介護の現実。
メディアでそんな言葉をよく見かける。
在宅介護のリアル。
本当の姿という意味なんだろうが、どういうわけか、介護の暗い面ばかり表していることが多い気がする。
あとそれに加えて「絶望のなかの光」みたいなものを。
たとえば、
トイレ介助はうんこでグチャグチャ!
涙を流しての怒鳴り合い!
そのあと笑顔で抱き合う!
ごめんねお母さん!
感動!
・・・みたいな。
介護を知らない人が読んで「うわあ」ってなるやつ。
それを期待してるやつ。
そりゃあ、そういうところもあるけどなあ。
それが全部じゃないしなあ。
重いとこばっかり強調されてもなあ。
介護してます言うてもほんま、ピンキリやからなあ。
「介護の現実」なんて人それぞれ、家それぞれ。
暴言暴力徘徊は一番しんどいと思うけども。
しんどくなくても介護は介護。
失禁のない介護だってある。
要支援だから楽ちん、てわけじゃないし、たとえ同じ作業をしても介護者によって感じ方はぜんぜん違う。
うちみたいにアホみたいにワハハ~て笑ってる家もある。
それを介護をしたことがない人が・・・「介護の現実は悲惨!」って思い込んだ人が、勝手に同情してきて
「本当は泣きたいんでしょう?」
とか押し付けてくるから困る。とんだ勘違いである。
うちの母、トイレからの立ち上がりのとき
「うんとこしょーどっこいしょー」
って掛け声を出すんだけど、うまく立てないとすかさず
「それでもカブは抜けません♪」
と『大きなカブ』みたいな合いの手を打ってくるから、笑いすぎて私が立てない。
てな話をしただけで
「まあ大変ね!気の毒に!」
って同情されるから困る。
笑えるネタのつもりなのになあ。
単純に。
家族と一緒に暮らしてる。
それが我が家の介護の現実。
コメント
>「それでもカブは抜けません♪」
>と『大きなカブ』みたいな合いの手を打ってくるから、笑いすぎて私が立てない。
想像をして笑ってしまいました(^^
きっと、これを笑い話として受け取れる人は経験者と想像力豊かな人だけなのかも。
うちの母はベッドから車いすに移乗の際に
「せーの」
と掛け声かけたら
母は「せーの」と言って力んだ瞬間に
「ぷうー」とおしりからも音がでてしまいました。
この音が私も母も笑いのツボにはまり、力が抜けてしまい
あやうく母を落としそうになりました。
介護をしていてもこういう楽しい時間ってあるんだと、ほかの人にも知ってもらえたら
いいんだけど、これってやっぱりしてみないとわからないかもしれませんね。
「せーの」でお尻ぶー(笑)
あるある、ありますね!
母なら笑い飛ばすんですが、仕事だと笑っちゃイカンと思って聞かないフリをします!
ちゃんと力が入ってる証拠ですよね。
こっちにしてみれば普通に日常で、普通に毎日楽しんでるんですけどね。
なんでもない日常こそ、かけがえのない宝物ですし。
でもやっぱり経験してない方には伝わらないものなのですかね…。
介護のほんわかした日常をつづられているのを読むと、元気をもらえるので毎日こちらに訪問させていただいております。同じ現実をどう受け止めていくのかは、一人ひとり違うのでしょうね。自分の思い通りにしようとして、そうならないとき、マイナス感情が高まるし、そのまま受け止めてフラットに接したら、楽しい発見があるのかもしれないですね。
介護に限らず、人と接するときどうしているか、全部にかかわっているのかなと思います。
ありがとうございます。
同じことを経験しても、その人の受け取り方ひとつ、感じ方ひとつ、っていう所はありますよね。
私はわりと諦めが早いのですが、その感覚がなかなか理解してもらえません。
>介護に限らず、人と接するときどうしているか、全部にかかわっているのかなと思います。
たしかにそうですね。
人間関係も、幸不幸も、すべて自分次第、ということですね。