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18. ネパール・インド・ガンジス川(4)バラナシ

聖なるガンガー

宿をでて、熱気あふれる市場を通り抜けると、行く手に幅広い川がみえる。
午後の光をうけてキラキラ輝く。
聖なるガンガー。
ガンジス川のことだ。

「死体と汚物が並んでぷかぷか浮いている」
「あまりの汚さにコレラ菌でさえ3時間しか生きられない」
「外国人がガンジス川で泳ぐとほぼ全員が赤痢にかかる」
などなど、えげつない話ばかり聞かされていたのだが、カトマンズの真っ黒なドブ川を見た後だったので
「案外、きれいやん?」
というのが最初の感想だった。チャイ色の大河。
だけど……きれいとか、きたないとか、そんな尺度では測れないことに、やがて気がつくのだ。

ガンガー(ガンジス川)は聖なる川だ。火葬した遺灰をこの川に流せば輪廻から解脱できると言われている。そのため多くの人々が遺体を担いでやってくる。

遺体は一度ガンガーの聖なる水で清められたあと、乾かして川岸に並べられる。組んだ薪の上に遺体を置き、さらにその上にまた薪を置いて火をつける。

炎が勢いよくまわる。熱風で衣がはがれ遺体は容赦なく剥きだしにされる。いっぱいに飾られていたマリーゴールドは熱風に吹きあげられる。オレンジ色の花が散らばっていく。

炎と煙がごうごうとたちのぼる。一人の人間の体が燃やされ灰になってゆく。火葬場には絶えず煙がたちこめ、なんともいえず金くさいような臭いが漂っている。

燃え尽きるには3時間ほどかかる。誰もが無言で見守っている。煙たい風の中を犬と子供たちが無邪気に走りまわっている。

灰はガンガーへと流される。
漆黒の灰。
暗い川へと流れてゆく。

妊婦と子供と蛇にかまれて死んだ人は火葬せずにそのまま沈める習わしだ。ときどきプカプカ浮いてくる。ガンガーは死に満ちた大河である。

だが、ガンガーに満ちているのは死だけではない。火葬だけではない。

ガンガーは日常の洗濯場でもある。
世界一暗いこの川で、主婦たちはTシャツやパンツをじゃぶじゃぶと洗う。

その隣りは沐浴場である。聖なるガンガーで沐浴すればすべての罪が清められるという。そのため国中のヒンズー教徒が続々と集まってくる。
祈りを捧げる男がいる。
乳房はだけて水へもぐる老婆がいる。

そして世界一清らかなこの川で、普通にシャンプーしているおじさんもたくさんいる。雰囲気は大衆浴場である。子供たちにとってはプール代わりだ。飛び込んだり泳いだり、楽しそうに大騒ぎしている。

私たち日本人には、遺灰や死体やウンコがじゃんじゃん流れてくる川で泳いだり洗濯をする気持ちはどうしてもわからない。だがヒンドゥー教徒の人々にとって、この川の水はどこまでも神聖で清らかなものなのだ。

こうしたガンガーの営みをじっとみつめながら、水の色を表現してみようと何度思ったことだろう。だけどダメだった。たった3日や4日では、あの色を言葉にすることはできない。

黒と緑。茶色と砂色。空のブルーと雲の白。
オレンジの花。赤い顔料。泡だつ波しぶき。
混沌。
カオス。
すべての色をまぜあわせた絵の具の水入れ。
生と死。聖と俗。祈りと現実。

すべてがぐちゃぐちゃに混ざっていっしょくたに水にのみこまれ、流されてゆく。
大いなるガンガーを朝日が照らす。
そうしてまた新しい一日がはじまる。

沐浴をする人

ガンジス川の洗濯風景

インドの街角

インドの都市はどこでもそうだと思うんだけど、ヴァラナシはとにかく人口密度がハンパない! どの道もどの交差点も人でごった返し、町そのものが通勤ラッシュ時のホームみたいなものだ。

そのわりにはトイレとゴミ箱がぜんぜん無い。足りないというより、存在しない。当然のことながら道はゴミだらけ、立ちションだらけである。
「そのへんでオシッコしているおじさんを見ないで済むならお金払ってもいい」
っていう気持ちになる。
カオスである。
これぞインドである。

