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21. 車椅子でエジプト旅行(2)目指せピラミッド!

家族旅行

2007年、重度障害者のU子を連れてのエジプト行きは、当初はヘルパーさんに同行してもらうつもりだった。それで私は一人でモロッコへ寄り道して帰るを計画を立てたのだ。が、いろいろあって結局は家族のみで行くことになってしまった。

私は当時32才。アウトドアの職場でこんがり日焼けしていた。
U子は25才。体力的にも人生のピークだろうと思われた。

母はそろそろ還暦というお年頃。股関節を傷めて杖なしには歩けない障害者。とはいえ杖をふりまわしてドカドカ歩き、障害物があればブルドーザーのようになぎたおして進んでいく。スーパーマンのようにパワフルなおばちゃんなので本人はもちろん誰もそんなこと気にしていなかった。

私より2才年下で言わずとしれたツワモノであるR子は国際結婚をして、このときは台湾に住んでいた。

そしてR子の娘・椿。4才。夢はプリキュアになること。天真爛漫な幼稚園児。正直いうと、このエジプト旅行を思い出すとき誰もが
「椿が可愛かったねー!」
しか言わないというありさまである。

「女5人の気まま旅だね!」
と誰かに言われたが……気ままにもほどがあるメンバーだ。
U子の障害は一級品だし、母だって杖が必要だし、椿なんて、まだ4才。4才児を連れてエジプトへ行くのってどうなの? 車椅子を連れていくより大変じゃない? と思われるかもしれないが、この4才児がツワモノなのだ。日本語・英語・中国語を話すトライリンガル、飛行機なんて慣れたもの、グズるどころか介護を手伝ってくれる。なんでも食べるしどこででも眠る。頼もしい限りの幼稚園児であった。さすがR子の娘である。

飛行機

手配の段階でおそろしく手間取ったエジプト旅行は、ギリギリにすべてが間に合って、奇跡的に出発までこぎつけることができた。

人数も多いし、とにかく荷物が膨大だ。半分はU子の紙オムツである。スーツケース1個半くらい占めていたと思う。

飛行機はドバイ乗り継ぎのエミレーツ航空。車椅子ユーザーのU子は乗り降りだけで大騒動だ。カイロもドバイも空港職員は障害者慣れしていないうえにタラップである。タラップにリフトがある空港はいいが、田舎の空港ではお姫様抱っこで下ろしてもらうしかなかった。イケメンのスチュワードさんだったけどな!

問題だったのは、やはり長時間のフライトだ。U子は乗り物が大好きで、車も電車も飛行機も乗り慣れているし、これまでは何時間のっても平気だったから大丈夫だろうと高をくくっていたのだ。

ところがエジプトはほんの少し遠すぎたらしい。体が辛くてなかなか眠ることもできず、これまた大騒動だった。

乗り継ぎのドバイに到着すると、謎の小部屋に連れていかれた。高齢者や子供や体の不自由な乗客ばかりが集められている。
「次のフライトまでここで待て」
という。待合室というには狭すぎるし、何もなさすぎる。レストランへ行こうとしたら職員に止められた。
「ここにいてもらわないと困る」
なぜだと聞いても返事がない。職員も理由を知らないらしい。なんだこれは? 障害者保護という名の監禁じゃないか?
「お腹がすいたから食事にいく! 時間までには絶対に戻ってくるから」
と無理をいってマクドナルドへ行った。マック・アラビアはおいしかった。

エジプト到着

大騒動の末にようやくたどりついたエジプト。
出迎えてくれたのは

・スルーガイドのFさん(日本人女性)。
・カイロの現地ガイド
・現地アシスタント
・アシスタントのアシスタント(使途不明)
・空港アシスタント
・バスドライバー

総勢6人! 客より多い!
その後も常に、最低でも4人のスタッフが同行してくれた。なんとムダに豪勢な旅行であることか。

私たちが到着したとき日本人ガイドのFさんはびくりした様子で固まっていた。
「あら~車椅子なんですね」
え、まさか聞いてなかったんですか?
「ぜーんぜん!」
旅行会社のM氏はどこまでも仕事のできない男である。が、もしかしたら、障害者2人と幼稚園児というメンバーを聞いたら仕事を受けてもらえないと考えたのかもしれない。

