終わらない夏(5)トイレ介助ショー

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「在宅介護は厳しいでしょう」

気管支炎で入院した母。
転院をくりかえし「あと1、2週間で退院できそう」というところまできた。
呼吸も落ち着き、酸素ボンベももう要らない。
いよいよ退院して元の生活に戻れる!

と、思いきや。

「正直、厳しいと思います」

と言われた。
体調のことではなかった。

「食事がなかなかとれないこともあり、筋力も落ちています。
トイレに行きたいと仰るので介助しましたが、男性PTでも2人がかり。
女性スタッフだと3人がかりの時もありました。
在宅で女性お1人での介護は難しいかと」

・・・え、体調は良くなってるのに、いきなりそこまで落ちるもの!?

私は首をひねった。
それだけではない。
ごはんを食べないのが一番の問題だが、原因がわからない。
脳卒中後遺症のせいかもしれないが、なんと
「老衰の可能性もある」
と言われたのだ。

76歳で老衰!?

私の職場には母と同い年の人が多い。
上司も先輩も調理師さんも、みーんな母と同年代。
だから職場でこの話をすると壮絶な悲鳴が上がった。
「ええええええ!」
「ろうすいー----!」
「ショックー---!」
「私も同じトシなのにー--!」

まあ、年齢だけの話じゃないんですけどね。
「老衰」はさすがに首をひねってしまう。

お話合い

その後、母の今後について話し合いの場が持たれた。
病院の会議室で、看護師さんやPTさんのお話をケアマネさんと一緒に聞く。
母本人ももちろん同席する。

ちょっと久しぶりに会う母はご立腹で
「なんでまだ入院してるのか分からないんだけど!」
と訴えていた。
元気そうでなにより。
ぬいぐるみのクロちゃんを抱え、シャンとして車椅子に座る母をみて
「前とぜんぜん変わりませんね?」
とケアマネさんがつぶやいた。

そしてお話合いが始まったが、内容は以前聞いたことと同じ。
問題点は
・ご飯を食べない
・筋力が低下し、トイレ介助が難しい
この2つ。
前に肺炎で入院したときもそうだったけど、病院ではほとんど食べないんですよね・・・。

母と私のトイレ介助ショー

実際に母の顔をみると、筋力低下でトイレに行けないという話には疑問は大きくなった。
私ならできるんじゃないかと思った。
そこで
「今、トイレに連れていってもいいですか?」
とお願いしてみた。
迷惑かなあと思ったけど、実際に触って、介護してみないことには、わからない。
連れて帰って大丈夫かどうか。
他の人たちだってわからないだろう。
私が家で介護できるかどうか。

病院の車いす用トイレをお借りすることになった。
耳元で
「立てる?」
と尋ねると
「私はいつでも立てるよ」
失礼な!と言わんばかり。
じゃあお母さんの実力をみんなに見せてあげよう。
退院がかかってるから、本気出してね?
「わかった!」
ニンマリと笑う母。
看護師長さんと、担当の看護師さん、PTさん、OTさん、社会福祉士さん、ケアマネさん。
6人の前で私たちはトイレ介助ショーを披露することになった。

母が倒れてから10年間。
ずっと私がトイレ介助をしてきた。
最初の頃はオヤジやヘルパーさんと2人がかりの介助だった。
1人介助でできるようになったときは嬉しかったなあ。
それからウィーンを目指し
「どんなトイレでも使えるようになろう」
と練習を重ねた。
外出先でいろんなトイレに行ってみたり。
立位の練習も毎日やった。
そうして、手すりのないトイレを使わなくちゃいけない時でさえ、なんとかできるようになったのだ。

だから様子を見ればわかった。
今の母なら、まだ立てると。
介助の仕方は一人ひとり違う。
プロのPTさんでも「母に合った介助方法」を知らないから、立つことができなかっただけなのだと。

