父と母の東京旅行

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授賞式へは最初、私と母だけで行こうかと思っていた。が、オヤジを一人で家に置いておくのも不安なので連れていくことにした。ちょうど定年祝いに温泉でも連れていこうかと思っていたところだから、東京旅行もいいだろう。

だがオヤジという人は・・・動きのわるい子供みたいなもんで、自分のことは何ひとつできない。出発の朝、のんびり韓国ドラマをみているオヤジに
「荷造りは?」
ときいたら
「なにそれ?」
と返ってきたくらいである。手ぶらで東京行くのんか?

自分のことは何ひとつできないオヤジは、私とはぐれまいと必死だった。病気のせいで体力がなく、歩くのも遅いのに「知らない土地で一人にされたら死ぬ!」とばかりに必死についてきた。チョコチョコ歩く姿がまるで親鳥についてまわるヒナ鳥みたいで・・・うん、がんばれ。

1日目の晩ごはん。

けれど東京滞在中、私はいろいろと忙しい。オヤジの相手ばかりしていられない。できれば両親だけで観光に行ってもらいたい。といっても2人ではどこへも行けない・・・そうだ、介護タクシーを使おう!

介護タクシーといえば病院などの「移動」によく使われるものだが、アイラス福祉移送ネットワークのWEBサイトには『介護タクシーで観光を』と書いてあった。ドライバーさんはヘルパー資格をもっているから、運転だけではなく(ある程度の)介助もできますよというのだ。付添いが高齢者のみの場合、ドライバーがかわりに車椅子を押すとも書いてある。介護タクシーにそんな使い方があることを初めて知った。

そこでアイラス福祉移送ネットワークに電話をして「万が一の場合はトイレ介助を手伝ってもらえるドライバーさん」という条件で介護タクシー紹介してもらった。ドライバーさんはとっても頼もしい感じの方だった。
「11時にホテルから出発、浅草でうなぎを食べて、可能なら雷門でも見て、あとはオヤジの体力次第で車窓観光でもして2時か2時半にホテルに戻る」
というプランでお願いする。

出かける時には
「えーっ、おまえは来ないんか?」
見放されたヒナ鳥みたいに不安な顔をしていたオヤジも
「すっごいでっかい提灯を見たー!」
と大満足で帰ってきた。
「でもな、うな重の写真を撮ろうと思ってんけど、なんでか俺の顔ばっかり写るねん!」
オヤジは相変わらずスマホを使えないのである。
一方、母はオヤジのお守りに疲れていた。

ホテルでゆっくり休憩したあと、夜はメインの授賞式だ! 昼間と同じ介護タクシーに迎えに来てもらう。母は手製のブローチを胸につけ、銀色のドレスをひざにかけて着飾った。…オヤジはホテルでお留守番。

緊張で顔が引きつる私とは逆に、母はむちゃくちゃ楽しんでいた。誰に話しかけられても堂々としていたし、「有名人の名刺をもらった」と得意満面。私のスピーチの後で「お母様からも一言」と突然マイクを向けられて、
「賞をいただくと聞いたときは、自治体かなんかの賞だと思ったんですけどね?」
などと言いだした時にはドキッとしたが、
「いやいや、商店街の賞とはちょっと違いますよ!」
と、司会の方にうまいこと突っ込んでもらって笑いをとっていた。そして続けて
「ええ、こんな大きな賞をいただけるなんてびっくりしました。ゆきこの文章を認めていただいて、親としてこれほど嬉しいことはございません」
とかなんとか、綺麗にまとめた。
ちょっと前まで高次脳機能障害でボケ倒してた母にしては上出来ではないだろうか? いつのまにこんなに空気を読めるようになったんだろう?
授賞式がおわると、母は再び介護タクシーでオヤジの待つホテルに帰っていった。

私は懇親会で帰りが遅くなるから
「お父さんと2人でご飯を食べててね」
と、ちゃんと言っておいたのに。どういうわけか2人とも何も食べていなかった。私を待っていたらしい。私抜きでは怖くて出歩けなかったのかもしれないが。

母「ホテルのレストランに行こうよ♪」
私「いや、とっくに閉まってるよ」

結果、2日目の晩ごはんはコンビニ弁当になった。

オヤジと朝から日本橋を散歩した。暑くて倒れそう

オヤジに買い物を頼むと、弁当やサンドイッチを10人分くらい買ってきた。あれはヤケクソだったのだろうか…。

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