自分の楽しみをあきらめた理由

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先日、利用者さんに「怠惰です」と言われてしまったとおり。
私はさぼっていた。
手を抜きまくっていた。
家の介護も。
介護ブログを書くことも。
最低限にしておこうと、逃げていた。
なんだかちょっと疲れてしまっていたのだ、介護というものに。

本格的に追い詰められてしまう前に、少し介護から離れる時間を持ちたい。
自分自身の時間をもってリフレッシュしたい。
そう思って
介護をつづけていくために、しばし介護を忘れます
という記事を書いてブログを休止した。
ほら、最近よく言うじゃない?
「逃げてもいいよ」
「自分を大事に」
って。
私も「ちょっとくらい逃げていいかな」って思ったんだ。

それから半年間。
私は全力で現実逃避をした。
オンラインゲームという、介護とは無縁の世界に没頭したのだ。
夕食とお風呂を済ませたら、あとは楽しい遊びの時間!
ちょいちょい両親の様子をみたり、寝る支度をする以外は、毎日3~4時間も画面の前で過ごしていた。

それは本当に楽しい時間だった。
私はゲームはへたくそだけど、そこには別の世界が・・・介護とは無縁の世界が広がっていたから。
グラフィックが綺麗とか旅行気分を味わえるというだけではない。
MMOでは他のプレイヤーと遊び、チャットをすることができる。
おしゃべりができるのだ。
私は大勢の友達をつくった。
何時間でもしゃべった。
一晩中でもチャットをした。
お酒を飲みながら、敵をやっつけながら、いろんな話をした。
くだらない話をした。
悩みも聞いた。
打ち明け話も聞いた。
恋の話で盛り上がったりもした。
ファンを見つけてエリザベートごっこもしたなあ。
ゲームの世界は基本的に若い人ばかり。
現実には高齢者に囲まれてオムツの話ばかりしているのに、この世界では若者の恋愛を見守ったりしている。
それがなんだかとてもうれしくて、健全だった。
友達みんなが大好きで、本当に楽しかったなあ。
みんな優しい、いい子たちだったんだ。

でもちょっと・・・楽しみすぎちゃった。
遊んでる間はどうしてもそちらに集中してしまう。
目を離し、ゲームに没頭してしまう。

介護って油断ならない。大丈夫だと思った隙に何かが起こる。
オヤジが転倒したとき、私はすぐには気づけなかった。
母がトイレに行きたいと呼んでいるのに
「今いいところだからちょっと待って!」
と30分も待たせたこともあった。
それがダメなことはわかっていた。
でも、やっと見つけた自分の楽しみを邪魔されたくなかった。

そうして「自分を大事に」手を抜いて、逃げつづけ。
ある日デイサービスから電話があった。
「お父さんの股がかぶれて浸潤液がでています」
と。
慌てて受診させると
「汚れたオムツを替えずに履きつづけたのでしょう」
と言われた。
オムツかぶれだった。

オヤジは自力でリハパンを替える・・・替えることができている、と思っていた。
それがいつの間にかできなくなっていたのだ(いつの間にか!?)。
汚れていることに気づけない。
もしくは、面倒だから替えないのか。
自分の力ではできなくなっていた。
私はそのことに気づけかった。気づかなかった。
・・・近頃、母の麻痺側がひどく痛むのも、リハビリ不足があらわれているのかもしれない。

冷や水をぶっかけられた気持ちだった。
何をやってるんだ、私は。
遊びの時間はもう終わり。
もっと丁寧に暮らし、ちゃんと両親の介護をしなくちゃいけない。

そのちょっと前に、利用者さんから
「あなたが文章を書かないのは怠惰です」
と叱られたこともあり。
私はゲームをやめた。
時間を決めてちょっとだけ、なんて器用なことはできそうになかったから、思い切って一切合切、全部やめた。
PS5は箱にしまって片づけた。

でも、せっかく見つけた「自分だけの楽しみ」を手放すことが惜しくて、そして何より友達と別れるのが寂しくて、悲しくて。
たとえオンラインだけのつながりだとしても友達は友達だから、ちょっと泣いた・・・わりと泣いた。いや、けっこう泣いた。
10年前に旅をあきらめたときも、こんな気持ちだったなあ。

でも仕方がない。
没頭しちゃう自分が悪いし、咄嗟に手を止められない趣味は在宅介護と相性が悪い。
また何か、楽しいことを探そうと思う。
・・・ゲームなら家の中でできるし、他人とも交流が持てるし、いい気晴らしいになると思ったんだけどなあ。