私はいつものように車椅子をトイレに近づけた。
・・・手すりが遠いな。
「でも大丈夫。お母さんなら立てるよ」
「うん、立てる」
「いくよ。1,2,3!」
息を合わせて移乗して。
手すりをもって。
腰を補助すると、母はすっくと立ち上がる。

私はすかさず
「数を数えて!」
と指示をだす。
ウィーン旅行のためのリハビリで、私たちは
「外国語で数を数える」という方法を編み出したのだ。
長いあいだ立位を保持するのは大変だけど
「次は英語で!」
「次はイタリア語!」
10ごとに違う言語に切り替えたら、気が紛れてうまくいく。

「ワン・ツー・スリー・・・・」
「ウーノ・デュエ・トレ・・・」

母は3か国語で10ずつ数えた。
合計30秒。
トイレ介助するのに十分な時間である。
看護師さんが驚きの声をあげ、社旗福祉士さんは拍手をした。

帰宅に向けて

トイレ介助ショーは大成功に終わった。
在宅介護を無理だという声もなくなっただろう。

ただ。
ただやっぱり、たまたまうまくいっただけだとも思う。
調子には波があり、ぜんぜんできない日もあるだろう。
退院直後は疲れがでてぐったりするだろう。
私ひとりでは危ないかもしれない。
そこで、移乗用リフトを借りることに決めた。

残るもう一つの問題、食べない問題について。
これはトイレより難題だが、友達と外食したりピクニックしたら食欲がわくかもしれない。
・・・もし「老衰」というのなら尚のこと。
残された時間を楽しく過ごしたほうが良いに決まっている。

そんなわけで1週間後の退院を決めてきた。
すぐに退院できなかったのは、リフトやサービスの手配もあるし、私がこれ以上仕事を休めないせいもある。


(ずっとお留守番にゃんこ)

「あと1週間で私の夏休みも終わりだなあ」
と思いながら、友達と晩御飯にいったりした。
両親が入院してもバタバタ生活は続いていたし、仕事している限り介護からは離れないんだけど。
それでも買い物にいくたびに、
「母が退院してきたら一緒にコレを食べよう」
と想像できるのが、今はとても嬉しい。

コメント

  1. だださん,素晴らしいです。お母様もお父様も,お幸せですね。

    • ありがとうございます。
      むしろちょっとPTさんから反感を買ったんじゃないかって心配になりました…

  2. こんばんは
    お母様、退院が決まっておめでとうございます(素直に喜べないのも辛いところですよね)
    とにかく回復して良かったです。
    うちは、、先週父が亡くなりました、もう内臓がどうしようもなく悪くなっていて、、
    何でかかりつけ医は気が付かなった??毎月医者に行っていたのに!でも、80代までタバコ2箱、日本酒も毎晩、、よく生きてるなとは思ったこともありましたが、、。でも、亡くなったとなるとあれもしてあげれば良かった、喧嘩もしなければ良かったと後悔の嵐です。でも、まだ元気だった1か月ほど前に「お母さんより1日でも長生きしてね。私ひとりじゃ手に負えないよ」って初めて父に長生きしてほしいと言いました。言っておいて良かった。
    母はまだ入院中で、父の死を知りません。いつ教えようか、、これも悩みの種です。母もだださんと同じように先週は「これでは在宅介護は無理だと思いますよ」と言われ、お金どうしようとそればかり悩みました、でも今日になりだいぶ回復したようで「立ち上がれれば在宅は可能ですか?」と電話が病院から来ました。長年一緒にいる家族ならそのコツもわかりましすね、やっぱり家に帰ってきて欲しいです、また修羅場になるかもだけど^^

    • こんにちは。
      リンゴさん、長い間お疲れ様でした。
      タバコにお酒に…お父様は人生を満喫されたのではないでしょうか。
      家にいる間はあんなにも大変で苦労ばかりだったのに、いなくなると家ががらんと寂しく感じます。
      帰ってきたら修羅場だとわかっているのに、それでもやっぱり帰ってきてほしい。
      ほんとによくわかります。
      家族って不思議なものですね。

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