介護の仕事には別れがつきまといます。施設に入ったり入院されたり亡くなったり、理由はいろいろですが、大抵どのケースでも
「私の仕事はあれでよかったのだろうか」
「もっとこうすればよかったかもしれない」
「もっとああすればよかった」
という後悔がたくさんうまれます。
せめて次に活かそうと自分に言い聞かせるしかないのですが。
そんなことを考えているうちに、どうしても書きたくなってしまったものがあります。以下に載せる文章は、実際にお会いした利用者さん数人の話をパッチワークのようにまとめたものです。もうサービスが中止になってしまった方々です。どういわけか今年は犬猫をかっていらした方が重なったのでこんな話になりました。でも、書いてるうちに寂しくなって、オチらしいオチはつけていません。ピーマンを炒めていた利用者さんは翌朝倒れて亡くなりました。
長いし、いつもに増して粗い文章ですが、暇つぶしに読んでいただければ幸いです。
里山と田畑にかこまれた家で生まれ育った。貧しくて貧しくて子供の頃はいつもひもじかった。冬は眠れないほど寒かった。足袋を買うこともできなかったから仕方なく自分で縫った。母親は早くに死んで誰にも教わることができなかったから、裁縫も見様見真似だ。みっともない足袋だった。
学校にはほとんど通えなかった。田んぼの手伝いに忙しかったのもあるが、喘息で寝込んでいたせいだ。学校に行きたいなあ、友達と遊びたいなあと思いながら床についているのは退屈でたまらなかった。そんなとき先生が一冊の本を貸してくれた。80年経っても忘れもしない。黒蜥蜴だ。江戸川乱歩だ。なんてものすごい世界があるのだろうと思ったよ。それ以来、本が一番の友達になった。漢字はだいたい乱歩で覚えた。横溝正史も読んだ。怖い話が好きだった。
その頃は猫がたくさんいた。床下で子供をうんだらしくミーミーと声がする。そのたびに父親が床下にもぐり、子猫を掴んで出てくると川へ捨てにいった。昔はみんなそうしていたものだ。子供心に耐えられず
「どうか捨てないでください」
といつも頼んだ。いつも聞き入れてもらえなかったが。
たまに、捨てられる前の子猫を見つけると布団の中に入れてやった。そうするとあったかいからだ。ふわふわで、かわいらしくて、ずっと一緒にいたかった。つらいことを忘れられる気がした。だがすぐに父親に見つかってしまい、結局は川に連れていかれてしまう。そのたびに泣いた。わんわん泣いた。たった1匹でいい、子猫を助けるためならなんでもすると言ったが、それでも父親は許してくれなかった。
それから長い長い年月が長れた。いろいろなことがあった。会社づとめもしたし、社員旅行で海にも行った。結婚をして息子と娘を育てた。
猫嫌いの父親が亡くなったあとは何匹もの犬や猫を飼った。野良を捕まえては避妊手術を受けさせ、予防注射を受けさせ、食わせて布団に入れて寝かせてやった。どの子も長生きしたものだ。
70才でつれあいに先立たれ、そのあと何年もしないうちに息子まで死んでしまった。夫と息子の位牌を守って暮らしているうちに足腰が立たなくなってきた。医者がなんだか難しい病名をつけた。嫁いだ娘が心配して
「一緒に暮らそう」
と申し出てくれたが断っている。
歩けないわけじゃない。
「よっこらしょ」
と掛け声をかければ立ち上がることができ、手押し車みたいなシルバーカーを押せばゆっくりと歩くこともできる。左手は不自由だが、右手は一応つかえるので簡単な家事ならできる。生まれ育ったこの家を出る気はない。
自分以外だれもいなくなった家は余計に静かである。食器を片付ける音がやけに響く。まぎらわすために一日中テレビをつけてはいるが、何を言っているのか半分もわからない。コマーシャルでさえ何を宣伝しているのかわからない。テレビもおかしなことになったものだ。古い乱歩の小説を読み返すことだけが楽しみになった。
家は祖父が建てたものだから相当に古い。土間とトイレをリフォームしてからずいぶん経つ。屋根はあちこち継ぎ接ぎだらけだ。毎日磨きあげてきた木の床だけが黒光りしている。