そんな中、牛たちは実に悠々と暮らしている。ヒンドゥー教において牛は大切にされているから、牛たちはどこでも出入り自由、好きなように歩きまわれるのだ。

列車を待っていると改札口からにゅうっと入ってきたり。
道路の中央分離帯でぐうぐう眠って渋滞を悪化させたり。
マイペースにも程がある。

ハエがわんわん飛んでる道ばたの八百屋にも牛がいた。トマト、にんじん、マメ、じゃがいも。
「何を買おうかな・・・」
と、まるで買い物客みたいな顔で物色をしている。とくに神聖とされている白い牛である。神様のお使いである。八百屋のおじさんはのんきに昼寝をしていたが、牛がカリフラワーの葉をバリバリ食べ始めたことに気づいて飛びおき、牛を追い払った。

八百屋のむこうには物乞いが並んでいる。老婆が互いのシラミをとりあっている。やせた野良犬が寝そべっている。その向こうにもまた同じような八百屋がある。さっきの白い牛がやってきて、こんどはトマトを盗み食いしはじめた。店番の少年が棒切れでひっぱたいて追い払った。神様のお使いなのに。

牛、走り回る子供、陰干し中のご遺体、観光客

牛、走り回る子供、陰干し中のご遺体、観光客。

この写真を撮った次の瞬間、牛は階段で足を滑らせてコケていた。

リクシャーの値段

町中の移動にはリクシャーを使った。簡易タクシーみたいなものだが、2種類ある。オートリクシャーは三輪バイクに座席がついたもの。サイクルリクシャーは自転車である。

私は日記にはっきりと書いている。
「サイクルリクシャーは嫌いだ」
と。
サイクルリクシャーの運転手はオートリクシャーよりも大変だ。自転車のペダルをよいしょよいしょと漕いでいくのだから。が、こちらだって手加減している余裕はないから
「20ルピー? この距離なら15が相場でしょう」
とか交渉しなくちゃならない。

でも、値切りながらうんざりするんだ。2004年当時、15ルピーといえばたったの35円、20ルピーでも45円ほど。いったい私は何を値切っているのだろう?

彼らの賃金と自分の日給とをつい比べてしまう。彼らが汗水たらして稼いだ給料と、私の退屈な一日の給料。そこには天地の開きがある。ざっと見積もっても30倍くらい違う。そんなのはおかしい。絶対におかしい。同じ人間なのに。

私はたまたま豊かな日本に生まれたから、運がよかったから、物価が違うから、違う国だから。だから仕方がない、経済ってそういものなのだ……とは、どうしても思えない。

テレビで見ているだけならそこまで考えないだろう。でも実際にサイクルリクシャーに乗ってゴミだらけの裏町を走ってみるとどうしても納得できなくなる。薄いサンダルを踏む足や、力のこもるふくらはぎを見てしまうと、どうしても罪悪感にかられるのだ。たった5ルピーを値切ってしまったことに後ろめたさを感じるのだ。
「お金って何なのだろう」

考えても仕方がないことを考えてしまうから。
憂鬱になってしまうから。
だからサイクルリクシャーは嫌いなのだ。

むきだしのインド

インドに来るといろんなことを考えてしまう。インドではすべてがむき出しだからだ。死体も火葬も立ちションも、生も死も、日本ではなるべく隠そうとするもの、見たくないものがすべて白日のもとにさらされる。

欲望をあらわにした男たちは朝でも昼でも遠慮なくシモネタをとばしてくるし、えげつないほどの金額をふっかけてくる。時には金を出せとナイフをつきつけられることもある。あちこちの壁には行方不明になった女の子の写真が貼られている。

貧しさもむきだしだ。
骸骨のようにやせ細った老婆に
「なにか食べるものをくれ。もう3日も食べてないんだ」
とせがまれる。

10才に満たない女の子がはだしで物乞いをしている。片手に赤ん坊を抱き、ボサボサの髪を振り立ててツアーの観光客にすがりつく。
「マダム、マダム、プリーズ!」

川岸でクッキーを食べていたら一つ落とした。犬に投げてやろうとしたら
「俺にくれよ」
と汚れた手がのびてくる。男は野良犬と競いあってゴミを漁っていた。

両側に物乞いがぎっしり並んだ道もあった。
「くれ。くれ」
「金をくれ」
「食べ物をくれ」
「困ってるんだ」
「死にそうなんだ」
「腹が減ってたまらないんだ」
「赤ん坊がいるんだ」
たくさんの手がこちらにむかってのびてくる。やせ細った手。真っ黒に汚れた手。あちこちが欠けている手。しわくちゃの手。どれもたくましく生きている人間の手だ。私と同じ人間の。

だが半端な同情から一人に小銭を恵むと大変なことになる。
「俺もくれ」
「もっとくれ」
「マダム、マダム!」
「もっと、もっと、もっと、もっと!」
瞬く間にぐるりと取り囲まれてしまう。まるでゾンビ映画のよう。

