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11.東南アジア 猫探しの旅(1)マレーシア・タイ

2002年 東南アジアに猫を探しにゆく

旅の目的を設定する

その1)国境を越えよう

泣いてばかりのヘタレな私は、ちょっとずつちょっとずつ、旅に慣れていった。
たくさんの人の助けを借りて、ちょっとずつちょっとずつ、歩けるようになっていった。

自由旅行をするようになり、一人旅もクリアした。
自分で宿を探すこともできたし、言葉が通じなくてもなんとかやってきた。
同じ国に1か月滞在することもできた。
さあ、次は?
次は何にチャレンジしよう?
……次は。
国境超えだ。

私はまだ国境というものを見たことがなかった。島国・日本には陸の国境がない。空港で出国をして、空港で入国手続きをする。実際の国境は海の上で知らないうちに越えちゃっている。なんだか味気ない。
プロの旅行記にあるように
「この線の向こうは違う国!」
と地面に引かれた国境線を自分の足でまたいでみたい。
そこで
「国境を見にいこう」
と思いついた。

そんなとき妹のR子に誘われてマレーシアへ行くことになった。R子は国際結婚をしたばかり。マレーシアに住む親戚に夫婦そろって顔を見せにいくというのだが、そんなところに私はくっついて行くことになった。
「ちょうどいい!」
マレーシアは東南アジア・インドシナ半島にある。隣国タイとは陸でつながっているから、北上すればマレーシア-タイの国境を見られるはずだ。マレーシアを始点に国境越えの旅をしよう!

旅の目的その2)猫100匹の写真を撮ろう

旅には目的が必要だ、とその頃は思っていた。ただ漫然と旅行をしているようじゃダメだ。何かしっかりと目的を持たねばならぬ。それが旅と旅行の違いであり、私は旅がしたいのだ…とかなんとか。

国境越えだけじゃ目的としてはイマイチ弱い。と思ったのでもうひとつ考えた。
「猫100匹の写真を撮ろう!」
うん、まあ、アホなのである。

私は子供の頃からカメラ小僧で、学生時代にはバイトで買った300ミリの望遠レンズを振り回していた(何を撮っていたかは秘密である)。もちろん猫も好きだった。東南アジアには猫が多いことも知っている。そこで
「猫100匹の写真を撮る」
という目標をたてた。普通に観光するよりずっと楽しいと思ったのだ。

マレーシアの猫はカレーを食べる

カメラ小僧的ゲーム感覚で猫の写真を撮り始めた私。記念すべき一匹めの写真がコレだ!

へたくそ具合がよくわかる写真になってしまった。

惜しい、と私は思った。
もっとマレーシアっぽい所で猫を見つけたらマレーシアっぽい猫写真が撮れるのではないか?

そこで観光地でもあるマスジット・ジャメへ連れていってもらった。イスラム教の立派なモスクである。さすがにモスク内に猫はいなかったが、カレーを食べたそうな猫を見つけた。マレーシアの猫はカレーを食べるのか。なんとなく満足した。

数日で妹たちと別れると、私はひとりでボルネオ島へ行くことにした。その名も「クチン=猫」という名の街がある、と事前に調べていたからだ。猫に出会うのが目的の旅でこの町をはずすわけにはいかない!

私の英語が下手すぎて旅行会社で通じず、さんざんバカにされた挙げ句、飛行機のチケットをとるだけで2時間かかったなんて気にしない!気にしないよ!ちょっと凹んだだけ!

クチンは名前のとおり猫の町だった。野良猫の町だった。いたるところに猫がいた。裏路地にも店先にも、店の中にも町外れにも、ジャングルの入り口にまで猫がいた。いかつい顔のワイルドな猫はカレーなんか食べなさそうに見えた。

たった一つ残念なことは、雨季だった。毎日じょぼじょぼと雨が降ったりやんだりする。猫は雨がキライだからあまり外には出てこない。望遠レンズで遠くから狙おうにも暗くて手ブレしてしまう。私は雨にうたれて風邪を引いた。熱がでて咳がでて喘息まで起こした。
「そろそろ違うとこに行こ」
ということで引き返した。マレーシアの猫は16匹しか撮れなかった。

初めての国境超え

ボルネオ島からクアラルンプールへ戻るとすぐ、バスターミナルで長距離バスを探した。いよいよ国境を越えるのだ!

