施設入所中の妹を日帰り帰省させた。
月にたった一度のことだけど、だんだん難しくなってきたなあと感じる。
1年前まではオヤジも元気で、妹の送迎もやってくれたし、車椅子への移乗も手伝ってもらえた。私が妹をみている間、母のトイレ介助もやってもらえた。
2人で2人をみている状態だった。
だが今のオヤジは…。運転はさせられないし、妹を抱き上げる力もないし、母のトイレ介助なんて危なくて絶対に無理! それどころかオヤジ自身にも見守りが必要な状態だ。
つまり、妹が帰宅すると、私一人で3人をみることになる。
1:3の介護は、さすがにちょっと面倒くさい。
いや、だいぶ面倒くさい。
それでも妹は帰宅させてあげたい。
いや、帰ってきてほしいと思う。
車の中で妹と2人、いろんな話をする。
妹はいっぱいしゃべる。
私もいっぱいしゃべる。
2人でいっぱい笑う。
もちろんケンカもする。
妹には重度の障害があるのでまともに喋ることができない。
だが喋れないからといって意思疎通できないわけではない。
「鍋に入れるキノコは何がいい?」
と尋ねると、妹は妹にしかわからない言語で「ウニャムナ!」と答える。
「『ウニャムナ』ってなんやねん」
とツッコミつつ、私は
「エノキ? シメジ? 舞茸? エリンギ? 椎茸?」
いくつか選択肢を提示する。
すると妹は『椎茸?』のときに
「ハイッ!」
元気よく返事をする。
念のためにもう一度、同じ選択肢をならべると、やっぱり『椎茸?』のときに
「ハイッ!」
にっこり笑って返事をする。
それで私は椎茸を買いに行く。
お鍋を食べるとき、母は車椅子で、オヤジはイスで食べる。
妹も車椅子に座らせようと思ったのに
「イヤ!」
と言ってきかなかった。
家では布団でゴロゴロして過ごし、ゴハンを食べるのも布団に座ったまま、と決めているのだ。
「ズボラだな!」
と家族は叱るが、ズボラと言われた妹は、
「ウフフフ」
と低く笑っている。含みのある笑いに気がついて
「・・・もしかして、気をつかってる?」
ちいさな声で尋ねると
「ウン」
妹もちいさく返事した。
我が家のリビングダイニングは狭すぎてベッドを置くことができない。床に敷いた布団から車椅子への移乗はかなり体力がいるのだ。姫抱っこで担ぎあげなくちゃいけないから。布団のままのほうが私の負担にならなくて済むと、妹なりに考えたのだろう。
どこかの大量犯罪者は「意思疎通もできない重度障害者は社会のお荷物だから殺したほうがいい」なんて言った。うまくおしゃべりができなくても、ただ表現方法が違うだけで、同じ感情を持っているのに!
施設へ入所させるのは家族を捨てることになるのだと、みんな邪魔だから捨てるのだろうと、本気で思っている人もいる。たとえ一緒に暮らすことが難しくても、家族には違いないのに。ただ、適度な距離感が必要なだけなのに。
仲のいい家族でも「適度な距離感」が必要なのは健常者でも同じではないだろうか?
適度な距離を置いてこそ、幸せな関係でいられるのだ。
スーパーに椎茸を買いにいく間、母とオヤジと妹は3人だけで留守番をしていた。
ちょっと不安だったので、一人ひとりに
「2人をお願いね」
と頼んでおいた。
母には
「お母さんが一番しっかりしてるんだから、2人を頼むね。危ないことをしないように見ておいて」
と頼み、
オヤジには
「お父さんが一番動けるんだから、2人を頼むね。お茶とかこぼさないように見えておいて」
と頼み、
妹には
「お父さんもお母さんもアテにならない。あんたがしっかりしなさい。私がいない間は、あんたが両親をみてちょうだい」
と頼んでおいた。「障害者だって関係ないよ。あんたも親の介護をしなさい!」
妹はちょっとびっくりして黙った。
「手も足も口も目玉も、自由に動くところなんて一つもないのに、どうやって親の介護をしろというんだ!」
と言いたげだったから
「両親が困らないように、いい子にして、話し相手になってあげて。それだけで2人とも喜ぶから」
と言いつけておいた。
20分くらいで帰宅すると、家の中はびっくりするくらい静まり返っていた。見ると全員、私が家を出たときと同じ姿勢のまま動いていなかった。
どうやら3人が3人とも
「私がしっかりしなくちゃ!」
という使命感にかられ、でもどうすればいいかわからなくて、固まっていたのだと思う。
母いわく
「U子もすごくいい子にしてた」
とのこと。
おかげで安全に過ごせたようだ。
ケアの三竦み作戦(ちょっと違うか)は今回も大成功!