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14. ウズベキスタン(2)

サマルカンドの赤いばら

ブハラで2泊したあとはまた次の町を目指す。

が、その前にちょっとしたアクシンデントがあった。旅行会社に車の手配を頼んだと話したら、泊まっていた宿の女将に必死で止められたのだ。
「あいつは有名な悪徳業者だよ!」
忠告してくれたのはブハラの名物女将ファティマだった。
「外国人に睡眠薬をのませて財布を奪う強盗なんだ。これまで何人の旅行者が泣かされてきたことか。私が断ってあげるから車はキャンセルしなさい」

女将のファティマは私を救ってくれたばかりか、かわりの宿と車まで手配してくれた。車というのはバングラデシュ人のツアーバスだ。ツアーの相乗りというわけで、なかなか楽しい経験だった。ローカルバスと違ってちゃんと走る綺麗なバスだし、途中で観光地にも寄れたし、大金持ちのバングラディシュ人とも話ができたし、車酔いするバングラディシュ人に酔い止めをプレゼントすることもできた。

目的地に着いたのは午後7時。夕日が沈む頃だった。バスの運転手が立派な銅像を指さして
「さあ、ここがサマルカンドだ! あれが偉大なるティムール像だよ」
と教えてくれた。高校の教科書に1行だけ書いてあったティムール帝国の王。
……来たよティムール。私はついに来た。
憧れのサマルカンドに。

女将が手配してくれた宿から5分も歩けば、サマルカンドの象徴であるレギスタン広場に出る。

美しい、それはもう言葉をうしなうくらい美しい広場だ。広場の三方を囲むマドラサ(イスラム神学校)。おそろしいほど精緻な幾何学模様の屋根の真ん中を、青一色の空がぶち抜く。どんな海よりも青いアムダリヤ川の青の色。青の都サマルカンド。

これこそが15年間ずっとあこがれていた景色だった。ヘタレで泣き虫な私は、ひたすらこの景色のために、エジプトから始まるいくつもの旅に挑戦してきたのだ。お腹をこわして死にそうになったのも、たくさん道に迷ったのも、怖い思いをしたのも、すべてはこのサマルカンドの青い広場を見るためだった。

朝焼けも夕暮れもお尻が痛くなるまでぼんやり座って眺めていても、けして見飽きることはない。もう10月だったが花壇にはバラの花が残っていた。本物の「サマルカンドの赤いばら」だ。

私の中で何かが終わった気がした。これで私の旅は達成された、とも思った。
もちろん行きたい国はまだまだたくさんある。だが、これほどまでに恋い焦がれる場所へ行くことはもう二度とないだろう。地名を耳にするだけで旅に出たくなるような、居ても立ってもいられなくて日本を飛び出してしまうような、そんな気持ちを味わうことはもうない。ため息のでるような、それでいて叫びたくなるような達成感を味わえる旅ももうないだろう。
15年かかった私の旅がとうとう終わったのだ。
そう思うと寂しかった。泣きたいくらい寂しかった。

ティラカリ・メドレセの屋根

再会

私の旅は終わったのだと感傷にひたってみたりしたが、よく考えてみればまだだった。私の旅はぜんぜん終わってなんかいなかった。日本へ帰る前に、ぜひとも行かねばならぬ場所がある。

翌日、私はタクシーをチャーターして
「シャフリザーブスへ行ってくれ」
と頼んだ。運転手は気をきかせてあちこち観光地をまわってくれようとしたが、私はそれを止めて
「バザール(市場)へ行ってほしい」
と伝えた。
運転手は
「市場で買い物でもするのかい?」
怪訝そうに聞いてきた。
「会いたい人がいるのよ」
と私は答えた。

バザールは思ったより広かった。そこいらじゅうに野菜やら果物やらチーズやら、商品が地面に敷き詰められている。踏まずに歩くだけでも一苦労。
ここだ。ここにいるはずなんだ。
「月曜日までシャフリザーブスの市場にいる」
と言っていた。今日はもう月曜の朝だけど、午後のバスに乗るギリギリまで彼女はきっと商売をしているはずなんだ。

バザール中を歩きまわってようやく穀物売り場を探しあてた。
「おい、日本人! おれだ!」見覚えのある顔が遠くから声をかけてきた。バスでお世話になったおじさんの一人だ。
「こっちに来い!」
ついていくと、米の袋をならべたテントの下にシャハラーおばさんがいた。
「シャハラーーー!」
「おしーーーーん!」
私たちは手を叩いて喜びあった。
バスで一緒だった人たちが集まってきて、
「おしん、よく来たなあ」
と口々に喜んでくれた。本当に、たった2日前に別れただけなのに旧友に会ったような懐かしさだった。

私は用意していたプレゼントをひっぱりだしてシャハラーに渡した。お世話になったお礼だ。でもシャハラーはこんなもの見たことがなかったから、ぼろぼろになった『地球の歩き方』をひっぱりだして説明した。
「バス、寒い。これ、あたたかい」
プレゼントは携帯用カイロだ。
「これ、24時間、あたたかい。一日だけ、あたたかい」
ひとつ開けて実演した。カイロが熱くなってくるとシャハラーはものすごく驚いて
「ラフマット、スパスィーバ!」
ウズベク語とロシア語の両方で感謝を伝えてくれた。

それから私たちはチャイハナ(喫茶店)で食事をした。串焼き肉とスイカをごちそうになった。シャハラーはあのバスの中で
「うちに来たらおいしいスイカをごちそうしてあげる」
と言ってくれたから、約束を果たしたことになる。肉もスイカもとびきりおいしかった。
外国人が珍しいのか話しているうちにどんどん人が集まってきた。まるで私はパンダになった気分だ。質問されるたびにシャハラーは
「バスの中で知り合ったの。日本人よ」
と何度も何度も説明していた。ちょっぴり得意げに。
そのうちチャイハナが黒山の人だかりになってしまい
「どこかよそでやってくれ!」
と店主から怒られてしまった。
シャハラーはさかんに「うちに泊まっていけ」と言ってくれたけど、私は日本へ帰るために先を急がなくてはいけなかったので、惜しみつつ別れた。

シャハラーとはもう二度と会うことはないだろう。でも、言葉がまったく通じないのに優しく守ってくれた人たちのことを、私は二度と忘れないだろう。

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