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24. ついでの旅モロッコ

入国で止められる

車椅子の妹をつれてエジプト旅行したあと、私は一人でモロッコへ向かった。「せっかくここまで来たんで」まあ、ついでのノリである。

ついでだから、モロッコについては下調べゼロの状態だった。なんの準備もしていなかった。エジプト旅行の準備に追われてモロッコどころじゃなかったのだ。ガイドブックがあるからなんとかなるだろう。

そんなことを考えていたら入国審査で止められた。
「なぜ君は一人なんだ?」
なぜ?
なぜって…なぜ?
突然の質問に答えることができないでいると、入国審査官はクソ真面目な顔で質問をくりかえす。
「なぜ君は一人でモロッコへ来たんだ?」
理由なんかないよ?
「話にならない」
係官は怒った顔で空港警察を呼び、なんと私はしょっぴかれてしまった!

逮捕ではないみたいだったけど、連れていかれた小部屋にはちょっと偉そうな人がいて、取り調べを受けることになった。
「なぜエジプトから来たんだ?」
エジプト観光をしていたので。
「なぜ一人でモロッコへ来たんだ?」
家族は帰国したので。
「だから、なぜ君は一人で来たのかときいている!」
一人で来たらアカンのか?
「普通はみんなパートナーと来るだろ。夫とか恋人とか友だちとか。君にはパートナーがいないのか?」
なんだよその心臓をえぐるような質問は!

よくわからない容疑を晴らすためにだいぶ議論をした。解放されるまでに1時間もかかった。ヨーロッパに近いこの国ではカップル文化もあり、テロ対策として一人旅の人間を怪しんだだけなのだろうが、寂しい独り者に「なぜ独身なのか」なんて聞くなよ。悪魔かよ。

フェズの迷路

以前、友達とこんな会話をかわしたことがある。
「へえ、あんたモロッコに行くの? どんなとこ?」
「町が迷路みたいにややこしいらしいよ。みんな迷子になるんだって」
すると友達は笑って言った。
「あんたはどこででも道に迷うから、おんなじやろ!」

ぜんぜん、違う!

私はたしかに迷うのが得意だ。ひょっとしたら天才かもしれない。でも、今まではどんなに迷っても平気だった。怖くなかった。なんとかなるだろうと思っていた。

だけどモロッコの迷路は、違う!

初めて訪れたモロッコのメディナ(旧市街)。
フェズ・エル・バリ。
3秒で迷子。
そのまんま餓死。

いや、それくらいすごい巨大迷路だったのだ。
まがりくねった細い道。
細くて暗くて狭い道。
両側の壁が倒れてきそう。
無数の小路が毛細血管のように入り組んで。
広がったり、つながったり、行き止まったり。
そこを大勢の人々が流れていく。
おじさんが大荷物を抱えて歩く。
子供が走る。
物乞いが座りこむ。
早歩きのおばあちゃんに抜かされる。
いっぱいに荷を積んだロバが通ると道はふさがれ、身を横にしなければ通り抜けられない。
フェズは生きて動く迷路のよう。

なんとたくさんの道だろう。
なんとたくさんの人だろう。
私は迷路にとじこめられた。
人と道とにとじこめられた。

見上げれば空も狭かった。
壁にはさまれた空を見上げると、窒息しそうな気持ちになった。
出口がなくて苦しくて、そのへんのひとに道をきいたら、たまたま絨毯屋だった。
あやうく買わされるところだった。