国境を越えてタイへ向かうバスは夜行の1便のみ。見た目はふつうのローカルバスだが、かつてトルコの長距離バスで大変な目に遭ったことがあるから不安で仕方がなかった。
「私の席は4列シートの最後尾か……うん? この席、なんか変だぞ?」
ほかの席は4列ずつ並んでいるのに、その席だけ1つポツンと離れている。隣には誰も居ない。というか、席そのものがない。隣はなんとトイレだったからだ。
「トイレの隣かあ、あんまり臭くないといいなあ」

だがトイレの臭いどころじゃなかった。
バスが揺れる! 揺れる!
ジェットコースターみたいに揺れる!
しがみついていないと座席から振り落とされてしまう!
夜行だから眠たいのに、うとうとしかけるたびに座席から転がり落ちるか頭をぶつけて目を覚ます。
「なんなのこのバスは!」
周りの乗客がスヤスヤ眠っているのが驚異だった。

揺れる座席と格闘すること数時間。バスはようやく国境に到着した。
「イミグレーション!」
運転手が大声で乗客を叩き起こしていく。ここで全員おりるようだ。みんなそろって寝ぼけながらフラフラと歩いていくので後を追った。

あんなに憧れた国境だが、現実はあっさりしたものだった。ただの田舎町の、そう大きくもない建物だ。やることも空港と変わらない。行列にならんで出入国書類を提出してパスポートにポン!とスタンプを押してもらうだけ。それだけでマレーシアを出国したことになる。

国境には期待したような「線」はあったのかどうか? たぶん、なかったと思う。私も他の乗客と同じように寝ぼけていたので覚えていない。

ただ、なんとなくすがすがしいような、それでいて不安定なような気持ちになった。私はマレーシアを出た。でもまだタイには入国していない。そんな宙ぶらりんな気持ち。

マレーシアでもタイでもない緩衝地帯をバスで抜けると、次はタイの入国だ。やっぱり行列にならんで出入国書類を提出してパスポートにポン!とスタンプを押すだけで終了。

国境では線こそ見なかったが、はっきりとした違いに気がついた。マレーシア出国でスタンプを押してくれたのはヒジャブをかぶったお姉さんだった。イスラム教徒の証である。

タイ入国の審査官は普通のおじさんだったが、背後にはタイ王室のカレンダーが飾られていた。優しく国民にほほえみかけるプミポン国王の写真にタイを感じた。イスラム教徒の多いマレーシアから、プミポン国王を崇めるタイに入ったのだと。

「置いていかないでー!」

入国審査場でトイレをかりて出てきたとき、大変なことが起こっていることに気がついた。

建物を出たところにバスの待機場があるのだが、私の乗ってきたバスが、この先ハットヤイまで乗せてくれるはずのバスが、エンジンを震わせ今まさに動きだそうとしている!
「待って!」
思わず声をあげたが届かない。

バスはのろのろと進み始めた……まだ私が乗っていないのに。
「置いていかないでー!」
必死に叫んだ。必死に追いかけた。だがバスは無情にもスピードを上げていく。手を伸ばしても伸ばしても私との距離はみるみる開き、 あっという間に走り去ってしまった。

「ウソやろ……」
土煙を見送りながら呆然と立ち尽くした。びっくりしすぎて涙も出なかった。国境でバスに置いていかれるなんて、こんなマンガみたいなこと、あってたまるか。

貴重品はすべて身につけているから即死することはないが、着替えなどを詰め込んだバックパックはバスの中だ。とりあえずパンツを替えられないのは苦痛だと思った。バス会社に連絡したら回収できるだろうか。いや、それよりもバンコクまで行く別のバスは見つかるだろうか。

バスの待機場にむかってとぼとぼ引き返していたら、
「何やってんの?」
声をかけられた。
「君のバスはあっちだよ?」
同じバスの兄ちゃんだった。振り向くと、私のバスがそこにいた。目の前で走り去ったのはよく似た模様の別バスだったのだ。恥ずかしくて倒れそうになった。
「寝起きでメガネをかけていなかったの」
とか言い訳をしていた。メガネなんて持ってないくせに。

