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10. 激安インド旅行!

2万円でインドに行けた理由

「激安でインドに行けるんだけど、一緒にどう?」
妹のR子に誘われたとき、私はきっぱりと断った。
「夏のインドには行かない!」
「でもめっちゃ安いねんで。3万8千円で観光ガイドつき」
冗談じゃない。酷暑のインド、雨期のインドだ。またお腹をこわして死んでしまう。

「じゃあ2万でいいから!」
当時、R子は大手旅行会社で働いていた。それは社員旅行代わりのツアーだから特別に安いのだそうだ。当初R子は夫と参加するはずだったが、土壇場になって夫が仕事で行けなくなった。7月のインドについて来てくれそうな人はなかなか見つからず私に白羽の矢を立てたというわけ。
「名義変更料の2万円だけ払ってくれたらいいから!」
2万円。国内旅行より安いじゃないか。
ということで私は再びR子と旅立ち、7月のインドに降り立った。

チープ感あふれるツアー

それは安かろう悪かろうの見本のようなツアー、もはや潔いくらいチープなツアーだった。

何が酷いって、まず最初の宿がほぼラブホテルだ。ファッションホテルでもなければレジャーホテルでもない。星ひとつない、うらぶれたラブホテル。車道に面した玄関には青紫のネオンがチカチカしてて、出入り口のドアを開けたら浮浪者がごろごろ寝ている。モーニングコールが30分も遅れるとかシャワーが水しかでないとか普通にあった。

ホテルの朝食は「食糧配給」。ビュッフェとかセルフサービスなんていいもんじゃない。客は皿を持ってぞろぞろと一列に並ばされ、貧相な食事を注いでもらう。薄暗い照明といい、ホテルマンの陰気な表情といい、刑務所か捕虜収容所といった趣きだ。

このツアーでは自由時間に出会った睡眠薬強盗までチープだった。ツアーメンバーと連れ立って女4人、夕食を求めてデリーの街に繰り出したときのことだ。屋台に入るなり、うさんくさいおっさんが店主とヒソヒソ話をしていたかと思うと、
「いらっしゃい、綺麗なレディたち! 君たちは美人だから特別にチャイをごちそうしてあげよう」
と舌なめずりをせんばかりの笑顔で寄ってきた。
「この紅茶、絶対に睡眠薬が入ってるよね」
「間違いないね」
初インドのR子にまで見抜かれるくらい安っぽい手口だった。どうせならもっとうまい手を考えればいいのにと、文句をたらたらとこぼしながら店を出た。

激安とはいえツアーだから、観光だけは一応は押さえていた。ガイドに連れられてタージマハルやピンクパレスなどを見た…気がする。あまり覚えていない。

たしかアンベール城ではゾウに乗った。これだけははっきり覚えているとR子は言う。
「2人ならんで乗ったよね。私がゾウの頭側、お姉ちゃんがゾウのお尻側に座って。そしたらゾウが途中でウンコして、しっぽでパタパタ扇ぐもんだからウンコが飛んできたの! ウンコつけられた!って大騒ぎしてたやん」
ウソだ。そんなはずはない。ゾウにウンコをつけられたのはR子のはずだ。
「いや、お姉ちゃんだって!」
「R子だって!」
「お姉ちゃんがウンコつけられたの!」
私たちにはウンコ以外の記憶はないのだろうか?
……ないのである。インドっていつも強烈なことが起こりまくるから、観光なんてだいたい霞んでしまうのだ。

スコール

移動は普通の観光バスだった。普通、に見えた。ところが移動中にスコールに遭った。いかにも南国の、滝のような雨!

ジャイプールの町は一瞬で洪水になった。屋台を大慌てで片づけるおじさん、ひざまで水につかりながらバクシーシをねだる物乞いの少年、半ば沈没しながらもどうにかして走りつづけるオートリクシャー。大勢の人たちが雨宿りをしている様子をバスの窓から眺めていた。

と、
「雨だ! 雨ふってきた!」
乗客の一人が悲鳴をあげた。今更なにをいってるんだと思って振り向いたら、バスの天井が雨漏りしているではないか。激安ツアーはバスまで安いのだ。バスの中で傘をさした経験は、アフリカのローカルバスとこのインドの激安ツアーだけだ。

ツアーを離脱する

チープすぎるツアーに見切りをつけたのか、わりと早い段階から「離脱」する人が現れた。ツアー行程から離れて自由行動をするということだ。ほめられた行為ではないかもしれない。私はツアーでそんなことが可能なのだと初めて知った。

当然ながらガイドは渋い顔をした。だが結局は折れて『何が起こっても自己責任です』と一筆書けば離脱をしていいことになった。
「こんなつまらない観光やってられねーよ!」
一人が捨て台詞を吐いてバスを降りる。そのあとはもう、なし崩し。
「私も離脱します」
「僕も」
「わたしも」
我も我もとツアーを抜けていく。初日には満員だったツアーバスが最終日はガラガラになってしまった。
私たちはやや引き気味でこの状況を眺めていた。観光つきツアーに申し込んでおきながら観光放棄だなんて失礼な気がしたし、とにかく安いんだから仕方がないと思っていた。

ところが最終日、ガイドはあからさまにやる気を失くしていた。そりゃそうだろう。客はほんの数人にまで減っていたのだから。もうどうでもよくなったのか、ツアー客の女の子をナンパする始末だ。
そんなものを見せられると自然に
「抜ける?」
私とR子もそういう話になった。ツアー離脱を告げにいくと、ガイドは
「あなたたちもですか」
ため息をついたが止めはしなかった。
『私たちは観光を放棄します。この間、何があってもガイドの責任ではありません』
と念書を書いてバスを降りた。

私たちはリクシャーに乗ってメインバザールに行った。いろいろ見たはずだがインド商人に気圧されっぱなしで疲れたことしか覚えていない。結局は何も買えなかったのだと思う。あ、道端の花壇でサリーをまくしあげ、おしっこを始めたおばちゃんがいたことだけは鮮明に覚えている。

R子は相変わらず強かった。インド人にも負けなかった。果物屋台でマンゴーを買おうとしたときだ。売り子が50と言ってくるのを値切り倒そうとする。その様子が私の目には喧嘩にしか見えなかった。

売り子「50ルピー」
R子 「20ルピー!」
売り子「40ルピー!」
R子 「20!」
売り子「30!」
R子 「ダメ、20にして!」
売り子「ノー、ラストプライス、30!」
R子 「20、20、20!」

ちょっとは歩み寄れR子。
気がつけば強面の兄ちゃんたちに囲まれていた。一歩も引かない日本人を見物していただけなのかもしれないが、私は怖くて怖くて仕方がなかった。
「い、いいよ、もう30で買っちゃおうよ」
R子をひきずって逃げだした。
「あとちょっとで20ルピーになりそうだったのに」
R子はぶつくさ言っていた。

それでもたいして道に迷わなかったし、大きなトラブルもなかった。私たちは無事にツアーと合流し、日本に帰国することができたのだ。

ただひとつの問題は着替える暇がなかったことだ。着の身着のままで飛行機に乗り、メインバザールにいた時と同じ服装で家に帰ってしまったのだ。雨季のインド、ゴミだらけで、スコールのたびに下水があふれ、男たちは思い思いの場所でトイレをし、おばちゃんも街路の脇でサリーをたくしあげておしっこ始めるデリーの下町の臭いがしみついた服のまま。
「くさい! 何なのこの臭い!」
家に入ったとたん、母が悲鳴をあげた。

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