なんとか逃げだし、そのあとも。
迷って迷って、迷いつづけて。
ぐるぐるぐるぐる、まわりつづけて。
壁にぶつかり、道を阻まれ、それでもずんずん歩いていくと。

白いきれいな猫に出会った。
妖精のように白い猫だった。

迷子になった

迷子・道草・遠回り。
歩いたおかげでこの子に会えた。

旅とは迷うことなのだ。
旅とは歩くことなのだ。
たぶん。
きっと。

青のシャウエン

巨大迷路はもう懲りごり!
田舎へ行こう。きれいな空気を吸いにいこう。

そう思いついてバスに乗った。バスはがたごと揺れながら山道をのぼっていく。急なカーブを曲がりきると、パッ! と明るい町にでた。おとぎ話みたいに可愛い町だ。

シャウエンは、壁一面を青く塗っていることで「青の町」として知られている。
山へつづく道を登ってゆくと、町が眼下にみおろせた。 まるで絵本をひらいたように。

ときをつくる鶏の声、犬のワンワン吠える声、赤ん坊の泣き声、鍛冶屋の音、サッカーをする子供達の掛け声。
すべての音が雪をかぶった山に吸い込まれていく。
空気は静かに澄み渡る。
朝日をあびたシャウエンの町は、葉っぱのうえの水滴のように輝いている。

宿のウェイターが
「夕日がきれいだよ。見なさい、あの色を」
と空を指さした。
私しか客が居ないので、彼の仕事はヒマである。日がな一日ドアのところに突っ立って外を眺めている。
通りのむこうに広がる緩やかな谷を。

彼はこの景色を毎日眺めているのに、毎日「美しい」と思っているのだった。
毎日眺めて、それでも飽かない美しさ。
日常に感動できること。
それはとても大事なことに思えた。

陽が傾くと幻想的なシャウエンの青はさらに深みを増した。まるで深い湖のような、鍾乳洞のような、雪と氷でできているかのような、青さと……寒さ。

そうなのだ。
寒いのだ。
ものすごく。
みぞれまじりの雨まで降ってきた。
私はしっかり風邪をひいた。

港町タンジェ

シャウエンは素晴らしかったが、寒すぎた。
山はもういい。
次は海だ!

ジブラルタル海峡に面した港町・タンジェへやってきた。この海のむこうはもうスペイン。ヨーロッパである。

日程的にスペインに渡るのは無理だが
「本場に近い港町で本場に近いパエリアを食べよう!」
というわけでタンジェにやってきたのだったが。
長距離バスを降りてすぐ、目についた店で早速パエリアを頼んでみたら、意表を突いて、まずかった。あまりのまずさに、この町、もういいやと思った。
(治安があんまりよくなかったことも一因だが)

宿をチェックアウトをして、列車の時間までぶらぶらと道端の猫と遊んでいたら、
「おいでおいで、うちへおいで! 子猫がいるんだよ。見せてあげるから、おいで!」
優しいおじさんが自宅に招待してくれた。

彼はスペイン人の歯医者だった。スペイン語しか通じないが、相手がスペイン語だろうがアラビア語だろうが英語だろうが、私は日本語しか話せないんだから、どうせ同じである。

言葉はぜんぜん通じないのに、フェリックス爺ちゃんは表情豊かに、そして多弁に、故郷のスペインのことをきかせてくれた。家族や仲間の写真を見せてくれながら。
「観光するなら、やっぱりセビリアだよ!」
爺ちゃんの話を聞いているとスペインに行きたくなってきた。もうちょっと日にちがあれば行ったのだけれど。

そうして彼は冷蔵庫のありったけの食料をテーブルに並べてもてなしてくれた。コーヒー、練乳、砂糖、パン、ケーキ、クッキー、バター、ジャム、ヨーグルト。チーズにプリンにジュースまで。

最後に出てきたとっておきが、サラミだった。
「これはスペインのサラミだ。美味しいぞ!」
ナイフで切ってパンやビスケットに載せて食べた。適度な硬さと弾力があって、味は濃厚。噛めば噛むほど味のでるサラミだ。今まで食べたサラミは何だったのかと思うほど、抜群に美味しかった!