運転手は、客が全員そろっているかしっかり確認してからバスを出発させた。置いてきぼりをくった客はいないようだ。当たり前である。

バスは夜明けの農村をゆっくりと走った。霧が白々とただよっている。道路沿いに立ならぶ看板はさっきまでマレー語・中国語・英語と3ヶ国語表記だったのに、今では完全にタイ語のみだ。完全にタイに入った証拠だ。

クアラルンプールを出発してから10時間。まんじりともしないうちにバスはハットヤイの町に到着した。とにかく眠たかったから、ターミナルで待機していたバイクタクシーに
「安いホテルにつれていって」
と告げると、丸いベッドと鏡の天井がある部屋につれていかれれた。ラブホテルかよ。
「別の宿を探そう」
で見つけたのは、鉄道駅ちかくの、ちょっとお化けが出そうなくらいボロボロの宿だった。お化けは出なかったけどネズミとゴキブリとあと何かわからない虫が出た。お化けのほうがよかった。

寝台列車のキャプテン

いよいよ次はバンコクを目指す。もう2回も訪れているバンコク。懐かしいバンコク。国境近くのハットヤイからは夜行列車で15時間だ。一番安い3等は椅子席だというので、横になれる2等寝台を選択。初めての寝台車にうきうきしていた。

ただ一つ気がかりなことは、隣席の人が見るからにヤバいおっさんであることだ。だいぶ目つきが座っている。変態かもしれない。変態だったらどうしよう、と思っていたらお酒の臭いがプンプンする。アル中のヘビースモーカーだった。目が座っているのはただ酔っ払っているだけだった。

ホームまで見送りにきていた家族がしきりに心配して
「おいオヤジ、ちゃんとバンコクまで行くんだぞ、途中で降りるんじゃないぞ」
とかなんとか諭している。そりゃあ、ベロベロの酔っぱらいに長旅をさせるのはさぞかし心配だろう。

息子らしき人は私にまで
「すまないがオヤジを頼む。着いたら電話をくれないか」
と電話番号を渡してきた。言葉も通じない外国人に頼むしかないなんて気の毒である。頼まれた私はもっと気の毒である。せっかくの鉄道旅行だというのに、なんで見知らぬおっさんのお守りをしなくちゃいけないのか。

沈鬱な私の気持ちなぞ気にもかけず、おっさんは
「よろしく相棒! 俺のことはキャプテンと呼んでくれ、ウッヒッヒ」
などと上機嫌に笑っている。英語が話せるうえに
「オー、ニホンジン、デスカ、コンニチハー」
挨拶程度の日本語も知っている。キャプテンは本当に船乗りだったのだろう。俺は世界各地の港に恋人がいるんだなんてしゃべっていた。

残念なことにというか予想通りというか、キャプテン・オヤジはものすごくめんどうくさいおっさんだった。起きている間はずっと飲みっぱなし。15分起きにタバコを吸いにいく。
「財布がない!」
と何度も大騒ぎする。
「あれには俺の全財産が入ってるんだ!」
周りの人たちに命じて探させ、大騒ぎしたあげくに「ズボンのポケットに入ってた」というオチ。

他にも若い車掌さんと私を見合いさせようとしたり、大声で歌いだしたり、そりゃまあにぎやかなことだった。勘弁してほしい。

うるさくてめんどうくさかったが、大きなトラブルはなかった。それどころか終始ご機嫌で夕飯をおごってくれた。いい具合に酔いが回ったようで
「もうワシ寝るから」
と7時半くらいには寝てしまった。すさまじいいびきをかきながら。

私は窓からひとりで夕暮れを見ていた。オレンジ色の夕日がヤシの森のむこうに沈むと、みるみるうちに暗闇が世界を覆っていった。

タイ人のおばちゃんたちのおしゃべりをBGMに聴きながら、私は2段ベッドの上段で眠った。2段ベッドから落ちたらどうしようと少し不安だったが、ジェットコースターみたいな夜行バスに比べたら止まってるみたいなものだったし、ガタン・ゴトン、ガタン・ゴトンという規則正しい音のおかげで心地よく眠れた。

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