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5. タイ 初めての自由旅行

1997年 タイ

自力の旅を目指して

エジプト、インド、そしてトルコ。3回の旅で私はほんの少しだけ強くなった気がした。ひのきの棒とぬののふくで旅だった勇者が「かわのよろい」をゲットした程度に。

レベルアップした私はついに自由旅行をしようと決意した。パックツアーではなくガイドさんも雇わず、すべて自力で行く旅だ!
「R子、一緒に行かない? お金は私が出すから!」
まあ、アカンタレなところは変わっていない。妹に頼る気満々なくせに「すべて自力の旅」もあったものだ。

R子はホイホイついてきてた。行き先はタイ。微笑みの国タイランドだ。飛行機とホテルだけは予約したが、あとは出たとこまかせに決めた。出発の前の晩は緊張して眠れなかった。ガイドさんがいないということは、もしものとき誰にも頼れないということだ。

まだインターネットもない時代。旅の情報はガイドブックだけである。私は『地球の歩き方』を暗記するほど読み込んでいた。観光地についてはもちろんのこと、バスの乗り方、大使館の場所、日本語の通じる病院の名前、買い物のときに気をつけるべきこと。タイについての知識を得ようと必死だった。

ガイドブックの後ろには必ず『犯罪に注意』というページがある。宝石詐欺や睡眠薬強盗、スリなどの手口が事細かに掲載されている。そのページを熟読するうちに
「もしも強盗に遭ったら?」
ついつい考えてしまった。
「もしも貴重品を盗まれたら? ケガをしたら? 言葉も通じないのにどうなっちゃうんだろう?」
ガイドブックを読めば読むほど悪い想像ばかりがどんどんふくらんでいく。不安がふくらんでいく。眠れるわけがなかった。隣でR子はグーグーと熟睡していた。こいつはやっぱり大物だと思った。

バンコクの暗い路地で…

自由旅行において最初の難関は「ホテルにたどり着く」ことだ。空港からホテルまでどうやって行くのか?

私たちはガイドブックに書いてあったとおりにバスを探し、無事、ホテルがあるはずのプラトゥナームに降り立った。
降り立ったが。
「……ここはどこだろう」
ここはプラトゥナームだ。それはわかっている。だがプラトゥナームのどこなのだろう。ホテルはどっちにあるのだろう。バスを降りたとたんにもう迷子である。

イスタンブールのときと同じように人に尋ねて歩いた。ホテルの名前を繰り返し、あっちだ、こっちだ、と教えられて行った。そのうちに
「どこに行くの?」
声をかけてきた人がいる。英語だった。振り向くと、若いお兄ちゃんが立っていた。
「僕はフィリピン人だけどタイ語がわかるから案内してあげるよ」
ホテルの名前を告げ地図を見せると
「わかった。ついておいで」
スタスタ歩き出した。R子もスタスタと後をついていく。考える間もなかった。
「えっと、えっと、あの!」
私はあわてて二人の後を追った。

プラトゥナームは市場もあるにぎやかな街だ。大通りには露店がたちならび買い物客でごった返している。もうとっくに日は暮れているのに街明かりで昼間のようだ。そんな雑踏のなかへ、ちょっとガラの悪そうなお兄ちゃんとR子はどんどん踏み込んでいく。
「待ってよR子!」
知らない人にはついて行っちゃダメって昔から言われているでしょう? もしあの人が悪いヤツだったら? どこに連れていかれるかわからないよ。
そう伝えたかったけれどお兄ちゃんに聞こえてしまいそうで言えなかった。

やがてお兄ちゃんは角を曲がった。横断歩道を渡り、にぎやかな大通りから脇道へそれる。そこはもう露店もない。買い物客もない。ゴミだらけの路地がまばらな街灯に照らされているだけだ。私はますます不安になった。
「さっきのおじさんは違う道を教えてくれたよ」
「大丈夫だって」
R子は落ち着いていた。これっぽっちも疑っていないらしい。豪胆なのかバカなのか。多分、両方だろう。

私の不安を感じ取ったのか、お兄ちゃんは陽気に話を始めた。
「君たちはいいホテルに泊まってるんだね。僕は友人の紹介で200バーツ(約600円)の安宿だよ」
……わかったぞ。こいつはきっと安宿の仲介人なんだ。目指すホテルとはぜんぜん別の宿に案内して仲介料をとろうという魂胆に違いない!

