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15.ネパール・インド・ガンジス川(1)チトワン

2004年あてのない旅 ネパール・インド(1)

旅行は楽しいものだ。たとえ体調を崩してもボラれても嫌なことがあっても、帰国すればすべてが楽しい思い出になる。

……という、わけではない。

ぜんぜん楽しくない旅もある。「楽しくないのにどうして行くんだ」と問われても答えるのが難しい。自分でもわからないけれど、まるで磁石が勝手に動くみたいに、どうしても惹きつけられてしまう旅があるのだとしか。

それは呪われたような旅だった。最初から最後までずーっとお腹をこわしっぱなしで体調が悪かった。ごはんもあまり食べられなくてずいぶん痩せた。体調が悪いせいで心のバランスまで狂ってしまい、憂鬱が止まらず、メモ魔の私が日記もろくに書けないくらいふさぎこんでいた。これっぽっちも楽しくなかったのだ。

でも、そんな旅でも、私にとって大事な、そして必要な旅だった。
苦い薬のような旅だった。
なぜ旅をするのかという問いかけの旅だった。

どこへ行くのか

念願のウズベキスタン旅行を終えた私はぼんやりと帰宅した。サマルカンドで赤いばらを見たとき「これで終わった」と思った。何かが燃え尽きてしまった気がした。

だが旅をやめることはできなかった。一種の中毒なのだろう。仕事が休みになると、どこかへ行きたい、日本をぬけだしたいと、いてもたってもいられない気持ちになる。長期休暇をもらえる2月に入ると追い立てられるように飛行機にとび乗った。

いそいそとバンコクまで来たのはいいが、さていったいどこへ行こうというのか。なにをしに、なにを目的に旅をしようというのか。もうあこがれのサマルカンドは済んでしまったというのに。

こうなると本当に旅に出たかったのかどうかさえ疑わしい。旅が好きなのかどうかもわからなくなった。

カオサン(安宿街)のおんぼろベッドにごろりと転がって考えた。
私は本当は、旅好じゃないんじゃないだろうか?
本当は、旅なんかに出たくないのじゃないか?

少なくとも旅に向いてないだろうと思う。だからどこへ行ってもお腹をこわすし、どこへ行っても道に迷う。私みたいなヘタレはおとなしく日本にいればいいのじゃないか。

いくらか慣れたとはいえ私は相変わらずの泣き虫のヘタレであった。その証拠に旅立ってすぐにおなかが壊れた。おなかは「日本に帰りたい」って言ってるのかもしれない。自分の部屋にひきこもって本でも読んでいたいのかもしれない。学校に行きたがらなかった子どもの頃のように。

なんてアホなことを考えていたのだろう!

インドに行きたくない!

行きたい所も目的もないなんて真っ赤な嘘。その証拠に私は出発前にインドのビザを取得していた。インドに行ってガンジス川を見たかったのだ。

でも勇気がなかった。
怖かった。
インドだけは怖かった。
だから自分に嘘をついていたのだ。

インドはそれまでにも2度、ツアーで訪れていた。一度は友人がおなかをこわしてお医者さんを呼ぶはめになった。2度目はR子と激安ツアー。3万円くらいのツアーで、なんかいろいろむちゃくちゃだった。

ぜんぜん知らないわけじゃなく、半端にかじっているからこそ怖いのだ。インドのおそるべき生命力、圧倒的なエネルギー。ゴミだらけの町、隙あらばむしり取ってやろうとするデリーの悪いやつら。

だがその恐ろしさは強烈な魅力と紙一重だ。

インドの魅力はありえないことだらけの非日常さにある。日本の常識はいっさい通じず、なにが起こるかまったくわからない。おそろしく汚くて、おそろしく人間だらけで、おそろしく……おもしろい。

わくわくするようなおもしろさではなく、ずるずると引きこまれて抜け出せなくなる底なし沼のようだ。怖いもの見たさ、といってもいい。こんなにも好奇心をそそる国はほかにない。

強力な呪いにかけられたかのように、ぐいぐいとインドへ引っ張られているのを感じていた。
行きたい。行ってみたい。
でも怖い。行きたくない。
絶対に行きたくない。
でも行かずにはいられない。

安宿のベッドに寝っ転がってしばらく悶々としていたが、思い切ってえいやっと身を起こして旅行会社に行った。
「インド行きの飛行機とってください!」
「OK!」
旅行会社のお姉さんは二つ返事で引き受けてくれたが、しばらくパソコンと格闘したあげくに
「ごめん、ムリ! なんかしらんけど飛行機がない!」
断られた。私は少しホッとした。猶予を与えられたのだ。
「じゃあ、ネパールで」
「OK、とれた!」
そんなわけで私はまずインドの隣国・ネパールへ飛ぶことにした。

ネパール

ロイヤルネパール航空が私をカトマンズへと運んでいく。何気なく窓の外に目をやると、雲から山が突き出しているのが見えた。飛行機と同じ高さの空に、雪をかぶった山がひょっこり浮かんでいる。グラスに浮かぶ氷のよう。なんてきれいなんだろう! あれがヒマラヤか。

ネパール入国には時間がかかり、疲れていたので声をかけてきた客引きについて行っててきとうに宿を決めた。庭先でヤギさんを飼っている。かわいらしい。

翌朝さっそく町の散策にでかける。カトマンズは情緒にあふれたすばらしい町だった。いっぱい写真を撮りたくなる町だった。

なのに!
ああ、それなのに!

おかしな日本人旅行者につかまってしまった。
「せっかくだから一緒に観光しましょうよ!」
化粧と香水の匂いがきつい女の人で、ついてないことに差別主義者だった。なぜネパールまできてなんで関西ディスりや障害者差別発言を聞かされなくちゃいけないのか?