旅行会社に組んでもらった旅程は、一日の半分が「お昼寝」に当てられていた。

午前: 観光
レストランにて昼食
午後: フリータイム
ホテルにて夕食

というのが基本パターン。普通では考えられないほどゆったりした、ムダの多い日程にみえるが、障害者と4才児のためのプランだ。これくらいでないと身体がもたない。

カイロに着いたのは昼すぎだったが、午後からもなんの観光予定もなく、日程表には
「ホテルにてごゆっくりおくつろぎ下さい」
と書かれているのみ。
ホテルでごゆっくりおくつろぎ?
試みてはみたけれど・・・じっとはしていられなかった。
「リゾットが食べたい!」
2年前の下見のときN美と見つけた絶品イタリアンの店。ふざけたロバート・デ・ニーロみたいな店員さんがいる店。家族みんなを引き連れてぞろぞろ歩いて行ってみた。
「何階?」
たしか2階だった。エレベーターで2階へ昇る。
だがそこに目指すレストランはなかった。
「3階の間違いだったかな?」
昇ってみた。
3階にもなかった。
「じゃあ4階は?」
「5階は?」
「6階は?」
全ての階を調べ、念のため1階に戻って確認したが、それでも見つからない。
「つぶれたんじゃないの?」
「そんなはずないよ。もう一度2階を見てみようか」
2階に戻ってみた。
そしたら。
「さっきと違う!」
見たことのないフロアが現れた!
一体どういうことだろう?
さっきと同じエレベーター、さっきと同じ2階のはず。
なのに。
エレベーターを降りるとすぐそこにイタリアンレストランが!
さっきは絶対に無かったぞ、なぜだ!?

狐に騙されたような気分だったが、レストランは現実にそこにある。ふざけたロバート・デ・ニーロみたいな店員さんもちゃんといたし、パスタもリゾットも相変らず激ウマだった。なんだかよくわからないが、まあ、エジプトだから不思議なこともあるんだろう。

ピラミッド

エジプト2日目。
いよいよ観光が始まった。
夢のピラミッドとご対面である。

ピラミッドの待つギザ台地まで約13キロ。私たちを乗せたマイクロバスは渋滞にもはまらず順調に走っていった。

そうして走るうちに、バスの左の窓から・・・見えたのだ。
青く霞んだ三角の影が。
「うわあ、見えた!」
母が声をあげる。
「どこどこ?」
R子が首をのばす。
現代的なビルのならぶ向こう、四角い民家のむこうに、ピラミッドの先っちょが覗いている。本当はまだ顔を見せたくないのだけれど、あまりにも巨きいので頭だけ出てしまったかのように。

最後の角を曲がると目の前に。
すぐそこに。
クフ王のピラミッドがそびえていた。
私は隣に座っていた椿にこう教えたことを覚えている。
「見てごらん。あのお山がピラミッドだよ」
まさに『山』と呼ぶのにふさわしい大きさだ。
天空を突き刺し、真昼の太陽に届くくらいの大きさだ。
これを人間がつくったのだ。
古代の人間がつくったのだ。

チケット売り場を通りぬけ、バスから降りて、いよいよピラミッドに近づいていく。
……なのだが。
予期していたとおり。
覚悟していたとおり。
地面はガタガタ。
車椅子、ガタガタ。

ギザのピラミッドは固い岩盤の上に建てられている。そのおかげで何千年も保たれているのだが、逆に言えば、この黒い岩肌を数十メートル走破しなければ真下までたどりつけない。健常者には平坦に見える岩場でも、車椅子にとっては溝や段差だらけのとんでもない悪路なのだ。ギザギザのギザ台地。
「どうします? ここから見るだけにしますか?」
ガイドのFさんに訊かれた。
「実は私、ちょっと腰痛になっちゃってお手伝いできないんです」
ガイドさん、ツアー2日目の朝にしてギックリ腰だった。厄介な客に当たってしまったことによる心労かもしれない。私はサロンパスをあげた。