昔ながらの田舎家は、いわゆるバリアフリー構造ではない。段差もあるし、だだっぴろい。玄関からベッドにたどり着くまでに必ず一休みしなければならない。台所は娘がきれいにやり直してくれたが、背が縮んでしまって棚の上に手がとどかない。脚立にのぼって取ろうとしたら、転んで腰を打ち、病院へ運ばれた。
デイサービスに通い始めた年の春、1匹の子猫が迷いこんできた。ひだまりのように真っ白な子猫。
「あんた、床下で生まれたんか。親はどこや」
尋ねても猫はきょとんとしている。牛乳を皿にそそいでやるとペロペロとなめた。そしてそのまま家にいついた。布団に入れてやるとあったかかった。
子猫はやせこけていたが、だんだんと肉がついてきた。鼻の下におかしな模様があるので
「ヒゲ」
と名前をつけた。
おかしな名前だ。
それがよかった。
子猫はやんちゃをするものだ。柱をひっかいたり、クッションにもぐりこんだり、一日中ゴソゴソ動きまわっている。敬老の日にもらった上等のショールをぼろぼろにしたり、畳を食いちぎったり、布団に尿をしたこともあった。そのたびに後片づけが大変だった。布団はあまりにも臭いので捨ててしまった。イタズラをするたび
「こら!」
怒ると、ぴゅーっと逃げていく。が、じきに戻ってきて同じことをやる。また怒る。繰り返しだ。ものすごくつかれるが、嫌ではなかった。家の中で命の気配がする。自分以外の誰かの気配。それが心地よかった。
声を出したいという理由でしょっちゅう猫に話しかけた。
「おしっこは、そこじゃないでしょ」
「いいこ、いいこ」
「もうご飯かい」
「ゆっくりお食べ」
息子が小さかった頃もこうやって話しかけたものだ。あの子は離乳食に苦労した。
「お母さん、もう猫はやめなよ」
娘にたしなめられた。予防接種を受けさせたいから動物病院に連れていってくれ、と頼んだときだ。
「年をとったら動物を飼っちゃダメなの。常識でしょ。幸い認知症はないけどもう83なんだから、いつ何があるかわからないし、何かあったときこの子がかわいそうでしょう。それに猫が足にまとわりついて転ぶ危険もあるし!」
そんなことを言っても、この子は床下でうまれた子だよ。うちの子だよ。
子猫をひざにかかえたまま親子ゲンカになった。
「どうか猫をとりあげないで」
だが結局、子猫は娘が連れていってしまった。川へ捨てたりはしないが、とりあえず娘の家に連れていき、そこで引き取り手を探すらしい。考えてみれば、子猫だって年寄りと一緒に暮らすより元気な若い人といっしょに暮らすほうが幸せにきまっている。きっとそうだ。よかった、よかった。
そう思おうとしたが眠れなくなった。家の中が静かすぎてやりきれない。冷たい布団にひとりで眠るのがつらい。本を読もうとしても集中できなかった。ぴくぴく動く耳や、紐みたいに細いしっぽ、小さな小さな肉球、大きな目。ふわふわした子猫が恋しくてたまらないのだ。
2日たち3日たち、デイサービスの職員に「食欲がおちてますね」と心配され始めた頃、猫が戻ってきた。朝になるといつのまにか布団に入っていたのだ。信じられなかった。夢かと思った。
「ヒゲかい?」
話しかけると、にゃあにゃあ鳴いてご飯をせがんだから本物だとわかった。
娘に電話すると「勝手に脱走した」とのことだった。車なら5分ほどだが子猫の足にはそれなりに遠い距離だろうに。
「猫にも帰巣本能があるのかしら」
とあきれていた。あきれながらも、予防接種や避妊手術のために車を出してくれるようになった。
猫との2人ぐらしはつづいた。シルバーカーの座面が気に入ったらしく、ちょこんと座っているので乗せたまま歩いた。
「おさんぽだねえ」
「ニャア」
「おまえは日本語がわかるんかな」
「ニャア」
「そうかいそうかい」
夜はかならず布団で寝た。
懐かしい感じがした。こんなにも誰かに必要とされるのは久しぶりだ。年をとるとどうしても他人の手を借りることばかり。逆に仕事はできなくなった。ひ孫の守りさえできないポンコツ婆は生きていても仕方がないとさえ思う。だが、こんなポンコツ婆でも猫の世話くらいはできる。子猫は私を必要としている。ちいさな肉球のついた手をのばしてエサをねだっている。その姿をみると
