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9. ケニア 大自然に圧倒される

2000年 ミレニアムにふさわしい旅を

ケニアへ行ったのは2000年。ミレニアムの年である。旅行仲間であるN美と話していたら、なんだかしらないけど
「大変だ!もうじき21世紀が来てしまう!」
「今のうちにアフリカに行かなアカン!」
ということになった。なにが今のうちかはよくわらない。

当時ケニア行きのサファリツアーといえばセレンゲティ国立公園をめぐる11日間のツアーが定番だった。お値段は30万円から。だが貧乏人にそんな額は出せない。予算内になんとかおさまったのは、相場の半額のモニター・ツアーだった。
『モニター特価!ケニア マサイマラ国立保護区でサファリ8日間!』
それはつまり、普通なら11日間かけて観光するところを8日で済ませる格安ツアー、ということだ。

格安のせいかどうかはわからないが飛行機がエア・インディアだった。インドの航空会社である。機内食はもちろん
「わーい、本場のインドカレーだ!」
N美は歓声をあげた……最初のカレーだけは。
しかしケニアは遠かった。インドのムンバイで乗り換え、ケニアの首都ナイロビまで1泊2日の旅路。その間、機内にはひたすらカレーの匂いが充満していた。
「昼ごはんカレーだ」
「晩ごはんもカレーだ」
「またまたまたカレーだ」
このフライトの機内食はカレーしかなかったのである。CAさんに
「チキン・オア・ビーフ?」
と聞かれてもそれは
「チキンカレーか、ビーフカレーか?」
という選択肢でしかない。ナイロビに到着する頃には私たちの血はすっかりカレー色に染まっていた。

サファリ!

ケニアは、アフリカはすばらしかった。これまでの旅もカルチャーショックの連続だったがアフリカの場合はケタが違う。世界が違う。

宿はマサイマラ国立保護区内のキャンプ場、いわゆるグランピングだった。
「朝ごはんは庭で食べましょう」
と連れ出されたら目の前にシマウマがいた。野生動物が目と鼻の先までやってきてのんびり草を食んでいる。

ホテルの庭といってもサバンナの一部を簡単な電流柵で囲ってあるだけで、どこまでが庭でどこからが野生なのかわかりゃしない。猿などは木をつたって平気で出入りしている。シマウマの向こうにはガゼルやインパラが群れている。世界は見渡すかぎり地平線までひろがりつづけ、そこいらじゅうに動物たちが暮らしている。
「こんなん、朝ごはん食べてる場合じゃない!」
食いしん坊の私とN美が生まれて初めて食べることをおろそかにするくらい、素晴らしい環境だった。

だが素晴らしすぎるゆえに、ちょっと考えた。
「ライオンとかゾウが入ってきたら危なくない?」
電気が流れているといってもそんなに高い柵じゃない。小動物は出入り自由だ。大型動物だってその気になれば入ってこられるかもしれない。私たちの疑問に答えたのは、赤い衣を着たマサイの戦士。彼らはガードマンとして雇われているのだろう。
「俺たちがいるから心配ない。俺はライオンだって倒せる」
と槍をふりあげた。頼もしい。

それでも夜は怖かった。日本の田舎でもカエルがうるさくて眠れなかったりするが、アフリカではもっと大きくて得体のしれない動物たちが夜な夜なパーティを開いている。ぎゃーぎゃーわーわーキーキーと、騒々しいにもほどがあるし、肉食獣のワイルドな咆哮が闇に響くたびに私たちは震えあがった。
「い、いま、ガオーっていわなかった?」
「ライオンかな…」
「カバかも…」
怖くて眠れない。と思いながら寝た。

そして昼間はサファリである。ジープに乗って数えきれないほどの動物を見た。ゾウの交尾、ヘソ天で眠るライオン、恐ろしいほどのカバの群れ、神々しいキリンの親子、お尻が可愛いサイ、犬みたいな顔のハイエナ、美しいヘビクイワシ、狩りに失敗するチーター、太ももが青あざになってるみたいなトピ…