どちらにせよガイドさんは介護戦力外である。大事なのはそこじゃない。私はU子に尋ねた。
「ピラミッドに触りたい?」
U子はずっとうつむいていた。障害のせいで顔を上げることが難しいから、車窓からの風景など何も見えなかっただろう。バスを降りてはじめてピラミッドに対面したが、感情を表す余裕はまだなかった。

ただ、ガチガチに緊張していた。興奮すると体中が強張る。エジプトにきたこと、ピラミッドを見られること、エジプト人のドライバーさんに抱っこされてバスを乗り降りすること。聞き慣れない音、言葉、匂い。全てのこと興奮し、緊張していたのだろう。それでも私が
「ピラミッドの石に触りたい?」
と問いかけたときは、
「うん」
小さい声で返事をした。それがせいいっぱい。でも、十分だ。
「よし、行こう!」

妹の望みを叶えるため、私とR子で奮闘したが、ギザ大地は手強くて車椅子は押しても引いても進まない。そのとき
「私も手伝います!」
現地ガイドの若い女の子・Mちゃんが手を貸してくれた。3人がかりで車椅子を持ち上げ、ガタガタの地面を乗り越えながら進んでいく。
時には後輪だけで走らせ、時には段差を越えながら。
U子はますます体を強張らせながら。
必死の思いでたどりついた。
ピラミッドのふもとへ。

夢のピラミッドを目の前にしても、U子の反応は鈍かった。身体を強張らせてうつむいたまま。
「来たよ!ピラミッド!」
顎を支えてやるとようやくニッコリ微笑んだ。嬉しくて嬉しくてたまらないのだが、嬉しすぎて現実感がなく「夢の中にいるみたいでボーッとしてた」とあとで語った。

私もなんだか不思議な気持ちだった。ピラミッドに来るのは3度目だ。
最初は一人で。2度目は友達のN美と。そして3度目は家族と・・・U子と。
母や妹たち、ちっちゃい椿まで一緒になって、ぽかんとピラミッドを見上げている。

シンジラレナイ。
ピラミッドニ来チャッタヨ!

ぼんやりしたまま
「ピラミッドは私達の夢だったんですよ」
と話すと、現地ガイドのMちゃんが、にっこり微笑ってこう言った。
「Congratulations!(おめでとう) Dream Come True!(夢が叶いましたね)」
・・・ドリーム・カム・トゥルー。
この言葉は私には縁遠いものだった。他人のための言葉だった。その言葉がMちゃんの口から出てきたことで、私はちょっとびっくりしたくらいだ。
「Dream Come True!」
ああ、そうか。夢って叶うこともあるんだ。

杖をついてでもピラミッドにのぼった母と椿。今はのぼったらダメなんじゃないかな

だが感動にうち震えてるヒマはない。歓声をあげて走りまわる椿を捕まえておくのがたいへんだったからだ。4才児にとってピラミッドはでっかい「お山」。広がる砂漠はでっかい公園みたいなもんだ。
「みんなで遊びに来れて嬉しいね!」
うん。みんなで来れて、嬉しいね。

ちなみに、オーパーツだとか宇宙人が作ったとか、好きなことを言われているピラミッド。クフ王の玄室では必ずと言っていいほどミステリアスな人々に出会う。前回私がのぼった時は、祈りを唱えつつつ宇宙人と交信を試みているグループがいた。今回のぼったR子の話によれば、
「白人のおばちゃんがものすごいエビぞりをしていた」
らしい。ミステリアスなピラミッド、私たちの夢のピラミッドは、オカルトの聖地でもあるのだ。

ちなみに、カイロ近郊にはピラミッドがたくさんある。助っ人の男性を雇ったので、サッカラでは問題なく近づくことができた。

椿を肩車しつつ車椅子を押しつつ

砂利道ではこのように前輪をあげて進みます。日本でヘルパーさんがやったらたぶん怒られるやつ

砂利はこんな感じ。

ギザのピラミッド周りも今は遊歩道が整備されて車椅子でも問題なくなった、という噂を聞いております。しらんけど。

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