「子猫のためにもう少しだけ長生きしてやらなアカン」
という気になる。
ヒゲは、こんな名前にもかかわらずメスだった。2才の発情期のときオス猫につけねらわれた。なにしろ古い家だ。床下だの破れた雨戸だの、あちこちにある抜け穴から勝手に入りこんでくるのだ。気がつくと見知らぬ猫が台所にいたりする。娘やヘルパーさんがいるときは追い払ってもらえるが、普段は年寄り1人だとわかっているのか平気な顔をしている。当のヒゲは男嫌いらしく逃げ回っていた。
そうこうするうちにヒゲが帰ってこなくなった。
「ヒゲや。ヒゲや」
呼んでまわるが夜になっても姿を現さない。朝になっても布団はからっぽだ。足さえ元気ならそこらじゅうを探してまわるのにと歯痒かった。
「猫が家出をするのはよくあること」
と皆にいわれた。そんなことはわかっている。だが車にひかれたかもしれない。田舎道は交通量が少ないかわりにスピードが出る。一週間がたち、これはもう死んだのだとあきらめた頃にひょっこり帰ってきた。
「よかったあ!」
娘も喜んで猫のおやつをどっさり買ってきた。
平和な日々がつづいた。ヒゲは成猫になってもシルバーカーの座面が好きでいつでも乗ってきた。人の話をきくのも好きで、娘が来たり、ケアマネージャーさんと話し込んでいると、ヒゲは必ず2人の間に顔をつっこんでくるのだった。まるで
「わたしも話に入れて」
というように。
ある日、台所で転んだ。なにもないところで転んでしまった。起き上がることができず腹ばいで少しずつ移動した。こういうとき無駄にだだっぴろい田舎家はつらい。
「ヒゲや、電話機を持ってきておくれ」
と頼んでみても当然ながら猫は
「何をしているんだろう」
という顔で見下ろしているだけ。猫は本当に役に立たない。腹ばいで部屋の端まで到達するのに一時間かかった。汗だくである。ようやくのことで食器棚にすがって立ち上がると電話で助けを呼んだ。
入院中は娘がヒゲの面倒をみてくれることになった。
「一人暮らしはもう限界ですよ。このまま施設に入ったほうが安全です」
とケアマネジャーに言われたが断った。
安全とはなんだろう!? 病院の白い明るい壁に取り囲まれて気が狂いそうだというのに。何もせずベッドに寝ていると頭がボーっとしてくる。このまま病院にいると認知症になってしまう。家に帰らなければ。ヒゲが待っているあの家に。
「足さえ治れば家に帰ってもいい」
と医者がいうので、86才の本気をだしてリハビリに取り組んだ。ふわふわの猫のいる布団に帰るために。
3週間後、なんとか退院が許された。家に帰るなりヒゲが飛びだしてきた。ダーッと駆けてきたかと思うとジャンプして腕にかじりつき、
「にゃあああああ、にゃあああああ」
びっくりするほど大きな声で鳴いた。こんなにも感情を顕にする猫を初めて見た。
「留守にしてごめんな、ただいま」
しきりにあやまった。
退院後は以前よりもっと身体が動かなくなった。デイサービスとヘルパーさんの回数を増やした。ほとんど屈めないせいでヒゲのエサをよくこぼしたが猫は文句をいわなかった。ただ、気のせいかヒゲは以前よりも家にいる時間が長くなったようだ。食器棚の上にのぼって、こちらの様子をじっと伺っている。
「見張られてるみたいやなあ」
というと、ヒゲは黙って目を細めた。
季節がまたいくつか過ぎた。何度か転んだが入院には至らなかった。
シルバーカーを押してよたよたと歩き、野菜を切り、肉を炒め、ご飯を炊く。すぐにくたびれるから合間に何度も休憩を入れる。よっこらしょとソファに腰掛けるたび、ヒゲが食器棚からおりてきて擦り寄り、ゴロゴロと喉をならした。
「宅配のお弁当を頼むとかヘルパーさんに作ってもらうこともできますよ」
と言われたが、できる限り自分のことは自分でやりたい。生きているかぎり人間は働かねばならぬ。働くことをやめればダメになる。工夫すればまだ料理くらいできる。頭をつかって努力をすることが肝心なのだ。それにしても今年の夏は暑くてこたえる…。さあ、ピーマンを炒め煮にしよう。それから猫のエサの用意をしよう。
