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16. ネパール・インド・ガンジス川(2)カトマンズ

再びカトマンズ

帰ってきたカトマンズはやっぱり情緒ある素敵な町だった。今度こそ一人でゆっくり散策しよう!

穏やかな朝霧につつまれた寺院。歴史ある通りに立って空を見上げると、まるで魚眼レンズをのぞいているかのような屋根が広がっている。

道端にはいくつもの祠がある。ネパール人は神様とともに生きているので、神様のお家もそこらじゅうにあるらしい。花や食べ物や、ついでにゴミまで供えられている。古くなったお供えがゴミになったのか、道端のゴミが混じっちゃったのかは知らないけど。

ダルバール広場には生き神様が住んでいる。女神の化身と崇められる少女クマリである。大事な儀式をつかさどり、成長して初潮をむかえると引退して、また次の少女がクマリに選ばれる。

クマリの館を見学したとき、自称ガイドの男が「クマリに会わせてやる」言ってきた。いくらかのお金を払うと
「クマリ、お顔を見せてください!」
男は建物にむかって大声で呼んだ。

すると2階の窓際に、ひらりと少女があらわれた。6歳か7歳くらいの女の子。春風のような軽いみごなしで窓枠にとびのり、わずかに身を乗り出した。全身に赤い服を着て、あどけない顔には大きな隈取のある化粧をして。

私はあらかじめ教えられた通りにお辞儀をした。女の子はひらりと身を翻して部屋の中に戻っていった。きつい隈取に覆われてはいたけれど、子供らしい明るい顔が忘れられない。神様と呼ばれていても生身の女の子だ。これからどんな人生を送るのだろうと思った。

ラクシュミのヘンナ

以前、ネパールはどんな所かと聞かれたとき
「マイルド版インド」
と答えたことがある。インドの隣の国でやっぱりカレーを食べている、だがネパールのカレーはあんまり辛くない。ネパール人はインド人と似ているけれどもうちょっとマイルドだ。目つきもそんなに怖くないし、ボッタクリ度合いもマシ。何より優しい人が多かった。

キルティプルという街を歩いていると、高校生くらいの女の子たちが楽しそうに集まっていた。あんまり楽しそうなので声をかけてみたら
「いっしょにやる?」
「こっちにおいでよ!」
と仲間に入れてくれた。

少女たちがやっていたのはヘンナ(ヘナタトゥ)だった。植物のペーストをつかった伝統的なボディペインティングだ。
「ほら、やってあげる!」
ラクシュミ(これは苗字かも)という女の子が私の手をとり、細い枝をつかって模様を描いてくれた。

描いてもらっているあいだも、女の子たちはクスクス笑ったりしゃべったり怒ったりと忙しかった。あまり言葉は通じなかったけれど「あ、今恋バナをしてるな」とくらいはなんとなくわかった。
「アイツはべつに彼氏じゃないって!」
とか言うときの表情は万国共通だ。

一人の子が
「あなたって少しラクシュミと似てるわね!」
と言いだした。うれしかった。ラクシュミもはにかみながら
「じゃあ、私たちは姉妹ね」
と言ってくれた。菜の花みたいに可愛らしい笑顔だった。

ラクシュミは30分ほどかけて私の左手にたくさんの葉っぱや花を描いた。
「しっかり乾いてから洗うのよ」
と教えてもらったけど、私はそのあとカトマンズの宿まで帰らなくちゃいけなくて、左手をまったく使わないわけにもいかないからちょっと困った。あと、お腹をこわしてものすごくトイレに行きたかったので、ヘンナをしてもらっている30分は実は拷問であった。

夜になって、しっかり乾いたヘンナを流したら、オレンジ色の美しい模様があらわれた。憂鬱な気持ちを洗い流すと、菜の花みたいに可愛い女の子が現れたみたいに。

遺灰を蹴ちらす

ネパールではいくつかの寺院を訪れたが、最後に訪れたのがヒンドゥー教のパシュパティナート寺院だった。敷地の中にガンジス川の支流が流れており、火葬した遺灰をその聖なる川に流すという。異教徒は寺院には入れないけれど、離れた所から火葬場を望むことはできた。

聖なる河は、衝撃的なまでに真っ黒だった。水量が少ない季節なのだろう。川幅もなければ深さもない、こぢんまりとした川の水はどす黒く淀んでいる。聖なる川だと知らなければドブ川にしか見えない。むしろ、うちの近所のドブ川のほうがよっぽど清流だ。

川岸の数カ所に男性たちがあつまり、遺体を荼毘に付している。薪のはぜる音が聞こえる。もうもうとたちのぼる黄色い煙の臭いがここまで漂ってくる。

遺体を焼く係の人が淡々と仕事をこなしているのが印象的だった。遺体が燃え尽きると、寺男みたいな人が箒をもってきて灰を川へ掃き落としていった。遺体の灰も薪の燃えカスもいっしょくたに、ざっざっと箒で掃いて、真っ黒い水に掃き落としていく。

次に寺男はバケツの水をぶちまけてその場を洗い流し、それでもしつこく地面にこびりついた灰を乱暴に足で蹴散らしていた。あとには何ひとつ残らなかった。遺灰は真っ黒い水に飲みこまれ、ゴミと一緒に浮いたり沈んだりだりしているのだろう。
・・・人間はこんなにも、何にもなくなってしまうのだ。