帰りぎわ。
「タンジェはスリが多いからな。気をつけて、気をつけて、気をつけるんだよ!」
言いながら、お爺ちゃんは私のポケットいっぱいにキャンディを入れてくれた。言葉も通じないのにほんとのおじいちゃんみたいな気がしてきた。

フェリクス爺ちゃんとご自慢の猫

マラケシュのジャマ・エル・フナ

鉄道で終着駅のマラケシュへ。ここは今回一番の目的地だ。どうしてモロッコに来たのかといえば、宝塚歌劇に『マラケシュ・紅の墓標』という芝居があって、その舞台背景がなんとなくよかったものだから、なんとなくモロッコに行きたくなってしまったのだ。

シャウエンが青の町なら、マラケシュは「赤の町」だ。建物が濃いピンク色に塗られている。相変わらずここにも猫が多かった。

そしてマラケシュといえばジャマ・エル・フナ! 有名な「死者と踊る広場」だ。怖い名前とは裏腹に、朝から晩まで屋台がならび、大道芸人が歌い踊り、年がら年中お祭り騒ぎをしている陽気な広場である。

むちゃくちゃ広いというわけじゃない。昼間はたいして混んでもいない。
だが日が傾きはじめると男達があわただしく働きだす。
テントが広がり、ベンチが並べられ、屋台がつぎつぎに組み立てられていく。
レストランの若い衆が店先の裸電球をまわせば、ジャマ・エル・フナに命が灯る。

ずらりと並んだ食べ物の屋台。
怪しげな商人の怪しげな露店、大道芸人をかこんで輪になった群集。
お祭りだ。
お祭りだ。
ジャマ・エル・フナはお祭り騒ぎだ。
毎日毎晩、お祭りの楽しさでいっぱいなのだ。
年がら年中、夏祭り。

まずは腹ごしらえといこう。屋台は無数に並んでいるが、同じ種類の店がかたまっていて客引きに熱心だ。しっかり食べたいならシシカバブのレストランもあるけれど、
「おいニッポン人! 食べてくかい!?」
混みあった屋台から声をかけられた。コの字型に並べられたテーブルの真ん中に調理台があり、煙がもくもくと上っている。なんの店だろう?
「レバーだよ! 臓物だよ!腹ン中でぐちょぐちょしてるやつさ。分るかい?」
陽気な店員がまくしたてる。
「そこへ座りな!」
ベンチはいっぱいだったが女の子と家族連れが詰めてくれた。出されたのはタマネギとレバーの炒め物だ。えらい真っ黒けの料理やなコレ! 目を丸くしていると、おばさんが私の反応をみて笑う。
「パンにつけて食べるんだよ」
と女の子が教えてくれる。見た目は悪いが臭みがなくておいしかった。昔、うちのお爺がつくってたレバー煮込みと似ていた。

真っ黒なお皿を平らげたら、次へいこう。物足りないならハリラ(トマトスープ)やスイーツや貝の屋台もあるが、レバーでげっぷが出そうなのでオレンジジュースを飲みにいこう。フレッシュジュースはいつでもおいしく、胃をさわやかにしてくれる。お勘定を払うと必ず果汁でぬれた小銭が返ってくる。

食べたり飲んだりしている間にも、辺りから聞こえてくる太鼓のリズムや歌声が耳を刺激する。大道芸人が稼ぎにきているのだ。早く見たくてわくわくしちゃって、本当はじっと座っているのが難しいくらいだ。ジュースのコップを飲み干すと、群集の中にとびだしていく。

さあ、何をみよう? 蛇つかいはチャルメラを吹いているし、ヘンナ描きの女たちは座り込んで観光客の腕に唐草模様を描きこんでいるし、黙々とカードを繰っている老婆はきっと占い師だろう。

いろいろな商売があったが、大きな人の輪にはたいてい音楽があった。ここではベルベルと呼ばれる原住民・遊牧民の音楽を聞くことができる。びっくりするほど素朴な楽器で草原の音楽を歌って聞かせる。
民族衣装をまとったグループが踊っていたり、家族みんなで歌っていたり。
ギター片手に漫談をしている男は、
「俺はモロッコのジャクソン! モハメド・ジャクソンだ!」