角を曲がると街灯が1本もなくなった。突如として暗い、暗い、闇だまりのような路地が広がっていた。
私は一歩も動けなくなってしまった。さしものR子も足を止めた。
「どうしたの?」
お兄ちゃんは少し先で立ち止まり、闇の中からにこやかに微笑みかけている。いかにも無邪気で穏やかな草食系の笑顔。だが私は知っている。明るい大通りを歩いているときにチラリと見えたのだ。薄汚れたTシャツの胸もとにのぞく入れ墨を。小さな緑色の入れ墨で、ほとんど線のように細い、たぶん蛇だと思う。
東南アジアの人々にとってタトゥーはごく普通のことだがそんなことは知らなかった。当時、私の住む田舎町で入れ墨といえば間違いなくヤクザの印であった。

このお兄ちゃんは彫り物のあるヤクザ、すなわち悪者であると決定した。
当人も私の決定をなんとなく感じとったらしい。
「大丈夫だよ。ここを通り過ぎたらすぐだから。この右側。何も心配はない。」
信用しろといわれても無理である。今やR子までが疑心暗鬼モードになっている。私はこの暗がりに足を踏み入れたら死ぬとまで思っていた。

「困ったなあ」
お兄ちゃんは途方にくれ、
「自分が信用できないのなら」
と、通りすがりのサラリーマンに相談をもちかけた。
「トゥクトゥク(三輪タクシー)に乗せればいいんじゃないか」
サラリーマンのアドバイスに従い、すぐにトゥクトゥクが呼ばれた。私たちが乗り込むと
「大丈夫だから。すぐそこだから。40バーツ払ってね。それ以上は絶対に出したらダメだよ」
と教えてくれた。うなずく間もなくトゥクトゥクは風のように走り出し、お兄ちゃんは闇の中に取り残されたまま遠く小さく見えなくなった。
「いい人だったんだ…」
トゥクトゥクはちゃんとホテルにつれていってくれた。

私達は心底ホッとしながらも、心の中では親切なお兄ちゃんのことが忘れられずにいた。実は今もまだ引っかかっている。申し訳ないことをしたと。もっと信じればよかったと。ちゃんとお礼を言えなくてごめんなさい。
私たちは子供の頃から
「知らない人についていってはいけません」
と言い聞かされて育った。だが旅に出れば知ってる人なんて誰もいない。そして、たとえ貧しげであっても、蛇の入れ墨があっても、いい人たちはいるのだ。

晩ごはん、どうする?

ホテルにたどり着くと、次なる問題が待ち構えていた。晩ごはんである。すっかりお腹がぺこぺこだったが、晩ごはんをどこで食べるかで、私とR子は揉めることになった。

R子の主張はこうだ。
「ホテルの外に出て食べるもの買おうよ。屋台がいっぱいあったから、きっとおいしいよ」
「冗談じゃない!」
私は震えあがった。もうとっぷり日が暮れている。さっき真っ暗な路地で怖い思いをしたのをもう忘れたのか!
「大丈夫だって」
R子は鷹揚に構えている。なにを根拠に大丈夫なのだろうか。
「夜に外に出るなんて危なすぎる。絶対にイヤだ」
私はふてくされてベッドに寝っ転がった。夜の町には犯罪者がウヨウヨいるんだぞ。夜に外出するなんて自殺行為だ。

だが結局は空腹に負けた。ホテルのレストランは高すぎたし、R子はしつこく外へ出ようと誘ってくる。それでとうとう、ホテルを出てすぐの屋台で買うことにしたのだ。

夜の街は思いがけず明るかった。屋台がずらりと並び、お祭りのようににぎやかだ。ウキウキしながらたくさん食べ物を買い込んで部屋に戻った。何を食べたかは覚えていないが、おいしかったことだけはたしかだ。
「行ってよかった」
と思わずつぶやいたら、
「ね、ぜんぜん大丈夫でしょ!」
R子が勝ち誇った。

虫を食らう

豪胆なR子と一緒だから、それともやっぱり微笑みの国だからか、バンコクでは危ないめに遭うことはなかった。一度だけ宝石詐欺に遭いかけたけれど
「これは詐欺だ!」
と気づいて逃げることができた。『犯罪に注意』ページに読みふけり、さまざまな詐欺の手口を研究しシミュレーションを重ねていたおかげである。

私たちは一週間をかけてバンコクからアユタヤ、ピサヌローク、スコータイとめぐった。たくさんの遺跡を観て、たくさんの善良な人々に出会った。タイの人たちは旅慣れない私たちにとても優しくしてくれた。ターミナルでうろうろしていると必ず誰かがバスの番号を教えてくれたし、列車に乗れば「そろそろ着くよ」と隣の人が教えてくれた。あの人たちがいなければ私はずっと泣きべそをかいていただろう。微笑みの国タイは旅人に優しい国だったから、私もずっと笑顔でいられた。

ひとつ、忘れられない出来事がある。アユタヤからピサヌロークへ向かう汽車でのことだ。

四人がけの座席が向かい合う車内で、私たちは子連れのファミリーに囲まれていた。寡黙なお父さん、がっしりしたお兄さん、頼もしいお母さん、四人の子どもたち。子どもたちは女の子ばかりでキャアキャアと楽しそうに遊んでいた。

