子の体調がいいのでこの日はみんなたっぷりと観光することができた。椿はカルナック神殿の羊のスフィンクスを見て「メリーさんの羊」を熱唱してくれた。

エジプトへ行くにあたって、4才の椿にはいろいろと教えこんでいた。ピラミッド。スフィンクス。アヌビス神。アテン神。それからもちろん、ツタンカーメン。

だが、なんといっても椿の一番にお気に入りは「ミイラ」だった。図書館で借りた絵本にミイラの作り方が詳細に描かれていたのである。

死者の内臓を取り出し・・・
遺体を塩漬けにしたあと包帯で巻き・・・。

幼稚園児の教育上どうなのよ、ミイラの作り方って。

ちゃんと理解できたとは思えないが、どういうわけか、うちの4才児はミイラにはまってしまった。おかげでエジプトに着いてから毎日ミイラ攻めである。

「今日はミイラ見るの?」
「明日はミイラ見るの?」
「ミイラは?」
「ミイラは?」
「これミイラになっちゃうの?」

ミイラに憧れる4才児って、どうなのよ。

ルクソール博物館ではとうとう本物のミイラに会えることになり。
「椿、おいで! ミイラだよ!」
呼べば走っていく椿。
母親に抱きあげられて、ついに!
憧れのミイラとご対面!
「ほら、どう? 本物のミイラだよ!」
「こーわーいー!」

わんわん泣き出して、すこし、ほっとした。
こうして椿のミイラブームは終わった。

私の大好きな遺跡

ルクソール3日目は2つの遺跡を訪れた。

一つはハトシェプスト葬祭殿。壮麗でモダンなつくりの遺跡である。階段の横にスロープがあり、車椅子でも上ることができる。アフメド君が大変だったけど。

ハトシェプスト女王葬祭殿の巨大スロープ

もう一つはメディネト・ハブ神殿。こちらは一般的なツアーには組まれていないことが多い、ちょっとマイナーな遺跡である。私はここが大好きなのだ。

遺跡にもいろいろある。ピラミッドのようにその大きさで圧倒されるものもあれば、思わず見惚れてしまうほど美しいもの、崩れ果てても大きな歴史のうねりを感じさせるもの。

メディネト・ハブは、写真を撮るより壁画を観るより、まずは目をとじて耳を傾けてしまう遺跡だった。観光客が少ないせいかもしれない。

静かだった。静かで静かで。
中庭から青空が見える。
柱に囲まれた回廊。
そして、たくさんたくさんの文字。刻まれたヒエログリフ。壁一埋めつくす言葉たち。

文字は心だ。
文章は声だ。
深く深く刻まれた文字は、何千年経ってもなお、見る者に語りかけてくる。
回廊に立ち、じっと耳をすませていると、ヒエログリフの語る声が……古代人のざわめきが、そよ風にのって聞こえてくる。メディネト・ハブはそんな雰囲気のある遺跡だ。

相変らずU子は幸せそうだった。懸命に顔をあげ、目をひらいて、見られる限りのものを観ようとしている。声をあげて笑い、体中で喜びを表現した。

U子が一番喜んだのはガイドさんの解説だ。知的障害のある人や意思表示の難しい人は、
「この人は何も分らない」
と周囲から誤解されることがある。でも、何も言えなくても、黙っているだけの人でも、実はちゃんと理解していることもあるのだ。小さな子供が大人の話を意外なほど理解しているのと同じように。U子だってうまく話せないし、文字を書くことも計算することもできないが、そのくせエジプトの歴史については私より詳しいのだ。

ルクソールの現地ガイドは本物の考古学者だったから、きわめて熱心に、どこまでも詳細に解説してくれた。U子はますます喜んだ。誰よりも真剣に耳を傾けた。自分が歴史的な場所にいることを教えられ、確認することを喜んでいた。

10)奇声をあげる

エジプト6日目。カイロへ戻り、サッカラとダハシュールのピラミッドめぐりをする。

エジプトの人たちは子供が大好きだ。椿を連れているとしょっちゅう笑顔の人々に取り囲まれる。店に入ればアメやらオモチャやらオマケをもらうし、どんな怖そうな人でもとろけるような笑顔を見せてくれる。町を歩けば
「写真とってもいい?」
とカメラを向けられる。あまりにも頻繁に写真をせがまれるので、
「1枚1ドルもらおうかな」
とR子が商売を始めたくなっちゃうくらいだった(しなかったけど)。