しかし、私は気がついた。
頭をあげていれば彼らが目に入らないことに。

物乞いの多くは背が低い。年寄りか子供か障害者だからだ。顔をあげてまっすぐ前だけを向いていれば彼らの顔は見えない。見えなければ無視することも簡単だ。相手にしなければ彼らもあきらめて寄ってこない。彼らを見なければいいんだ。

見なければいい。
見て見ぬ振りをすればいい。
だが、それでいいのかと、考えてしまう自分がいる。

考えれば考えるほど落ち込んでしまう。
ほかの旅行者はみんな楽しそうに観光を楽しんでいるようだが、私はあんなふうにはできない。
周囲のバックパッカーたちに
「深く考えるな。楽しめ。せっかくの旅なんだから」
と何度いわれても、やっぱり違うと思った。考えることが私の旅だ。考えるためにインドへ来たのだ。

……こうなることは最初からわかっていた。
むき出しの生と死を見ることが怖くて、考えることが怖くて、だからあんなにも憂鬱だったのだ。インドへ行きたいような、行きたくないような、呪われたような気持ちになっていたのだ。それでずっとお腹をこわしてた。

インドへ行かなくても、隠されたものを見つめなくても、生きていくには困らない。知らなくても何も変わらない。考えたってどうせ何もできない。頭を上げて前だけを向いて生きていけばいいのだ。そうすれば、地面に近いところで手をのばしている貧しい人たちの表情は見ないで住む。
わかってる。
それでも私は見なくちゃいけない気がしたのだ。
たとえ何もできないとわかっていても。

プージャの炎

夜のヴァラナシでプージャを見た。プージャとは、ガンジスの川辺で毎夜おこなわれる礼拝だ。バラモンたちが聖なる川に火を奉り、祈りを捧げる。

私も火のついたろうそくを川に流した。暗い水にゆらゆらと浮かぶ祈りの火。風に吹かれても消えずに漂いつづける様子は幻想的だった。

ネパールで親切なおじさんのバイクに乗せてもらったとき、電気のない村の人たちが焚き火で暖を取っていた。あの心地よい炎と同じ赤い火が、テロリストの手に渡ればバスをまっ黒焦げにする武器となり、ガンジス川では遺体を浄め、プージャでは祈りの火になって流れていく。

私たちは死んだらどこに流れていくのだろうか。ガンジス川の流れがとどまらないのと同じように、私たちもとどまることなく漂いつづけるのだろうか。

アフリカの大地では死は自然の一部であり大地に還ることだった。だがインドでは、ガンジス川のほとりでは、命は一定方向に流れていくもののように感じた。

流れていく。
流れていく。
次の生にむかって。
次の死にむかって。
これが輪廻ということなのだろうか。

夜行列車

ヴァラナシからは夜行列車でコルカタ(カルカッタ)へ向かう。この列車がインドで唯一のんびりした思い出かもしれない。

列車で日本人のバックパッカーと出会った。同い年だし話がはずんだ。K君は料理人の修行のために世界中をまわり、最後にインドを通過して2年ぶりに日本へ帰るところだという。
「ああ、もうちょっとで家に帰って明太子食べられるんだ。明太子ー!」
たまらない様子で叫んでた。福岡県民らしい。

私たちはいろんな話をしたが、自然に、ガートでみた火葬のことや、貧しい人々の話になった。
「考えようによっては、僕らの富は、便利な暮らしは、彼らから吸い上げたものだ」
K君の言葉が忘れられない。世界はこんなにも不均衡で不平等だと、富める側の痛みをもって語りあったあの夜が忘れられない。

私の席は3段ベッドの一番上だった、すばらしく寝心地がよかった。
朝はお茶の売り子の歌うような声に起こされる。
「チャイ・コフィ(紅茶、コーヒー)、チャイ・コフィ、チャイ・コフィ…」
熱いコーヒーとゆで卵を買って朝ごはん。おいしかった。

車窓にインドが流れていく。
レンガの建物や森や煙突や、田んぼやヤシの木や、犬や牛や人や、トラクターを運転するお父さんや、ピンクのサリーを着たお母さんが景色とともに飛んでいく。
窓の向こうにインドが流れていく。

マニカルニカー・ガート

私は旅をしている。
彼らも旅をしている。
みんな旅をしている。
人生を旅して、いつかみんな灰になって、ガンジス川にたどり着く。
聖なる川の彼方に流れていく。
そう思うと心が安らいだ。
なにも怖くないような気がした。

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