「明日が、楽しみ」

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「Kさん、明日のこと、すごく楽しみにしてるんだって。娘さんが言ってた」
同僚が弾んだ声で教えてくれた。
「えっ、Kさんが?」
「そうよ、口では『あんまり行きとうない』とか、嫌々つきあってるふうに言うくせにね。内心すっごく嬉しいみたいで、家ではニコニコしながらずっとその話をしてるんだって!」
「そうかあ、覚えてたかー!」
私もニコニコしてしまった。

明日は「おでかけ」の日。
職場ののデイサービスでは年に1度か2度は遠出を企画する。
コンサートだったりお花見だったり、普段のお散歩よりはちょっと良いところ。
明日はそういう日なのだ。

だが利用者のKさんは普段から閉じこもりがちで、買い物にすら行こうとしない。
朝目が覚めても楽しいことは一つもなくて、
「お仏壇にむかって『お父ちゃん、早く迎えにきてください、そっちへ行きたいわ』ってお願いしてるねん」
とよく話している。
買い物よりも彼岸に行きたいのだと。

可愛がっていた犬が亡くなってからはさらに笑顔も少なくなっていた。
物忘れがひどくなり、さっき何をしていたのかもすぐに忘れてしまうようになった。
デイサービスで笑ったことも、おいしかったおやつも、ぜんぶ忘れてしまう。
だから
「来週はお出かけですよ」
と言ったって絶対に忘れちゃう・・・と、思っていたのに!
なんと1週間ずーっと覚えていたというのだ。

辛抱づよい性格でつらいことをいっぱい我慢してきたKさんだ。
あからさまに喜ぶことをためらっているのだろうか。
大事なものほど壊れやすいと知っているせいだろうか。
あまり表にはだしてこなかったのに。
内心では、ずーっと楽しみにしてたんだな。

同僚によると、仲のいい利用者さんどうしで「明日はお金持っていったほうがええのか」とか「どんな服を着ていこうか」とか、相談していたらしい。
明日を楽しみにしているのはKさんだけじゃないのだ。


(シシィさんは毎日楽しそう)

高齢者にとって
「明日が楽しみ」
というのはすごく貴重なことではないだろうか。
なにしろ「もう目覚めないかもしれない」と思いながらお布団に入る人も多いから。
体が動かなくなって、心も動かなくなって、何も楽しいと思えなくなって。
未来は暗がりへと沈み、希望は小さく縮んでしまう。
歩いていく先には逃げようのない死が待っている。
そんな暮らしの中では、ちょっとした楽しみが大きな輝きになる。
たとえお茶を飲みにいくだけだとしても、予定のある「明日」という日が待っていることはとても大事なことだ。
しかもそれが仲のいい友達と一緒に行くのだとしたら、素敵なことだ。
「明日が楽しみ」。
なんて希望にみちた、幸せな言葉だろう。

明日のお出かけ、スタッフは少し大変だけど、みなさんにたくさん楽しんでもらいたいなと思う。
だから私も・・・明日が、楽しみ。がんばろ。

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