夜は定番のナイル川クルーズ。船の中でごちそうを食べつつ、ベリーダンスショーを観るというものだ。
「ダンス!ダンス!ダンスみるの!」
わくわくしながら開演を待つ椿。だが、ベリーダンスというものはお姉さんがおヘソを出してくねくねと腰をふる色っぽいもの。あんまり子供むきとは言えない。椿は石仏のように固まっていた。

さて、このときのU子がまた大変だった。日本を出てから1週間。疲れがたまって限界に達したのだろう。ベリーダンスの音楽も身体に合わなかったとみえて、大きな発作を起こしそうな予兆があらわれた。体をつっぱらせ、キャーキャーと奇声を発する。

暴れるU子を母と私で必死になだめていると、白人の観光客が陽気に話しかけてきた。
「こんにちは!ショーを楽しんでる? 私の子供もあなたと同じように病気でね。あなたと同じように車椅子で……5ヶ月前に死んでしまったのだけれど」
おばさんはそう言って写真を見せてくれた。黒人の男の子だった。きっと養子だったのだろう。明るい笑顔の男の子。

「あなたを見るとあの子を思い出して、声をかけずにはいられなかったの。楽しい笑い声がここまで聞こえてきたわ。でも、もうちょっと良い子にしないとね。じゃあ、良い旅を!」
楽しい笑い声? U子の奇声が笑い声に聞こえたのか。発作直前の大暴れが楽しそうに見えたのか。私と母はポカンとしてしまって、何も言えずにおばさんを見送った。

余談 アナケちゃんの話

世の中には大人には見えないモノが見えてしまう子供がいるらしい。椿もそうだ。子供特有の霊感があり、幽霊のおじいさんと仲良く遊んだり、京都の骨董品市場で「お化けがいる」とひどく怯えたりした。

ルクソールに着いてから、椿はおかしな一人遊びをするようになった。どうも目には見えない「友だち」を連れているようなのだ。空想の友だちなんて珍しくもないが、椿の目にははっきり見えているらしい。会話をしたり、クスクス笑ったりしている。名前をきくと
「アナちゃんとアナケちゃん」
「わ、なんかエジプトにありそうな名前!」
ガイドのFさんが怯えていた。ていうか2人もいるのか。

気味が悪いので、R子は椿を説得した。
「エジプトの子は日本に連れて帰れないから、次の遺跡でバイバイしなさい」
そこで椿はハトシェプスト女王葬祭殿の奥に友だちを置いてきた。
「『いっしょに来たらダメなんだって』って言ったら、『じゃあ私たちも帰るね』って帰った」
しょんぼりしていた。大人たちはホッとした。

ツタンカーメン

エジプト観光のトリを飾るのは、カイロ考古学博物館だ。ここにはツタンカーメンの黄金のマスクなど貴重なものが目白押し!
椿は
「もうミイラは見ないからね!」
と宣言していたが、やっぱり何か見えたらしい。一歩、館内に入るなり
「こーわーいー!」
ギャンギャン泣き始めた。何千年も昔の古代遺物がずらりと並んでいる様子は、子供にとっては恐怖でしかないのだろう。おまけに椿には私たちの見えないモノまで見えてしまうから。何もない一点を指差して
「おーばーけーがーいーる!」
とか言うのはちょっと止めてほしい。
本気で怖くなってきたので、私は椿を必死であやした。
「ほーら、ワンちゃんだよ。可愛いでしょ!」
とアヌビス神を見せてみたりして。

そうして、ついにたどり着く。
カイロ博物館の目玉。
エジプト観光の目玉。
ツタンカーメンの黄金のマスク!
U子の大好きな『世界、ふしぎ発見!』に何度も何度も登場した、憧れの人・ツタンカーメンである。

U子はついにツタンカーメンの黄金のマスクと向かい合った。だがピラミッドの時と同じように、U子はなんにも言えなくなった。声をだすこともできなかった。U子の顔をみた母が
「あらあら、この子、泣きそうになってるよ」
と微笑んだ。

