私ときたらビビリのヘタレなもんで、受賞に動揺しすぎてお腹はこわれるわ夜は眠れないわって状態だったのですが。
お腹をこわしても眠れなくっても。
それでも朝はやってくる。
「仕事だー!」
今日はデイサービスの日。
それもとくべつな日だった。
私が働くデイサービスは女声コーラスに力を入れていて、ソプラノとアルトに分かれた二部合唱をがんばっている。今日は隣町の公民館で催される「歌声喫茶」というイベントに招待され、歌うことになっていた。自分たちの楽しみのために歌うんじゃない、お遊びじゃない。 お客さんに聞いてもらために歌うのだ!
今日のために利用者さんたちは毎日毎日練習した。といっても平均年齢90才くらいだし認知症の方も多いからどんなに練習しても忘れてしまう。歌ったことすら忘れてしまう。コーラスなんてやったっけ? とか言われる。
だからもちろん
「歌声喫茶で歌うんですよ」
と言われても覚えられない。
当日になっても
「今日は何なの?」
会場へ行っても
「ここは何なの?」
名前をよばれても
「何が始まるの?」
と、かなり当惑気味だった。
だが舞台でお客さんの前に立ち、オルガンが前奏を奏ではじめるとスイッチが入る。
「ああ、歌うのね!」
今日の歌は今までで一番じょうずだった。といっても、音程がとれてたとか、ハーモニーがどうとか、そんなんじゃない。どんなに練習しても素人の声には顔と同じく皺が寄る。
そういう意味じゃなく。
歌声が生きていたんだ。
平均年齢90才のおばあちゃんたちが瞳をキラキラさせて歌う歌だ。ずっとひとり暮らしでどこへも行けないでいた方が、たくさんの拍手喝采をあびて歌う歌だ。物忘れに悩み家族に叱られている方が、喜びに満ち溢れて歌う歌だ。体がずいぶん悪くなって、あまり食べられなくなってきた方が、いつもよりずっと大きな口を開けて歌う歌だ。きれいな服を着て、コサージュをつけて、お化粧をして歌う、ハレの日の歌だ。
高齢で介護が必要になった人たちにとって、ハレの舞台がどんなに重要なことか。拍手にはどんなに大きな価値があるか。じょうずだねえってほめてもらうことが、どんなに大きな輝きをうみだすものか。私は初めて思い知り、なんだか泣きそうになりながら一緒に歌っていた。
客席からはたくさんの拍手が湧き上がった。
利用者さんたちははちきれそうな笑顔で歌い終わり、席に戻った。
それから
「今日はじょうずに歌えたねえ!」
と満足そうに百回くらい同じ言葉を繰り返した。百回も繰り返すほど嬉しかったのだと思う。
認知症の方はすぐにきれいさっぱり忘れちゃうんだけど、でもいいんだ。幸せだったから、笑顔だったから、じょうずに歌えたから、いいんだ。
そのあとみんないっしょに『川の流れのように』を歌った。
知らず知らず 歩いてきた 細く長い この道
振り返れば 遥か遠く 故郷(ふるさと)が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
(『川の流れのように』作詞 秋元康)
90年を生きてきた利用者さんたちの人生もきっと、でこぼこ道や曲がりくねった道だらけだったんだろうなあと思った。
それから私自身の道も思った。利用者さんたちの半分くらいしかないし、たいしたでこぼこもないが、地図さえない道であるのは同じだ。
どこに進むのかわからない。どこへ着くのかわからない。そんな道を歩いていく中で、今この瞬間はとても幸せだった。「きょうは上手に歌えたねえ」ってニコニコ笑って繰り返してる日だまりのような一日だった。あんまり幸せでまた泣けてきた。
幸せな一日が終わる前に私は受賞の報告をした。上司や先輩はものすごく喜んでくれたし、利用者さんたちも拍手してくださった。デイの日記(連絡帳)に「受賞おめでとうございます」って書いてくださった方もいた。
『おでかけは最高のリハビリ!』を書いたのは介護の仕事を始めたばかりの頃。原稿がすすまなかったり訪問の仕事で失敗したりと凹むことがあっても、デイの利用者さんたちにはいつも励まされ癒やされてきた。本当にありがたい職場だ。
人生いろんなことが起こる。思ってもみないことが起こる。一歩一歩、歩いていくことを大事にしよう。私の大好きな人たちが笑顔になるような。そんな仕事をしてきたい。
仕事を終えて帰り際、利用者さんから電話がかかってきた。
「今日は何を歌ったんだっけ?」
歌ったことは覚えてたー!やったー!
コメント
受賞のお祝いが遅くなりました。
気配の事も怖いですね
私はもう親が90ですからいい歳なのですが、頑張っておられるお母様に追いつけとばかりに、コンクールに出てみました。怖かった (笑)
でもいい経験も出来ましたし、84歳の男性が声楽で受賞されました。
音楽はいいですね、練習時間には疲れて気を失って(いや、寝落ち)いますが、若い方々には気持ちだけでも追いつきたいと思います。
また本を読み返して私も頑張りますね
じーじょさん、ありがとうございます!
コンクールに出られたのですか!
それはそれは緊張されたでしょうね。
私には経験がないのですが、母がよく
「筆記試験と違って消しゴムで消せないから怖い」
と言っておりました。
84才の方、すごいですね。
いくつになっても新しいことに挑戦するのは良い刺激になるのでしょうね。
私も負けずにがんばります!