右下に座っているのはサドゥー(修行してる人)

ついにエベレストを見る

ネパールに来てから10日。私はまだ一度もエベレストを見ていないことに気がついた。(バンコクからのフライトでチラリと見えたけど、あんなのはノーカウントだ)わざわざポカラくんだりまで足を伸ばしたのに、天気がわるくて、どっち方向にヒマラヤがあるのかすらわからないまま終わった。このまま帰国したらアホである。

一度でいいからちゃんとエベレストを見なくては!
そう思って、ネパールを出る前日ギリギリにマウンテン・フライトに参加した。セスナ機で空から山を見るフライト・ツアーだ。

少々曇っていても、雲の上に出ればそこは青空。
「世界の屋根」が広がっている。
ヒマラヤ山脈だ。
エベレストだ。
神々のおわします山だ。

神々しい山並みに「これで思い残すことはない」と思った。

私はカトマンズを出てバスに乗り、南へと向かった。
一路、南へ……インドへと。

お釈迦様のうまれた土地で

体調が悪く、憂鬱で、あんなにも怖がっていたのに。それでも私はインドに行くのをやめようとしなかった。どうしてかはわからない。とにかくネパールをバスで南下して陸路でインドに入ることに決めた。

ネパールとインドの国境近くにルンビニがある。ブッダ生誕の地だ。お釈迦様がうまれた聖地だからご利益があるだろうと思って寄り道をした。だが残念ながら、あんまりピンとこなかった。
古い地層にうっすら残る足跡を指差して、
「これがブッダの足跡だ!」
と言われても、そんなん、絶対ウソやん。

聖園のゲートをくぐって町へ戻るバス停に向かった。小さなチャイ屋でおばちゃん達とおしゃべりしながらバスを待つ。

「へーえ、日本から来たのかい」
「ルンビニは気に入ったかね」
「バス? ああ、もうじき来るだろう」
「あと5分くらいかね」

地元民のいうことだから信用して待ち続けた。
あと5分。
あと5分。
あと5分。
チリリリン、とサイクルリクシャー(自転車タクシー)がベルを鳴らして私を呼んだ。
「あんた馬鹿だなあ、バスなんか来るわけないよ。6時までで終わりなんだから」

なんだってー!
騙しやがったなー!
騒いでいたらチャイ屋のおばちゃんはコロコロ笑った。

「バザールまで行けばバスがあるかもしれない」
ということでリクシャーでバザールのバス停まで連れていってもらった。半袖で寒がっていたら、運ちゃんがぼろぼろのジャケットを貸してくれた。

ネパールの夜は早い。日が沈むと即座に夜がやってくる。電気があまりないから日没と同時に閉めてしまう店も多い。バザールも店じまいだ。つまり通勤ラッシュにぶち当たったのである。

町へのバスは殺人的に混みあっていた。どれくらい混み合ってるかって、バスの中がまったく見えないほどである。バスの屋根だけでも30人、バンパーにしがみついてる人が20人、窓枠にぶら下がってる人たちなんてもうちょっと数えきれない。

「これは乗れないなあ」
運ちゃんがぼそりと呟いたとき、救いの神があらわれた。
「君、町へいくの?」
穏やかな中年のおっちゃんだった。町内会の副会長とかしてそうな雰囲気の。彼は
「自分もバイラワに帰るところだから乗せていってあげるよ」
と言う。冴えないおっちゃんがヒーローに見えた。
だって彼は
「お金? 要らないよ。ただの人助けだよ」
と言ったのである!

常識的に考えたらちょっと危険な橋である。おっちゃんが善人である保証はない。悪巧みや下心があって近づいてきたのかもしれない。私だって幼い頃から
「知らない人について行っちゃいけません」
と親に教えこまれてきた。が、こんなネパールとインドの国境近くの村に知ってる人なんかいるわけがない。野宿して蚊に刺されてボコボコになって遭難死したくなかったら、冴えないヒーローのバイクに乗るしかなかった。

バイクは町に向かって一目散に走り出した。街灯もない田舎道だ。あまりにも真っ暗なので、バイクはちょくちょく牛やヤギの群れに突っ込んでいく。でもおじさんは慣れたもの! 器用によけて一頭も轢かなかった。

日暮れ直前のルンビニー。小僧さんも帰路を急ぐ

時折、集落を通りかかると、ぽつぽつと赤い火が見えた。電気が通っていないのだろう。暗闇に浮かび上がるロウソクの炎。家族でかこむ焚き火の炎。火とはあんなに赤く、あったかいものなのだと思った。

戦い滅ぼし、バスを焦がすのも。
人間を火葬にするのも、村の燈火も。
同じ火なのだ。
2500年の昔、ブッダとその弟子たちもああやって火を囲んでいただろうか。
夜空をみあげれば、細い月のまわりを小さな星たちが取り巻いていた。

おっちゃんは本当にタダでホテルまで送ってくれた。お礼さえも受け取らず
「じゃ、よい旅を」
と言い残し、バイクをUターンさせて町まで引き返した。彼は真のヒーローだった。

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