「バザーに行きたいな」
と言っていた利用者さんが亡くなった。
重い病気にもかかわらず最後まで
「希望だけは捨てない」
と言い続けたFさん(10/15「夢があるの」)。
私が訪問介護に入ったあの日、ずっと寝ていたのに、帰り際には手をのばして私の手をぎゅっと握った。
「離したくない」
と言って。あたたかい手だった。
なのに私はその手を離してしまった。
「来週またお話ししましょうね」
と言って離してしまった。次の仕事が迫っていたから。時間がなかったから。Fさんもそれはよくわかってくれて、
「そうね。また来週ね」
と言ってくれた。
でも「来週」はこなかった。
翌日、Fさんは病院に運ばれてそのままお会いすることなく亡くなった。
介護の仕事には別れがともなう。
家族さんに引き取られて引っ越ししたり、施設へ入所したり、転倒から長期入院したり・・・理由はいろいろだけど。
「ある日突然、サービス終了」
となるのも珍しくない。しかも今年はなんだかそれが多いのだ。
みんな80才90才なんだから仕方がないんだけど。
いつかは別れにも慣れる時がくるのかと思ってたけど。
うちのボスが
「仲良くなって大好きになった人たちがみーんないなくなっちゃう!」
と寂しさのあまりよく怒っているから、たぶんずっと慣れないんだろう。
・・・あのときFさんの手を離さなければよかった。あと1、2分おしゃべりしても大丈夫だったのに。そんな後悔がちくちくと刺してくる。
以来、仕事終わりの挨拶には、あたりまえのことに念を入れるようになった。
デイサービスのお帰りのときは
「また来週も元気できてくださいね!」
と必ず付け足すようになったし、訪問の利用者さんには「さようなら」ではなく「ありがとうございました」と言うようになった。
それから
「来週もお元気で!」
「次は火曜日に」
というようになった。
「来週も必ず逢いたい!」
と伝わるように。私の願いが叶うように。
もちろん挨拶は、しっかり目を見て・・利用者さんがまだ言い残してることがあるかもしれないから。
そういえばFさんはあの日
「冷凍餃子を買ってきてくれない?」
と頼まれたんだけど、ご家族さんが「明日ね」と断っていた。食べさせてもらえたかなあって気になっている。でも今頃はもっと美味しいもの食べてるよね。
コメント
本当に、会いたい人は皆、向こうに行ってしまいます。
何もかもやりおおせて満足して旅立てる人は少ないのではないでしょうか。
誰もが、果たせなかった約束を、叶えられなかった望みを、口にしようと思っていた言葉を伝えられぬまま逝かなければならない。
本当の最後の扉が開く時がいつなのか、誰にも分からないから。
だから、残された者はいつも悲しい。
叶えてあげれば良かった、最後まで聞いておれば良かったという悔恨は仕方がないんだという理性に反し、いつまでも小さなトゲのように私たちを痛めつける。
それでも、生きている者は生きている以上、前へ進まなければなりません。
そして、Fさんはきっと、だださんがそんな風にFさんを恋しく偲んでいることを分かっていて下さいますよ。
いつかは必ず別れがくるので介護はせつない仕事です。
突然の別れが多すぎてついていくのが大変で…
>叶えてあげれば良かった、最後まで聞いておれば良かったという悔恨は仕方がないんだという理性に反し、いつまでも小さなトゲのように私たちを痛めつける
そうなんですよね。
イラクサにふれた後みたいに、ずっといつまでもチクチクと刺しつづける。
でも皮肉なことに、そのトゲがあるからこそ、亡くなった人繋がりつづけていられるような気もするんです。
過ぎたことはどうにもならないけれど、それを活かせるように、心の中の小さな後悔やトゲの数々を大切にしていけたらと思います。
だださんのそんな気持ちが読めただけでも、とっても癒されるし、幸せな気持ちになります。ありがとう。きっと利用者も皆さんにも伝わってます。ありがとう。素敵ですね。
ありがとうございます。
私はドタバタしてばかりの間抜けなヘルパーで、仕事で迷惑をかけることも多いんですが、来週もちゃんと会いたいって気持ちだけは伝わるようにがんばります。