18才、とりあえず泣いてた
私はなにしろアカンタレである。どれくらいアカンタレかというと、18にもなって一人ではバスにも乗れないくらい。バスの両替機の使い方がわからなからずに泣きそうになって、乗るのをやめたのだ。以来、いつも妹に付き添ってもらっていた(妹のほうが私の百倍も豪胆だ)。
そんなヘタレな私にとってはJRで20分の宝塚駅から向こうはまったく未知の世界!だというのに、いきなり東京へ行く。しかもその後はエジプトへ行くというのだから恐ろしい。猛烈にドキドキした! 怖かった。怖くて怖くてたまらなかった。伊丹空港で家族と別れたあとは頭が真っ白になって記憶にない。メモ魔の私が日記に何も書いていないのだから、たぶんずっと泣いていたのだと思う。飛行機でもシートベルトの締め方がわからなくてベソかいてたら、見かねた隣席のサラリーマンに教えてくれた。だいぶ禿げ上がってたけど王子様に見えた。
幸いにも、成田空港に着くとスムーズにツアーの人たちと落ち合うことがえきた。添乗員さんが優しく声をかけてくれたときはホッとしてまた泣きそうになった。「この人のそばにいれば死なない」と思い、ピッタリ貼り付くことを決意した。
生まれて初めて人生は楽しいと思った
エジプト旅行はカルチャーショックの連続だった。巨大なピラミッドをポカンと見上げ、サハラ砂漠の砂を眺めては「これがハッサンの駆け抜けた砂漠か」と勝手に想像をふくらませ(サマルカンドは中央アジアだからサハラ砂漠ではない)、美しいモスクの天井に感動した。控えめにいってその1週間は天国にいるみたいだった。だって、まるで現実とは思えない世界が広がっていたのだから。物語の中に迷い込んだ気分だった。
一番驚いたのはエジプトが暑いことだった! 三月のエジプトなんだから暑くて当たり前。だけど私はバカなので、日本ではまだ雪が降ってるのにエジプトは真夏、なんて信じられなかったのだ。夏服を持っていくべきか、それとも冬服か、と悩んでいたら
「じゃあ両方持っていったら?」
と母がいうので夏服と冬服の両方をスーツケースに詰めた。そしてエジプトに着いて飛行機を降りて1秒で後悔した。
「やっぱり冬服いらんかった!」
愕然とした。
「地球の裏側はほんまに夏だった!」
こうなると冬服が邪魔でしようがない。
初めての海外旅行はアホみたいに荷物が多かった。旅行経験のまったくない私は旅先で洗濯するという発想がなかった。旅行中は洗濯はできないと思いこんで日数分の着替えを持っていったのだ。十日分の着替えを夏冬で二倍、つまり二十日分の衣服をスーツケースに詰め込んでいた。それだけではない。
「服よりも水をたくさん持っていきな、あっちのは汚いから飲んだらダメ」
と悪い大人から入れ知恵され、2リットルのペットボトルを何本も持ち込んでいた。大量の服に加えて大量のペットボトル。ものすごい重量であった。
大量の荷物が仇になったのはルクソールのホテルでだった。それぞれの部屋にロフトがついている高級ホテル。ポーターのお兄ちゃんが、よせばいいのにスーツケースをロフトに運び上げてくれたのだ。階段を持ってあがるとき
「ヘビー!」
と呻いていたが当然である。私の体重くらいの重さがあるのだから。で、大の男がフウフウ言いながらやっと運び上げてくれたというのに、下ろすときには自分ひとり。持ち上げられるわけがない。
・・・どうしようもないな。
私は決意を固め、重たいスーツケースを、階段からそっと突き落とした。若気の至りの音がした。
転機
一週間あまりのパックツアーには観光から食事からぜんぶついていた。何もかもをガイドさんにお任せで私は添乗員さんのそばにピッタリ張り付いていれば安心だった。最初に決めたとおり添乗員さんの半径2メートル以上先へは一度も行かなかったし、ほとんどダニみたいに張り付いていた。
転機は最終日に訪れた。夕刻、バスがあと少しでホテルへ着くというときにガイドさんがマイクで呼びかけたのだ。
「ここでバスを降りたい方はいますか?」
何を言っているのだろうと思った。街の真ん中でバスを下りるなんて。
「ここからは一本道です。ホテルまで300メートルくらいでしょうか。ほらもう目の前にホテルが見えているから迷いようがありません。万が一わからなくなっても『ラムセスヒルトン』といえば誰でも教えてくれます。この旅行もこれで終わりです。エジプトの記念にカイロの街を自分の足で歩いて帰りたい方はいらっしゃいますか? 冒険をしてみたい方は?」
冒険!