汽車は朝8時に出発したが、到着は昼過ぎの予定だった。それくらいなら大丈夫だろうと高をくくっていたが、昼になるとやっぱりお腹がすいてきた。お菓子でも持ってくればよかったと後悔した。

隣のファミリーはお弁当を広げはじめた。タッパーに入れたごはんやお惣菜の他、車内販売の売り子からも食べ物を買っている。タイの鉄道にはしょっちゅう物売りがやってくる。ファミリーはまず茹でトウモロコシを買った。一人一本ずつ。私とR子はそれを「おいしそうだなあ」と眺めていた。私も買えばよかったかな。次に売り子が来たら買ってみようか。

やがて次の売り子が来た。茹でトウモロコシではない。小さくて茶色い
「げっ……!」
思わず言葉を飲み込んだ。
売り子が差し出したのはなんと、虫だった。
タガメみたいなゴキブリみたいな、姿そのままの唐揚げ! 足も触覚もそろってるよ!
フリーズしている私をよそに、R子は即座にこう言った。
「おいしそう!」
ハタチそこそこの若い娘が生まれて初めてゲテモノスナックを目にして言う言葉だろうか。R子はどこまで逞しいのであろうか。本当に私と血がつながっているのだろうか。帰国したら母を問い詰めてみようと思った。

いろいろ圧倒されていると、隣のファミリーの母親が
「食べてみる?」
と一つ差し出してくるではないか。ファミリーは一袋買い込んだらしく、小さな子どもまでみんな美味しそうにポリポリとかじっている……虫を。
「いやいやいや遠慮します!」
思わず手を振ると、寡黙なお父さんまでもが
「そう言わずに食ってみろ」
と差し出してくるではないか。
「わーい、いただきまーす!」
友達からポテチが回ってきたみたいなノリで虫を受け取り口に入れるR子。がぶりと一口かじって
「おいしい!」
素人くさい食レポをやってのけた。
「内蔵は苦いけど、ほかはおいしいよ」
ファミリーはどっと笑った。
「よし、次はおまえだ」
父親が私に虫を差し出す。

これはもう逃れられない。
引きつった笑みを浮かべつつ、器から一匹つまみ出す。心の中で懸命に自分を騙そうとしてみた。
「これは虫じゃない! ただの唐揚げだ! からあげクンだ!」
いや虫である。
どう見ても虫である。
真っ黒の小さな目と縮こまった六本足がリアルに虫である。足に白黒のしま模様が入っているところまで鮮明な虫の死骸である。

いつのまにかファミリー全員が私たちに注目していた。ヘッドホンで音楽を聞いているお兄さんも横目で私を見ているし、小さな子どもたちは目をキラキラと輝かせて外国人が虫を食うのを待っている。母親はいたずらっぽい笑顔を浮かべ、寡黙な父親は真面目くさった顔で私の反応を見ている。

その人たちの顔を見ると、不思議なことに
「どんな味なんだろう?」
と興味がでてきた。虫なんてすっごく嫌なのに、絶対に食べたくないはずなのに。それを上回るわくわくした気持ちが湧きあがってきたのだ。小さな子どもまで食べてるんだから、そんなにまずいはずがない。

ゴキブリだかタガメだかゲンゴロウだか知らないが、唐揚げしたそいつをつまみ、頭からガブっといった。
「あら、おいしい!」
意外だった。カラリと上がった殻は香ばしく、中身はソフトで、甘いのだ。R子のいったとおり内蔵は黒くて苦くてまずかったけど、それ以外はほぼ「海老の頭」を食べているようなものだった。私もR子もいただいた1匹をぺろりと平げた。
「ね、おいしいでしょう」
母親が微笑みかけ、子供たちはキャアキャアと騒ぎ、父親は満足げにうなずいた。

そのあとも、お弁当の中から豚の生姜焼きやもち米などいろいろ分けてもらって、私たちはすっかりファミリーと仲良くなった。当然ながらファミリーはタイ語だし私たちは日本語だった。双方とも英語なんか話せなかったから。それでも、言葉なんかわからなくても、十分に楽しい時間を過ごすことができた。

生まれて初めて昆虫食を見たとき「おいしそう」と言ってのけたタフな妹R子は、その数年後に国際結婚し、香港や台湾を経て現在はオーストラリアで子供を生み育てている。珍しい食材をみるとチャレンジしたくなる性格は変っておらず

「市場で熱帯魚をみつけたから煮魚にした! 激マズだった!」

とか言っている。そして私は何度もタイを旅したが、私一人だと虫を食べる気はぜんぜん起こらない。

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