(猫たちは私がゲームをやめたので大喜びでした)

ゲームと違ってリアルは一筋縄ではいかない。
マニュアルもないし攻略法もない。
大抵のことはうまくいかないものだ。
それでも。
どんなにせつなくても。
何度でも立ち上がり、前をむいて進んでいこう。
すべてを糧にして自分を研いでいこう。
「いい年こいて」と嗤われたとしても。
人生に無駄なんかない。
宝塚も、旅も、これまでに手放してきたすべてが私の力になってくれた。
遊んで遊んで、今がある。
エオルゼアでの出会いや別れもきっと未来へ進む力となってくれるだろう。

コメント

  1. だださん 読んで涙が出ました
    お休みしますって半年も経ってたんですね
    たった半年でも 少しでも リフレッシュできてたんですね
    良かった、、、潰れなくて、、、
    でも たった半年で お父様は衰えが進んでしまったんですね
    お母様は だださんの気持ちを理解してくださってたと思います
    気がすむまで待っててくださったと思います
    でも でも 覚悟を決めて 次の行動に移せる だださん
    すごいです!
    いつかは終わる介護生活 ある日突然終わる介護生活
    でも いつまで続くか 先が見えない介護生活
    それも二人、、、
    妹さんを施設にお願いした時は 苦渋の決断だったけど
    よくぞ決断されたと褒めてあげたいです
    ブログでトップ3に常駐されてる ということは
    それだけたくさんの読者の方々が だださんを応援してるって事だと思います
    みなさんからのパワーを感じて 日々をお過ごしください
    無理せずに マイペースで

    • ありがとうございます。
      妹を施設に入れるときは本当にしんどかったです。
      おかげで、家族を施設に入れる気持ちも、在宅を選ぶ気持ちも、両方を理解できるわけですが。

      遊びによるリフレッシュって大事なんですけど、甘やかしすぎると中毒になりますね。
      叱ってくださる方があるのはありがたいです。
      趣味って、自制して日常に支障のでない範囲でするべきなんですけど、私は宝塚でも旅行でもそうだったように、ハマりすぎる傾向があって。
      なかなか加減が難しいです。
      そのあたりがどうしても成長しませんね。

  2. うーん、でも、父上のお股がかぶれたのはだださんのせいではないですし、母上の疼痛も季節や加齢といった要因も大きいのではないでしょうか。

    自分がゲームに没頭せず、もっと気を配っていればと悔やむ気持ちは理解できますが、あれもこれもだださん1人のせいかと言われれば、それは違うと思います。

    ワタシはだださんが時間を忘れて没頭できるくらいゲームを楽しんで、介護の無縁のお友達と心ゆくまでお喋りできたことはとても良かったと思います。

    ご自身でもまとめてらっしゃいますが、全てを介護に注ぎ込んでもうまくいかないこと、ああすれば良かったこうすれば良かったと思うことは必ず出てきます。

    どちらを選んでも、100点満点はあり得なくて、いいところ及第点か平均点スレスレです。

    どちらもうまくいかなかった結果になるなら、少しでも成果があった、或いは後悔の少ないほうを選ぶしかありません。

    ワタシ達に持てる時間は決まっている以上、誰もがその中で眠ったり、駆けずり回ったり、勉強したり、現実逃避したりしています。
    (だったら寝なきゃいいじゃんという無理はもう出来ないお年頃)

    「書かないのは怠惰です」と叱咤された言葉は厳しいようでもとても愛に溢れた道標だと思いますが、叱咤の言葉はとりあえず有り難く頂戴し、その上で、まず自分のできる時間割で無理なく動いていくしかないと思います。

    エオルゾアでの冒険もきっと無駄ではない、何かしらの実りを導くツールになるはずです。

    • ありがとうございます。
      半年前の私なら、父の変化に気づいていたと思います。
      母の足の痛みがひどくなったのもここ数か月のことで…。
      あのままゲームに没頭していたら、オムツかぶれではすまず褥瘡にも気づかずにいたかもしれませんし、介護事故が起こる可能性もあると思い切りました。
      もとより百パーセントは目指していませんが、「私が遊んでいたせいで」と後悔はしたくなかったです。

      「怠惰だ」と叱ってくださった利用者さんは、私のことを気に入ってくださって、本も読んでくださって(100歳なのに)。
      「私にはできないことがあなたにはできる。神様からもらった力をのばしなさい」と激励してくださったわけで。
      いつまでもヌルヌルしていてはいけないと、目が覚めた気がしました。

      オンラインではありましたが、優しい人たちとの出会いは宝物で、本当に良い時間でした。

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