楽しかったらチップを投げる。銀のコインがころころ転がる。演奏がうまくてたくさん人が集まれば、かなりの儲けになるだろう。

だが、誰も足を止めないような芸人もいるわけで。大きな人の輪から少しはずれたところには、だいぶしょぼくれた音楽家もいた。片足のヴィオラ弾きや夫婦者のバイオリン弾き。

私はちんまりと座っている爺ちゃんが好きだった。彼は一人でやっていて、ルバーブという弦楽器をこすっているのだが、同じ音しか出せないようだ。歌もウーウー唸っているだけ。音楽と呼べるようなものではない。

それでも、この爺ちゃん、可愛いんだ。とっても可愛いんだ。
「一曲、聞かせて下さい」
と頼むと嬉しそうにニッコリ笑った。ほんわかとあったかくなるような微笑み、この爺ちゃんに会えてよかったと思うような微笑みを浮かべて、……そんでまた一音だけでウーウー唸りだした。

こちらは人気者のルバーブ弾き

こんなふうに一つひとつ書いていくときりがない。
書ききれない。
ジャマ・エル・フナの喧騒はとても書ききれるもんじゃない。
呼び声、売り声、歌う声。
怒鳴り声に笑い声。
ボンゴにギターにタンバリン。
肉を焼く音、水の音。
タバコ屋がじゃらじゃら鳴らしている小銭。
足音、靴音、猫の声。
ロバの荷車のきしみ、バイクのエンジン。

すべての騒音がすべてのざわめきが、上へ上へととのぼっていく。シシカバブの煙といっしょに夜空へのぼっていく。そうしてそのうえを、アザーンが悠々と流れていく。

マラケシュへ来てよかったと、モロッコへ来てよかったと、そう思わせてくれるのがジャマ・エル・フナだ。

サハラの音楽

ある日の夕暮れ。土産物屋の兄ちゃんと話がはずんだ。
「ベルベル(先住民)の音楽を知ってるかい?
俺達の音楽を聞かせてやるよ!」

土産物屋の2階。倉庫のように小さな部屋で音楽が始まった。
3人の若者が私一人を観客に30分ばかり聞かせてくれた。

彼らはドラマーだった。
楽器は実にシンプルで、いくつかのボンゴと銅製のカスタネット、ボールペンで棚を叩いてそれも音に加えていたくらいだ。
だから音楽もシンプルだった。
高い音。
低い音。
響く音。
切れる音。
そして・・・リズム・リズム・リズム!
楽譜なんかありはしなかった。
誰かがつくったのでも、誰かが決めた音でもない。
自然に湧きだす音だった。
とめどめない泉のように、燃え上がる感情のように、
彼らに流れるベルベルの血からあふれで音楽だった。

それはまるで会話のようだ。
一つの音に二つが答える。
高くのぼり低く沈み、問いかけ答えあって、音が音にこだまする。
語りかけ笑いさざめき、時には饒舌にたたみかけ、
情熱的に燃え上がる。

音が音が音が、音が!
腹にこたえるボンゴの振動が、部屋いっぱいに詰め込まれた銀の小物をちりちりと震わせ、私の芯も震わせて。
それでいながらその音は、2階の小部屋にいることを忘れさせ、頭上に無限の星空が広がるどこまでも広い大地に私を連れていったのだった。

若者達は演奏しながらよく笑い、歌い、掛け声を叫び、しばしば楽器をとりかえていたが、やがて彼らの音は勢いよく歯切れよく終わった。
太鼓から手を離すと彼らはまた陽気に笑いだし、ベルベル語で一気にまくしたてた。
ぽかんとしている私に気づいて、
「ごめんごめん、音楽をやると楽しくなっちゃうんだ。
俺達はこれをサハラでやるんだよ!」
と言った。