ざわっとした。体中にながれる臆病者の血が湧きたち、全身に鳥肌がたった。でもこの鳥肌は、ずらりと並んだ制服の中に入れと言われたときの鳥肌とは正反対のものだった。武者震いだ。
自分の足でカイロの街を歩く。
なんて危険なことだろう。
そんなことをしたら死ぬ、とそのときは本気で考えていた。外国には悪い人がいっぱいいて、一人で道を歩いたりなんかしたら瞬く間に泥棒か強盗か殺人鬼か強姦魔におそわれるものだと思っていたからだ。たぶん、ツアーの人の多くがそう思っていたんじゃないかな。
「そんな恐ろしいこと!」
そばにいたおばさんが呟いた。
「降ります!」
私は手をあげた。
「やめときなさいよ!」
親切なおばさんが止めてくれたが聞かなかった。全身の血が沸き立っていた。
ひねくれ者の私の人生は退屈で、色がなく、楽しいことなんて一つもないと思っていた。でもエジプトでは違ったのだ。空は見たことがないほど青く、毎日がわくわくしていた。眠りにつくときは明日がくるのが待ち遠しかったし、朝になれば嬉しくて跳ね起きた。こんなに楽しい毎日は生まれて初めてだったのだ。
バスを降りたら私は死ぬかもしれない。でもこんな冒険は二度とできないかもしれない。これは「冒険」だ。冒険なんて本の中でしか味わえないと思っていたのに、現実でも冒険できるのだ。こんなに幸せなことはない。死んでも悔いはないとまで思っていた。私はどこまで死ぬ気だったのだろうか。
それでもやっぱり臆病者だから、初めて飛行機に乗ったときよりもドキドキしていた。座席を立って出入り口に向かうときも緊張で心臓が破裂しそうだった。バスのステップを降りるときは足がガクガクしていた。
ここから降りれば守ってくれる人はいない。
この先は自分ひとりでなんとかしなければいけない。
死ぬかもしれない。
いや死んでもいい。
18歳のアカンタレは勇気をふりしぼって最後のステップを降り、カイロの街に降り立った。おそろしい瞬間であった。
「私もいく!」
背後から声がして女の子が追いかけてきた。母親と来ていた子で、年が近いために仲良くなっていたのだ。私たちは2人で死ぬのだと思った。2人できゃあきゃあ言いながらバスを降りた。
バスを降りた瞬間に死ぬくらいに思っていたが、カイロの歩道に立っても案外すぐには死ななかった。当然である。
「じゃあ気をつけて。ホテルで待ってまーす」
ガイドさんの言葉だけを残しバスは去っていった。
私たちはカイロの喧騒の中に、エジプトの砂埃の中に、広い世界の中にポツンと取り残されてしまった。すでに後悔しまくり心細かったので泣きたかったが年下の友達の前では泣けなかった。
「どうしようか」
と相棒は言った。どうしようも何も三百メートル歩いてホテルへ向かうだけである。バスを降りたのは10月6日橋のたもと。ナイル川にかかる大きな橋で、渡った先にはホテルがある。たったそれだけのことだ。普通に歩けば5分とかからないだろうに、死ぬ死ぬと思っていた私たちには橋を渡ることがとてつもなく恐ろしく感じられた。
ナイルの川風になぶられながらしばらく立ち止まっていると
「ハイ、ジャパニーズ!」
声をかけられた。びくびくした。観光用の馬車が路傍に停まり、御者台ではおじさんが手綱をとっていた。
「馬車に乗らないか?」
なまりのきつい英語だったが言ってることはわかった。
「どこにいくの?」
ラムセス・ヒルトン。
「なら馬車で行くといい。さあ乗って乗って!」
アホな私は助かったと思った。相棒は何か言いたげだったが私は無視した。馬車に乗るという興奮と、誰かに案内してもらえる安堵感が大きかった。
私たちは御者台にひっぱりあげられた。
ぱかぽこ、ぱかぽこ、馬車はゆっくり走った。おじさんは上機嫌でよく笑い、馬の名前を教えてくれたり、私たちに手綱をもたせてくれたりした。機嫌がいいのは当たり前だ。カモを捕まえたのだから!
馬車に乗る前にお金の話はしなかった。タダだと思っていたわけではないが値段交渉などしなかった。降りるときになって「三十ドルだ」とふっかけられた。高い!と思ったが仕方なく払った。ホテルまで生きて帰れたのだから安いものだ。
これが私の人生最初のボッタクリ経験である。