オヤジ、初めての認知症検査

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オヤジが認知症のテストを受けた。MRIを撮るついでにテストを受けさせてもらったのだ。

受けたのは長谷川式スケール。実は、ちょっと前に家でもやってみたのだ。そのときの結果はさんざんで、今日の日付をきくと「1999年。2000年の1年前!」和暦は「昭和54年!」と完全に前世紀まで戻っていた。計算はほとんどできず、記憶もさっぱりだった。

ところがだ。
今日のオヤジは一味違う!
孫が遊びに来たもんで、嬉しくて、張り切っちゃって、むちゃくちゃ元気。頭がハッキリしただけではなく声も顔つきも歩き方まで変ったくらいだ。

先生「今日の日付を教えてください」
オヤジ「2019年12月です」
先生「和暦では?」
オヤジ「令和元年です!」

完璧ではないか。ちゃんと現代ではないか。
計算もできた。
迷路もできた。
記憶の問題も3つのうち2つはできた。
家でテストした時とはもはや別人である。

ただ一つつまずいたのは
「哺乳類をできるだけたくさん挙げてください」
という問題。
「犬。猫。えーと」
たった2つで詰まってしまった。哺乳類なんてゾウでもブタでも人間でもたくさん出てきそうなものなのに、なぜか思いつかない。うーん、うーん、と考えこむこと数十秒。ようやく出てきた哺乳類、それは
「ラッコ!」
まさかのラッコであった。何か? ちょっと自分に似ているからか?「ジョバンニ、ラッコの上着がくるよ!」といじめたい気分になったのは私だけじゃなかったとはずだ。先生も
「また難しいのが来ましたね」
と笑ってたから。

本日のハイライトは最後の最後に訪れた。
「現在の趣味や楽しみにしていることは?」
という質問に対し、オヤジは意気揚々、
「競輪です!」
と答えた。それだけでは飽き足らず
「実は必勝法を見つけましてね、これが確実に儲かるんですよ・・・」
生き生きと語り始めた。
・・・ダメだ、先生、聞いちゃダメだ!
「そうなんですかぁ」
私の願いむなしく、先生は相槌をうってしまった。オヤジは嬉々として競輪必勝法について長々としゃべった。自分のバカさ加減を自慢しているとしか思えない。
「当てるためには最低3万くらい賭けなくちゃ意味ないのに、コイツが(と私のほうを指差し)ケチして金をくれへんのですよ」
とか言い出した・・・母の預金通帳に手を出そうとしていたことを思いだし、殴っちゃおうかと思った。もうイヤすぎて恥ずかしすぎて泣きたかった。

私は猫になりたい。

結局、オヤジ初めての認知症テストはラッコ以外はほぼクリア。点数は驚異の26点(30点満点中)。脳の写真をみても「病的とまでいえるほどの萎縮ではない」とされた。
「今のところは認知症とはいえませんね」
先生は優しく微笑んだ。
「よかったですね」

「よかったじゃないの」
結果を報告すると他の人にもやっぱりそう言われた。
よかったねって。
よかったのかな。
どうなのかな。

認知症じゃなかったのはよかったのかもしれない。
じゃあ。
じゃあ!
なんだというのだろう・・・10分に3回も同じこときいてくるのは? 今食べたことを忘れて天ぷらうどんばっかり何度も注文するのは? シャワーの使い方もガスコンロの使い方もわからなくなるのは?パンツびしょぬれでむちゃくちゃ臭いのに処理させてくれないのは? 私がこんなにも苦労してるのは幻にされちゃうわけ?

誤解されるかもしれないけど、もし認知症だと言われていたら、原因がハッキリしたら、病気だとわかったら、私はもっと寛容になれるだろうし、オヤジにもっと優しくできるだろうし、私自身も楽になれたかもしれないと思う。

このままずっと今日みたいにしっかりしていたら問題ないが、孫たちが帰ったとたん、ガックリきて元に戻ってしまう可能性は大きい。ものすごく大きい。
「そうなったらまた来てください」
って言われた。また仕事を休むのか・・・もう3週間もまともに仕事できてないんだけど。

