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20. 車椅子でエジプト旅行(1) 下見の旅

U子を連れてエジプトへ

「妹と一緒にエジプトに行きたい」
そんな夢をみはじめたのはいつからだろう?…あ、妹といってもR子ではない。あんなタフなやつはその気になればいつだって行ける。私たち三姉妹の末妹、U子のことだ。

U子は身体と知能に重度の障害をもってうまれてきた。生活のすべてに介助を必要とする体だ。歩くどころか自力で起き上がることさえできない。もちろん車椅子生活でオムツをつけている。

言葉も30語ほどしか話せないし、読み書きもできないし、口まで運んでもらわなければ食べられない。手も、棒きれのような腕にぎゅっと握った拳がついているばかりで、ほぼ使い物にならない。身長は私たち姉妹の中で一番背が高いくせに体重は30キロぽっちしかない。

それでもU子は幸せに暮らしていた。と、思う。本人に聞かなければわからないけど。母が「お出かけは最高のリハビリ!」をモットーに育てたせいで、とんでもなく遊び好きの障害者に育ちあがったのだ。映画館、温泉、カラオケ、外食。週末ごとにヘルパーさんと遊びに出かける。良いご身分だ。

そのうえ母はU子を旅行につれまわした。国内はもちろん、アメリカやグアムやオーストラリア(これはR子の結婚式だった)、知的障害者のツアーでバリ島まで行った。そういう下地があったので、エジプトへだって行けるじゃないかと私は考えた。

なぜエジプトなのかというと、U子は『世界、ふしぎ発見!』というクイズ番組の大ファンなのだ。毎週ぜんぶ録画して毎日見返すほどのマニアである。『ふしぎ発見』といえばエジプトだ。実際にエジプトへ行って本物のツタンカーメンの前で
「それではここでクエスチョン!」
とやりたいかどうかを尋ねたら、U子は大興奮して
「うん!」
と答えた。
決まりである。U子をつれてエジプトへ行こう!

2005年 下見

が、問題がある。
実際に行ったことがあるからわかるんだけど、エジプトはどう考えても障害者むきの旅先とはいえない。砂漠に車椅子はどう考えてもツラい。私とU子の前には大きな大きな障壁が立ちはだかっていると言えよう。

そこで下見をすることにした。
「U子を連れて行けるか行けないか、実際にエジプトへ行ってたしかめてみよう!」
下見の旅に出かけたのは2005年のこと。ケニアに一緒にいったN美が、また安いツアーを探して同行してくれることになった。

12年ぶりのエジプト!

18才のとき、初めての海外旅行でどきどきしながら観光バスを下りてから12年が経った。私ももう三十路に差し掛かっている。なかなか感慨深いものがある…あれからいろんな旅をして、私もずいぶん、ふてぶてしくなったと。

12年前、初めてツアーを離れてカイロの街角に立ったときは、周りは悪い人ばっかりですぐに殺されるんじゃないかと本気で思い込んでいた。

ところが今や、世の中にはいい人がたくさんいることも知っているし、悪いやつほど優しい顔で近づいてくることも覚えたし、お財布とパスポートさえ安全ならどこへでも行ける自信ができた。まあ、私もおばさんになったということだ。

そのせいか初回とはまったく違う目線でエジプトを楽しむことができた。
一番感動したのは壁画にびっしりと書き込まれたヒエログリフだ。

墓の内部も棺も神殿の壁も埋め尽くす絵文字・・・古代の人々の「言葉」。
言葉は人の心を直接伝える道具である。たとえ形式的な文書でも、天国へいくための呪文でも、その役割は変わらない。文字は彼らの声を伝える。すべてが砂に埋もれ、人々が死に絶えても、石に刻まれた文字は話しつづけている。

時には大きな声で、時にはひそひそ声で。
古い古い彼らの言葉で、昔むかしの彼らの声で。
低周波の超音波みたいに、耳には聞こえないけど確実に話し続けている。
3千年たった今でも尚。
そしてこれからも永遠に。