ツタンカーメンの黄金のマスクは何千年も前からずっとあって、何千年先までずっと輝きつづけるだろう。だけど長い長い歴史の中で、あの日あの時あの一瞬……あの一瞬だけは私たちのために時間を割いてくれたように思えた。ツタンカーメンはU子を待っていてくれたように思えた。

大感動の大人たちをよそに
「こーわーいー!」
相変らず目に見えぬものに怯えて黄金のマスクにに近づくことすらままならぬ椿。白目がちな顔がコワイのかなと思ってツタンカーメンの後ろに回ると、ふっと泣き止んで
「どうしてこのひと髪の毛を結んでるの?」
幼稚園児とはいえ女子である。黄金のマスクの髪型に注目していた。
「どうして、みつあみにしてるの?」
ほんとだ! ツタンカーメンの後ろ髪はたしかに三編みだ!おしゃれだね!
「かわいいね」
椿はやっと笑った。

そのあと私とU子は竹内海南江になりきって、
「そこではここでクエスチョン!」
と『世界ふしぎ発見!』ごっこをした。
どえらく恥ずかしかった。

ツタンカーメン

ホテルから見えるナイル川の夕暮れ

ガイドさん家にホームステイ

1月23日、私たちのエジプト家族旅行は無事に終了した。ここからは別行動になる。
母と妹たちは日本へ帰り、私は一人でモロッコへ向かう。今考えてみれば鬼のような所業である。当初は直行便で、ヘルパーさんにも来てもらう予定だったから、私が抜けても大丈夫だろうと気楽に考えていたのだ。U子のフライトが予想以上に大変だったから申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、今更、予定を変えられない。

エジプト観光が終わったのが1月23日。私のモロッコ行きのフライトは翌日の24日。カイロにもう一泊しなければいけなかった。ツアーはもう終了しているので、私は
「自分で安宿を探します」
と言っていたのだが、
「いや、危ないって!」「やめとき!」
母と、それに現地ガイドのFさんにものすごく心配されてしまった。私は自分で思ってるよりも頼りなく見えるみたい…うん、たしかにヘタレだけどさ。一人旅もだいぶ慣れてきたから大丈夫だよ?
しかしFさんが親切にも
「うちでよければ泊まっていいよ」
と言ってくださり、母を安心させるためにも、ご厚意に甘えることにした。

Fさんのお家はカイロでも比較的上等な住宅地にあった。シンプルできれいな真新しいマンションに見えたが、Fさんは
「家賃は日本と変わらないほど高いのに、とても人間の棲家じゃないのよ!」
と、語る語る!

新築なのに電気の通ってないコンセントがいっぱいあるとか、新品の電気製品を買っても高確率で壊れてるとか、すぐ隣にモスクがあって毎朝5時のアザーンで叩き起こされるとか。聞いてる私はおもしろかったが、旅行をするのとそこに住むのはやっぱり違うんだろうなと思った。

私が一番驚いたのは、マンションのエレベーターに乗り込み階数のボタンを押したときだ。
なんと! エレベーターが歌いだしたではないか!
「★Ш④※×М&△◎……!」
男の声で、もちろんアラビア語で、元気のいい歌声が流れはじめたのだ。
な、な、なんですかこれは!?
「何って、コーランの一説だよ」
とクールな様子で答えるFさん。
「なんだか知らないけど、動くたびに歌うんだよねー。ボタンを押しても押してもこの歌が聞こえてこない時は『あ、壊れたな』ってわかるわけ」
マンションのエレベーターにコーランを読ませる意味がわからないな。ムスリムなエレベーターは、私たちを降ろすとまたにぎやかに歌いながら下の階へと降りていった。

その夜はFさんにスーパーマーケットに連れていってもらい、食料とともにモロッコ行きに必用なモノを少し買い足した。そして翌朝は隣のモスクのアザーンで飛び起きた。ほんと、頭が痛いくらいガンガン響くな!

私はFさんにお礼をいって空港へと向かった。そして同じ頃に母からメールが届いた。
「無事に帰り着いたよ! 機内ではみんなよく寝て楽だった」
なんだかとてもホッとした。そしてこのメールを最後に夢の旅行は終わりを告げた。家族旅行は終わり……私の旅が始まったのだ。
モロッコの旅行のお話は、またの機会に。

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