私の英語は拙くて、彼らに感動を伝えられないことがもどかしかった。
でも、たとえ言葉の問題がなくても伝えきることはできなかっただろう。
こんなふうに全身で音を受けとめたことは今まで一度もなかったから。

せめてお礼に彼の店で買い物をして帰ろうとしたら
「そんなのいいよ」
と言われてしまった。
「俺らは音楽が好きで好きでたまらないから演奏したんだ。
俺達の音楽を、ベルベルの音を、聞いてもらいたくて叩いたんだ。
俺達の文化を知ってほしかった。
それだけなんだよ!」

私には芸術とか音楽とかはよく分らない。
ただ彼らベルベルの血が、エネルギーが、ポジティブな明るさが生みだすシンプルな音は、大地から生えてくる自然の響きのようにすばらしい音だった。
一生忘れられない音だった。
それをここに書くことが、誰かに伝えることが、せめて彼らへの御礼になればと思う。

カサブランカの高級レストラン

カサブランカは都会だった。洗練された都会だった。
カサブランカに着いた夜、私はお腹がへって倒れそうだった。
だからなんにも考えず、最初に見つけたレストランに入った。

入ってみたら高級レストランだった。白人ばかりの店だった。紳士淑女がワインを飲んで、パリッとした白いナプキンを使うような店だ。ドレスコードもあったかもしれない。しまった、と思ったが、とにかくお腹が減っていた私はなんでもいいからここで食べよう思った。

西欧式の格好のいい給仕がやってきて、

「お飲み物は?」
「・・・・・・・お水を」

これほどいたたまれなかった食事はない。メニューはもちろんフランス語。どんなに睨みつけても読めはしない。なんとか見当のつく料理といえば、ミックスサラダとサーロインステーキ、それから
『グリル・サーディン』
サーディン。
聞いたことがある言葉だ。聞いたことがあるけれど・・・何だっけ?
度忘れしたけど、とにかく安い!
そのサーディンとやらとサラダを注文してみた。

運ばれてきたサラダは巨大なボールに山盛りいっぱい!
5人くらいで分けるのだろうか。
給仕が怪訝そうな顔で何か言ってくる。フランス語だけど根性でわかった。
「サーディンもごいっしょにお持ちしましょうか?」
と言ってくれているのだ。
「そうしてください」
と、返事したつもりだったけど、残念ながら伝わらなかった。
待てども待てどもサーディンは来ない。
正式な順序どおり、サラダを食べ終えるまで待つことになったらしい。
これは根性で完食せねばならぬ。

もう一度言う。
これほどいたたまれなかった食事はない。
サラダと格闘している時はあんまり必死だったので、通りすがりに
「ニイハオ」
と声をかけられて思わず「ニイハオ」って返しちゃったくらいだ。
「謝々」くらい言ったかもしれない。

20分ほどかけてボールいっぱいのサラダを平らげる。
待ってましたとばかりに運ばれてきたグリル・サーディン。
・・・イワシである。
焼いたイワシがお皿にドン!
6尾もならんで焦げていた。
当然ながら、醤油もポン酢も何もなし。

サラダでお腹がいっぱいなので、イワシは半分で勘弁してもらうことにした。財布にお金が入っていたことは本当に救いだった。お勘定をすませると逃げるように店を出た。高級レストランなんて入るもんじゃない。
カサブランカの思い出は、このイワシだけである。

さいごに

母が倒れて、介護の世界に閉じ込められたとき、よくモロッコの旅を思い出した。

今は家から出られないけれど、私はこの世界が広いことを知っている。地球の反対側には青と白の町シャウエンがあり、ジャマ・エル・フナでは毎晩お祭り騒ぎが繰り広げられていることを知っている。世界は広く、美しい。

遠く美しい世界に思いを馳せることで、閉塞感から逃れられることができた。自分だけの小さな世界に閉じこもらずにすんだ。ありがとう、モロッコ。

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