犠牲祭

下見では自由時間の多いツアーを選んだ。安いからというばかりでなく、車椅子の入れそうな遺跡や店を探すのに都合がよかったからだ。私とN美はタクシーをチャーターして遺跡をめぐり、カイロの街歩きを楽しんだ。ハードな旅が続いていた私にすればのんきで気楽な旅行だった。

予定外だったのは、犠牲祭にぶち当たっていたこと。犠牲祭はイスラムの大きな祭で、羊や牛を解体してごちそうを振る舞うというイベントだ。兵庫県の一部では春になるとすべての家でいかなごを炊いて街中にいかなごの匂いが漂うが、それの生肉解体版といったところ。

ガイドさんが楽しそうに言った。
「ヤギや羊の解体が街中どこででも見られますよ!」
絶対に見たくないです!

町をあげてのお祭りは午前中に終わるということなので、その時間帯は市街を離れ、ピラミッドを見に行くことになった。解体ショーが終わってから戻ればいい。

おかげで解体そのものは見ずに済んだ。が、ちょっと下町を歩けばそここに解体の名残りが転がっているではないか。血まみれの何かだったり、ネパールでおなじみのヤギの生首だったり、まあ、なかなか凄惨である。
「牛のひらき…牛のひらきが干してある…」
N美は蒼白になっていた。壮絶な臭いにやられたのだろう。私は鼻がわるいのでわりと平気だった。

肉の匂いがするせいか猫たちがウロウロしていた

下見のチェックポイント

犠牲祭をのぞけば楽しくのんきな旅だった。が、私にとってこの旅のメインはあくまでも「下見」である。車椅子の重度障害者・U子を連れてくるための下見。

どの遺跡なら車椅子が入れるか?
ピラミッドは車椅子で近づけるか?
博物館の段差はどうか?
ホテルは使えるか?

もちろん、詳しい人に聞いたら教えてくれるのかもしれない。でもそれでは十分ではない。旅行会社のひとはU子のことを知らないし車椅子にも慣れていないから、U子にとってこの段差を乗り越えられるかどうかなんて、わかりようがない。

実際にこの目でたしかめた私は「なんとかなるんじゃない?」という結論に達した。

考古学博物館はほぼバリアフリー。
ホテルもラムセス・ヒルトンなら大丈夫。バリアフリールームじゃなくてもU子なら使えるレベルだ。
ピラミッドはむちゃくちゃ大きいから、どこからでも、車からでも絶対に見える。
ルクソール神殿もカルナック神殿も、多少の段差はあるものの、越えられないほどではない。
ハトシェプスト女王葬祭殿なんて大きなスロープがついてるし、メデイネト・ハブは美しくて気持ちのいい遺跡だからU子はきっと気に入るだろう。
王家の墓も、スロープになっている墓を選べば入ることができる。ラムセス4世と9世の墓なら大丈夫。

カイロでは美味しいイタリアンのお店を見つけた。
「あの店員さん、ふざけたロバート・デ・ニーロみたいだね!」
とN美がいった。店員はふざけた顔をしているが、リゾットが絶品で、ホテルのすぐ隣りだから車椅子でも余裕で行ける。ここは掘り出し物だ! U子も母もエジプト料理は口に合わないかもしれないから、そのときはこの店に食べにこよう。
そんなふうにメモをつけて観光していた。

車椅子旅行の手配がギリギリすぎた

「今年こそU子を連れてエジプトに行くぞ!」
と決意表明をしたのは、下見から2年後の2007年のこと。お金を貯めるのにそれくらい時間がかかった。

重度障害を連れての旅だからパックツアーはまず無理だ。旅行会社に頼んで、航空券にホテル、ガイドなどを組んだオリジナルツアーを作ってもらおう。

もちろん私が旅行会社の手配をしようと思っていたのだが
「車椅子に慣れているところがいい」
と母が言いだした。
「大手から独立した専門の会社があるのよ!Mさんはよく知ってる人だから大丈夫!」
それでMさんの会社に頼むことになった。