先生に
「精神的な落ち込みが原因の場合もありますよ」
といわれた。うん、知ってる(退職してから競輪にいくお金がなくなって凹んでいた)。

私は最初から廃用性の鬱症状からくるのだろうと疑っていて、ここ数ヶ月は一生懸命それに取り組んできたけどあんまり変わらなかった(だって競輪にいくお金は湧いてこないから!)。

近所には評判のいい心療内科があんまりなくて、それでも予約しようと思ったら予約が3ヶ月待ちだったりするらしい。今から予約しておくべきかだろうか。(私がケチで競輪のためのお金を渡さないことが落ち込みの原因とか言われたらどうしよう。)

タイミングの悪いことに要介護認定の調査が月曜に来ることになっている。この調子では要支援さえもらえないだろう。そうなると、私のこれまでの苦労もこれからの苦労も、誰からも無視されることになる。なんの援助も受けられないことになる。どうしよう。

コメント

  1. 認知症検査で妙に頑張っちゃう…わかります‼︎
    私の母もお父様と同じくらいの症状の時に病院で長谷川式をやってもらった時21点で脳の萎縮もまだ認知症とは言えないけど、その前段階の軽度認知障害(MCI)の診断はもらえました。
    その時1人暮らしで家族が遠距離であることも考慮され認定調査の結果、要介護1でした。
    ただ要介護1をもらっても1年間はデイにも行ってくれず、訪問介護も受け入れてくれませんでした。
    モヤモヤした気持ちで1年半過ごしてその後アルツハイマー型認知症の診断を受けました。
    病名をもらうとやっぱりそうだったと、理解し優しくなれますが、同時に進行は遅らせても治る病気ではないとあきらめに近い気持ちとこれからの不安で一杯でした。
    「まだ認知症とは言えない、よかったじゃないの」は介護者にとっては苦労が水の泡のように思えますがもしかしたら改善の余地もあるかと…
    うちの場合は認知症の診断された後、病院からはお薬と経過観察されるだけ、介護保険も歩けてトイレにいけてるうちはあまり役に立ちませんでした。
    お薬よりもだださんがやってるような生活改善が一番だと思います。

    「私のこれまでの苦労もこれからの苦労も、誰からも無視されることになる…」
    だださんの責任感の強さからの言葉だと思いますが少し悲しくなりました。
    周りの人達はだださんの頑張りを見て理解していますからね!
    私も応援している1人です!

    • ありがとうございます!
      「認知症じゃなくてよかったじゃない」
      という言葉が
      「認知症じゃないなら、たいしたことないでしょう」
      と聞こえてしまって…。「なにを大袈裟な」みたいに思われてたら悲しいなあと思いました。
      父のためというより、私は自分のために何かを認めてほしかったのですね。

      介護保険がおりたら手すりをつけられるなあと皮算用してましたが、難しそうです。
      今のいい状態をどうやったら維持できるのかなあと考える日々です。
      博打こそが最上の薬なんて言われたら破産する…。

      明日は認定調査なんですがどうなることやらです。

  2. 家族って気持ちを寄せた分だけ何かの拍子に受けるダメージが思いのほか大きくて、不安とやり切れなさに包まれてしまいますよね。そういう時の気持ちは説明しても人には伝わらないし、言葉にするとなんだか違うものになるし、やり場のないどうしようもなさは誰にもわからない、家族でも兄弟でも…ね。
    でも、ここに来ている人たちは、だださんがどんな思いで日々を過ごして、どんなことに心を動かして、どんな風に前へと歩んで、そしてどんなに家族を大切に思っているか、きっとみんな知っていますよ。
    心がキュッとなってひとりぼっちになってしまう時もあるけれど、「だださん、ひとりじゃないですよ〜」と声を大にして言いたいです^ ^
    私は1日の終わりにだださんのブログを読んで、明日へ向かう元気を何度も何度ももらいました。
    ほんとうにありがとうございます!と、特大のエールを!

    • 特大のエール頂きました!
      優しいお言葉をありがとうございます。
      おっしゃるとおり…やり場のないどうしようもなさ、なのです。
      でもこうやってブログに吐き出し、皆さんに読んでいただくことで私は救われています。
      私は一人じゃないんですね。
      私の心のそばにいてくださって、本当にありがとうございます。