腹が立ったので、これまでの人生で使ったことがないほどコテコテの関西弁でケンカ別れをしてやった。ぐったりした。こんなにきれいなダルバール広場でなぜ日本人相手にすり減らなくちゃいけないんだろう。

疲れ果てて宿に帰ったら夕食のカレーに肉が入っていた。牛でもないし鶏でも豚でもない。何の肉だろうと主人に尋ねたら、
「ヤギだよ」
と返ってきた。
「ほら、君が昨夜なでてたヤギ」
指差す先には可愛いヤギの頭がさらし首みたいに干してあった。衝撃を受けながらも手を合わせてありがたくいただいた。

山岳地帯のせいかネパールではヤギが好まれている。肉屋の店頭にはよくヤギの頭が飾るように置かれていた。たぶん血抜きをしているのだろうが、なかなかエグい。

そういえば街中で『スター・カフェ』という看板を見つけたのでお茶でも飲もうと入ってみたら、なぜか肉屋で、むくつけき男たちが包丁を振り回してヤギを解体している最中だった。

針のむしろのチトワン・ツアー

カトマンズはとても素敵なのに、変な人のおかげで憂鬱な気持ちになってしまった。このまま観光をつづければあの日本人旅行者に再会しないとも限らない。一旦、よそへ移動しようと考え、旅行会社でツアーに申し込んだ。チトワン国立公園へ行くツアー。

このときバスと宿の手配だけしてもらえばよかったのだが。観光つきのツアーに申し込んだのが運の尽き! どういうわけかイギリス人ツアーにぽつんと一人で混ざることになってしまった。

ツアーは若い男女が3人ずつ、つまり3組のカップル旅行だった。リア充の中に一人で混ざるという、まさに地獄のツアー。針のむしろツアー。初めてツアーバスに乗り込んだ時は車内が凍りついた。
「え、まじで?」
「なんでここに日本人がいるの?」
ひそひそ声がかわされた。視線が痛かった。

「おい、なにを黙り込んでるんだよ日本人!」
空気を読めないガイドがしきりに私を叱咤激励してくれたが、これで落ち込まない日本人がいたらどうかしている。

なにしろ会話に混ざろうにも怒涛のクィーンズ・イングリッシュである。たまに優しく声をかけてもらっても何言ってるかわかんないことが8割。英語じゃないウズベキスタン人のほうがもっとずっと話が通じたのに。あまりのことに熱が出て、半日寝込んでしまったくらいだ。

幸いなことに、針のむしろが気にならないくらいチトワン国立公園は素晴らしかった。野生のトラやサイが暮らしているというジャンングルだ。カヌーやバードウォッチング、ジープでのサファリも楽しかったが、なんといっても象に乗ってのエレファント・サファリが最高だ。

象はあんなにも巨体なのに、道なき道をぐいぐい進んでいく。獣道をかき分け、長い鼻で枝を払いながら。象が払いのけた木の枝が頭上からパラパラと降ってくる。

象たちはおいしそうな草を見つけるたびに一休みしておやつタイムを始める。立ち止まった隙にガイドが
「ほら、あそこにサイがいますよ」
と教えてくれた。木立をすかしてサイの背中が見え隠れする。岸辺にはワニもいた。トラの足跡や爪とぎの跡もあった。強くて大きな象の背から見下ろすジャングルは安全で、まるで違う世界に見える。

象たちは川も平気で渡っていく。川の浅いところはざばざばと波を蹴たてて、深いところは丸太のような足を泥の中にずぶりと沈めて、傾斜もものともせずに進んでいく。急に立ち止まったかと思ったら、ざあざあと滝のようなオシッコをする。

チトワンは朝靄の景色も美しい。早起きをして宿のまわりを散歩すれば、象たちの出勤風景を間近でみられる。象使いに連れられ、赤土の道をぶらぶらと登っていく。象たちの足音も象使いの声も、朝靄と砂煙にすいこまれ、幻のように遠ざかっていく……うっとり見とれていたら、ぬちゃっとしたものに靴をとられた。小山ほどもある象のウンコに片足を突っ込んでいた。

ポカラ

ジャングルを堪能したあとは山を見よう。
「ヒマラヤを見よう!」
ということでポカラを目指した。ポカラはヒマラヤの麓の町だ。エベレストのお膝元だ。山を見ようと思ったらポカラへ行け。「ホテルの庭先からでも世界の屋根が眺められる」ともっぱらの噂である。

ところが全然見えなかった。ずーっと雨が降っている。ホテルの庭先から見えるのはどんよりした灰色の雲ばっかり。ぼやっと雲を眺めていたら、ホテルの従業員に声をかけられた。
「そろそろ山にのぼるんでしょ? いいガイド紹介しようか?」
いえ、登山はしないつもりです。
「じゃあ、ハシシ? ハシシなら、いいのあるよ」
大麻。マリファナ。葉っぱ。grass。ガンジャ。ハシシ。どんな呼び方をしようが使い方をしようが違法である。ネパールでも違法のはずなんだけどポカラでは堂々と売られていた。10才前後の子供たちが親といっしょに葉っぱを巻いているのを見た。いい内職なんだろう。

あ、でも、私は大麻はやりませんよ!
「山にも登らない、ハシシもいらない? あんた一体、何しに来たの?」
うーん。何しに来たんだろうなあ。

ぼんやり座って雲を見てるのもバカみたいなので、カトマンズに戻ることにした。
が、当時のネパールはしょっちゅうストライキがあり、予定どおりには進まなかった。私の乗ったバスはうまいこと出たが、1本前のカトマンズ行きは過激派に襲われたらしい。道中、燃やされてまっ黒焦げになったバスの残骸を見た。

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