ところが!
これがとんでもないことになってしまった!
あまりにも大変だったので今でも悪夢に見るくらいだ。
思い出すのもしんどいから箇条書きにしていこう。

・ 出発3ヶ月前に「エジプト航空の直行便」で確約。
・ なぜか1ヶ月前にようやくフライト時刻が判明
・ 数日後、担当のM氏から電話があったが出られず。「また電話します」と留守電にメッセージが。
・ 何度かけ直してもM氏は常に不在。何時でも不在。
・ M氏からの連絡はいっさいナシ
・ ようやく連絡がとれたのは10日後。
・ 「10日前に電話を頂きましたが?」
と尋ねたところ
「すみません、フライトがとれませんでした」

フライトがとれませんでした、だと? 確約どこいった?

この時点で出発の20日前。
3ヶ月も前に申し込んだというのに、いまさらフライトが取れないって、どういうことだー!
そんな重要な話なのに10日間も連絡をよこさないとは(FAX連絡すらなかった)何を考えてるんだー!

「それが、席を大手にぜんぶ取られてしまって。うちは小さい会社なので弱いんです」

知るかー!と思ったが、怒っても仕方がないので
「なんでもいいから早くフライト取ってください!」
妥協して妥協して、日程を変更までして!
ようやくドバイ経由のエミレーツ航空が取れたとFAXが来た。

ところで、私はエジプトのあと一人でカサブランカまで行く予定である。
「カイロ-カサブランカ間」の往復チケットが2万円と聞いて手配してもらっていた。
ところが、留守のあいだに送られてきたFAXを確認したところ、カサブランカの出発の日にちが間違っているではないか。
乗れないよこんな飛行機!

この時点で12月29日の夜。
年末である。
電話をしたら
「本年の営業は終了しました。
来年は1月9日からとなります」

11日間も休むのかー!

担当者M氏の自宅に電話攻撃。

休日出勤させて日にちを変更をしてもらった。
しかし回答がきたのは週明けだった。
日本-カイロ-カサブランカ-カイロ-日本
チケットの確認ができてやっと
「完璧!」
と胸をなでおろしたのは1月10日。
出発の5日前である。

そのとき私はハタと気がついた。
「お金、払わなくていいんですか?」

頼んでいたのは航空券だけじゃない。
エジプトのホテルもガイドも全部ひっくるめて頼んでいる。
(航空券以外は問題なかった)
5人分だから100万を越える額になるはずだったが、見積もりを口頭で聞いていただけで、詳細も振込先もなーんにも送ってよこさない。
お金、いらないのか?

「今すぐ請求書をFAXしてください」
と言ってようやく請求書がきたのが、1月11日。
エジプト出発まであと4日!

送られてきた請求書を見て、またしても驚いた。航空会社を変更したため全体的に高くなっているのだが、2万と聞かされていたカサブランカ往復のチケット代がなんと8万6千円になっていたのだ。4倍以上の値段である。
理由は
「2万円はエジプト航空の乗り継ぎ便の値段だったんですよ。
こんなに高いなんて、ぼくも今日知ったんです」

その場に私自身がいなくてよかったと思う。
怒りのあまり何をしでかしたかわからない。
カサブランカ往復のチケットはキャンセルし、その日のうちに別の旅行会社から手配しなおした。少し安く買えた。

手配旅行だからツアーみたいに確固たる契約書はなかったし、こちらも呑気すぎたと思う。
それにしても、あまりのいいかげんさ、誠意のなさに、びっくりするやら呆れるやら。
怒り心頭。
もう一生、この旅行会社は使わないだろう。

「すみません、なにぶんうちは小さな会社なもんで」
M氏は二言目にはそんなふうに言い訳をしていた。
小さくてもしっかりした会社だって多いはずなのだが。
これがトラウマになり、2013年にウィーンへ行くときには「大きな会社に頼もう」と思うようになった。

さあ、こんな頼りない極みの手配でちゃんとエジプトへいけるのか?
モロッコにはたどり着けるのか?

・・・それは行ってのお楽しみだ。

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