動物たちはあまりにも自由であまりにも美しく、逆トラウマになってしまい、動物園の檻に入っている動物を正視できなくなってしまった。

私はカメラ小僧なので、この頃は300ミリくらいの望遠レンズを持って旅行してた。初めて望遠レンズが役に立ったのがこのサファリだ。

「あ、人死んでますね」

サバンナから空港のあるナイロビに戻ってくると大都会に見えた。ナイロビはケニアの首都なんだから当たり前だ。交通量も多い。急に道が混みだしたなと思ったら、事故のせいだった。トラックが変な所で停まり、おまわりさんがウロウロしている。

窓から顔をだして様子をみていたガイドさんが
「あ、人、死んでますね」
そっけなく説明した。
それは
「あ、あれ、シマウマですね」
と言うのとまったく同じ口調だった。そばを通りすぎるとき嫌でも見えた。男性がトラックに轢かれてぺちゃんこになっている。布をかぶせることもなく。あたりの車はむきだしの死体のすぐ脇を通っていく。

道端では警官とトラックの運転手が話し合ってたが、やけに落ち着いていて、救急車を呼ぶといった風でもない。運転手は不満そうな顔つきだったし、警官に至っては死体よりもトラックからこぼれ落ちた野菜を片づけようとしている。

インドでは貧しい人々が生死の判別がつかない格好で道端に転がっていたりするが、ケニアではまた違う命の軽さを感じた。いや、軽さではない。死の自然さ、とでもいうのだろうか。

ナクル湖ではフラミンゴの死体をあさる死神のようなハゲコウを見た。サバンナではライオンがヌーを食べているのを見た。土産物屋の駐車場にも何かの骨が散らばっていた。

どこにでも、至る所に「死」はごろごろしていた。日本では死は不浄のものとされ、死をおそれている。だがケニアでは空気と同じくくらいありふれたものにすぎない。死はごく自然なもの、あたりまえのものなのだ。生あるものはすべて死んで土にかえり、動物たちの胃袋を通じて命は再生され、果てしのない大地を循環していく。

ツアーの人が集って何を撮っているのかと思ったら、シマウマの死骸だった。
「だって動物園じゃ死体なんて見れないよ!」
それは軽薄な好奇心ではなく、動物園では見られない自然の姿を教えられたような、おごそこかな気持ちから出た言葉だった。

飛行機の遅延

飛行機とは遅れるものだ。あんなデカイもの空に浮かべるんだから遅延くらい我慢しなければならない。そう思っていたのだが。何事にも限度というものがある。

ツアーを終えた私たちはいよいよ帰国の途についた。だがナイロビ空港のフライト掲示板には「Delay」となっていた。遅延である。通常なら変更された時刻が表示されるはずだが、それもなく、ただ一言「Delay」。

エア・インディアの職員を見つけて聞いてみたが
「いつ飛ぶかわかりませんので、待っててください」
不安にならなかったといえばウソになるが、焦っても仕方がない。なにせ日本は遠いのだ。1時間2時間遅れたところで変わらない。私たちはツアーメンバーと一緒に待合室に腰を落ち着けた。

最初のうちは楽しかった。売店をのそいたり、空港の中をあちこち見てまわったり。おやつをポリポリ食べながら、それぞれの旅の話に花を咲かせた。

ところが待っても待っても飛行機はこない。エア・インディアの職員は相変わらず
「そこで待ってろ」
というし、時折、思い出したようにアナウンスが流れても
「エア・インディアはまだ来ません」
「まだなんです」
「まだです」
「まだです」
「まだ」
「まだ」
まだまだまだまだ、で9時間も待たされた。

9時間である!

1時間2時間の遅延ならよくある。「3,4時間かかるからご飯食べてきてね」とミールクーポンを渡されたこともある、だがこのときはひたすら「そこで待ってろ」で9時間だ。空港から出ることも許されなかった。

おしゃべりな私たちもさすがに話題が尽き、最後のほうは口を開くのも面倒になって、メンバー全員でただぼんやりと座っていた。退屈を極めると人間は無言になるのだと知った。
「ただいまよりエア・インディアの搭乗を開始します」
とアナウンスがかかったときの解放感は忘れられない。ちなみに機内食はもちろん全食カレーであった。

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