退院から2日。オヤジが朝から青い顔をしている。便秘でお腹が痛いらしい。
だがそんなことは言っていられない。
「それどころじゃない!」
とオヤジは青い顔のまま唸った。
「今日は忘年会なんだ!」
退職後、唯一みつけたオヤジの居場所。唯一の遊び場。将棋サークル主催の将棋大会と、忘年会が行われるのだそうな。
オヤジはこれを1か月以上前から楽しみにしていた。入院するときも
「忘年会には間に合うよな?」
と何度も何度も確認するくらい大事に思っていたのだ。
退院間もないからって、ちょっとくらい体調が不安だからって、足元が不安だからって、認知能力が怪しいからって、体力がないからって、そんなことで休んだりできない!
私は心配だった。
もし、また転んだら?
もし、ケガをして血が止まらなくなったら?
もし、みんなの前でお粗相をしちゃったら?
周りにものすごい迷惑をかけてしまう!
場合によったら二度とサークルへ顔出しできなくなるかもしれない。
それでも私は止められなかった。楽しいことをやめろとは言えなかった。
ただ、何度も何度もくどいくらいに釘をさした。
「お酒は絶対に飲まないこと。
しんどくなったら無理をせずに帰ること。」
オヤジは自分の状態がよくわかっていないし、何度いわれてもすぐ忘れてしまうから、噛んで含めるように何度も何度も、何度も言い聞かせた。ただでさえ血が固まらない薬をたくさん飲んでいるのに、アルコールが入ったらさらに危険だ。ほんの些細な傷でも大量出血してしまうのだと。
「わかった」
オヤジは神妙にうなずいた。
朝10時半に、将棋大会の会場近くまで車で送った。
車をおりたオヤジはおぼつかない足取りで横断歩道を渡っていった。
ふら、ふら、ふら。
・・・大丈夫かなあ。
途中、何度か電話をかけてみたが出なかった。きっと気づかないんだろう。
「大丈夫かなあ」
「転んでないかなあ」
「迷惑かけてないかなあ」
母と2人で心配してた。
暗くなってきた頃にもう一度電話をしたが、やっぱり出なかった。
「迎えに来てくれ」
ようやく連絡があったのは夜9時。オヤジは無事に将棋大会と忘年会をクリアしたようだ。車にのりこんで第一声が
「おもしろかった!」
だったから。
2つ年上のおもしろい人がいたんだって。
会長さんのお宅で忘年会をやったんだって。
奥さんが若かったんだって。
「みんなはカラオケに行ったけど、俺はもう限界だからやめた」
無口なオヤジが久しぶりにたくさんしゃべるのを聞いた。話すのも動くのもゆっくりなオヤジに付き合ってくれる、良い人たちなのだろうと感謝した。
暗くて顔がよく見えないが、オヤジは素面のようだった。
お酒のまなかったの?えらかったねえ!
「うん、ガマンした!」
えらいえらい、といっぱい褒めた。
でもよく聞いたら
「水割りとビールを・・・」
ちょっとは飲んだらしい。飲んだことは覚えてるんだ。
まあ、結果オーライだ。
転びもせずケガもせず一日を無事に過ごせたことにほっとして、帰宅するやいなやオヤジはどっかりと居間に座り込み、そのまま動けなくなった。
「疲れたー!」
体力も気力ももう限界なのだろう。
ほんとによく頑張ったと思う。
「お父さんたら『ただいま』も言いに来ない!」
母がすねていた。
そのあとオヤジはいろいろ失敗してたけど、家の中のことだから、まあいいや。