高校生の私が祖母のトイレ介助をした日、人生が変わった

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ヤングケアラーがニュースで取り上げられていた。ヤングケアラーとは、家族の介護をする若者のこと。最近の言葉だけれど昔からある存在で、かくいう私も妹や祖父母の介護をするヤングケアラーであった。

・・・そういえば。

ふっと思い出したことがある。
高校生の頃のことだ。2年か3年の冬だった。
祖父が出かけるというので、私が祖母の介護を手伝った時のこと。

その頃、祖母は70代。脳卒中の後遺症で麻痺はあったが、まだかろうじて歩けた。
体を支えてポータブルトイレまで連れていき、トイレ介助をし、掃除もした。
祖母はしきりに
「そんなことやらなくていいよ!」
と言った。
「そんな汚いこと!」

花の女子高生に下の世話をさせるのは嫌だったのか、申し訳なかったのか、恥ずかしかったのか、その全部だったのだろうと今ではわかるのだけど。
いわゆるヤングケアラーの私にとってはトイレ介助なんて普通のことだったし、それが汚いとか臭いという感覚さえほとんどなかったから、
「え、なんでダメなの?」
と聞き返したことを覚えている。

肝心なのはそのあとだ。
一段落ついた祖母とおしゃべりしながら部屋を片付けていたとき、私はふっと思い立った。
「あ、エジプトに行こう」
と。
外国に行ってみたい、旅してみたい気持ちはずっと持っていたのだけれど、それを初めて具体的に考えたのは、なぜか祖母の部屋だった。

祖母の部屋・・・モノクロの写真を見るように覚えている。埃っぽくて薄暗い洋間。重たいカーテンが日光を遮っている。古い本やアルバムが床の上に積み上げてある。部屋の隅には誰も弾かないアップライトピアノが眠っている。

私は祖母を振り返って、言った。
「あのね、いいこと考えた。高校を卒業したら、エジプト旅行に行こうと思う!」
「エジプト!? エジプトってあの、アラビアの?」
祖母はびっくりした。
そりゃそうだろう。
当時はまだ海外旅行ってわりと大変なことだった。多くは話さないが大正生まれの祖母は
「GHQのガイジンさんが来て大変やった」
と悪い思い出を抱えている世代だ。普通だったら止めるだろう。「あんた何考えてるの」って、大正生まれのおばあちゃんなら大抵そう言うだろう。

だが、私の母の母である人は、
「それもいいかもしれないねえ」
とのんびり言ったのだ。
ずっと忘れていた祖母の言葉を、今、思い出した。
「若い頃にしかできないことがあるからね」

もしあのとき、あの埃っぽい部屋で、祖母が違うことを言っていたら。私の未来は変わったかもしれない。もし祖母に「やめなさい」と止められていたら、気弱でモヤシみたいにひょろひょろしていた高校生の私は考えを変えたかもしれない。

でも、おばあちゃんは私を止めなかった。私は高校卒業後にエジプトへ行き、そのまま一人旅にハマってしまい・・・今に至る。一人旅をしなければ私はもしかしたらモヤシのまで、在宅介護をしようという気にもなれなかったかもしれない。祖母のトイレ介助をしたあの日、私の人生は変わったのだ。

もう26年くら前の話だけれど、おばあちゃんありがとう。

・・・本日の猫写真。
シシィに新しい首輪を買ってあげたら、気に入らなくて、すぐにはずしてしまいます。

「首輪がないと、たるんで太く見えるね。もともと太いんだけど」
と私がいうと、母が
「マツコ・デラックスみたいね!」
と言った。
「首輪がないと、黒くて太くてマツコみたい」
・・・えええええ。

母ったら、記憶障害があるにもかかわらず、マツコ・デラックスを覚えてたんだなあ、と感慨深く思ったので、それ以来、シシィが首輪をはずすたびに私たちは
「あ、またマツコになってる!」
と言うようになりました。マツコさんに失礼ですごめんなさい。

コメント

  1. 実はワタシもエジプトで運命の扉を開け(てしまっ)たクチです。
    友人と参加したツアーに、今のダンナさんが居ました。
    わざわざエジプト旅行に来るような同類の人達のツアーだったので、旅行中に全員と仲良くなり(例外もありましたが)、年齢が近かった20代グループは日本に帰って来てからも年に何度か会って飲み会してました。
    で、ワタシとダンナは結婚し(てしまい)、10年後、義親との同居と介護が始まり、今に至るという…
    女性陣は子育てや親の介護でなかなか出てくることは難しくなってしまいましたが、男性陣は今も年に一回おっさんず国内旅行を続けています。
    公務員、製薬会社、経済新聞、卒業アルバム制作会社と職種が全く異なるのも、お付き合いが長く続いている秘訣のようです。

    人生のきっかけなんて、どこに転がっているか分からないものですね。
    クロワッサン、読みました!
    介護は簡単でも楽な仕事でもありませんが、3Kだ4Kだと貶めるばかりではその奥にある人と人の関わり合いの真髄を知る事は出来ないでしょう。
    耐えられないとか出来そうもないというのは思い込みで、耐えられない辛さも出来ない無力感もその人の考え方次第です。
    疲れたら時々は休んで毒を吐いて、また動き出せばいいんです(おまー毒しか吐いとらん)

    ワタシもマックの2階席で、バーガー頬張りながら、駅間を行き交う人をボーーーーーーーっと眺めてたことがあります。
    そういう時間も必要ですよね。

    • 開けてしまった(笑)
      いやでもすごいですね!エジプトでの出会いですか。
      旅がきっかけなんて、それだけ聞くとすごくロマンチックなのですが?
      旅での出会いって不思議ですね。
      私も20年くらい続いてる旅友達がいます。
      普通なら出会わなかったはずの人たちとの絆、不思議なご縁があるのでしょうね。
      それにしても男性たちだけ集まって…ずるいですね!(笑)

      雑誌の記事、読んでくださってありがとうございます。

      >介護は簡単でも楽な仕事でもありませんが、3Kだ4Kだと貶めるばかりではその奥にある人と人の関わり合いの真髄を知る事は出来ないでしょう。
      耐えられないとか出来そうもないというのは思い込みで、耐えられない辛さも出来ない無力感もその人の考え方次第です。

      深いなあ…。
      人と人との関わり合いの真髄ですか。
      たしかに介護って究極の人間関係ですもんね。
      すべてを任せることになりますし。
      思い込みも、ありますね。
      身体的にも精神的にもたしかに限界はあるのだけれど、そこに至る経緯みたいなところ。
      それに介護って、全くやらない人に限って「絶対無理」って逃げちゃいますよね。できるのに。

      久しぶりのハンバーガー美味しかったです。
      介護から完全に離れる時間は、必要ですね。