「にゃあ」
ほら、ヒゲが待ってるよ。
コメント
もう、おかげで朝から涙腺崩壊です。
特に、娘さんの家からおばあちゃんのお家の、寝ている布団に入ってきてにゃあって、もうねー。
高齢者のペット飼いはワタシも賛成出来ないのですが、この型の場合はもう引き離すことなんか出来ないですよね。
うちの近所にも独居の超高齢の方がザクザク住まわれています。
築5~60年の土間作りの(昔は店舗兼だったらしい)、上がって下がって上がって和室みたいな障害アスレチック動線のお宅、はしごみたいな急勾配の外階段の2階がお住いの下肢障害の男性を背負って送り迎えするデイの男性スタッフ、迎えに行ったら徘徊でフラフラ何処かに行ってしまって、幸い近所に居たのを発見された利用者さん。
独居でなくとも子供さんたちは仕事で不在がちなので、その間見張って居ないとどこで何するか分からない危険な方は大勢居て、介護者側としては「もう面倒掛けないで、大人しくしててください!」なんだけど、安全で清潔で平穏な生活は本当に人間らしい、その人らしい、生き生きと充実した日々なのかと問われると、結局はこちらの都合を押し付けているだけですから。
でも、一人の高齢者に対し介護者3~5人が交代で看られる余裕の環境が無理な以上、現状も苦肉の折衷案ですよね。
何かあったら、看ている人の責任追及するのが今の世間だし。
正解の無い、個々の案件ばかりの介護だからこそ、今は利用者さんのご冥福とヒゲ猫ちゃんの幸せとずっとご心配だっただろう子供さん達、特に娘さんの安堵をお祈り申し上げます。
長文を読んでくださってありがとうございます。
捨てたはずの猫が帰ってきたときは夢だと思って、
「いい夢やなあ」
と思いながらなでていたら本物だったそうですよ。
猫もなかなかやりますよね。
このおばあちゃんのような方はとても多いです。
家族を亡くした独居高齢者の孤独はとてつもなく深く、他人では心の穴を埋めることができません。
身体や生活のケアは介護保険で考えますが、仕事の範囲が細かく決まっているので心のケアまでは及びません。
ヘルパーよりも遠方に住む我が子よりも、犬や猫のほうがずっと心に寄り添ってくれるんです。
そして犬猫の面倒をみなければという「仕事」が生きる張り合いになり、心と身体をシャンとさせてくれるようです。
犬や猫をきちんと飼うことも介護の一環としてサポートできれば理想的なのですが、現実には難しく、あちこちで悲劇が起こってしまいます。
どうでもいいのですが、訪問ヘルパーにとって古い田舎家のつらいところはネズミとかGとか各種虫さんとか大量のコウモリのフンとかです・・・トラウマ・・・。
初めまして、主人が脳出血で高次脳で要介護1です。だださんの書く文章がとても好きです。介護ブログという括りではなく短編小説を読んでいるような気がします。だださんの紡ぐ言葉はこの世界から逃げ出したい時にいつもパワーをチャージしてくれる回復力のような力を持っていると思います。
初めまして。
ジャンルはいろいろ変わりますが、しんどい時に読んでもらえるような文章を書きたいと思っています。
読んでくださる方がいらっしゃるからこそ書けるものなので、私の文章を読んでくださってありがとうございます!
だださん、この物語、しみじみといいねぇ。
おばあさんが亡くなった後、ヒゲちゃん、誰かにもらわれたのかなぁ。
この物語のおばあさんの姿に、これからのうちの母の姿が重なります。
自分のことは自分でやりたい(うまくできなくても)。
それに誰かの(猫でも)役に立ちたい。誰かに必要とされたい。
さて、うちの母も、私のところで飼っている猫をAlexaを通して見るたびに「いいなぁ。私も猫を飼いたいのよねぇ」と言っているんです。
今のところ、週末に帰ってくる父のお世話だけで十分だと思いますがね。
また、物語を書いてくださいね。
アワキビさん、こんにちは。
お忙しい日々なのに長文を読んでくださってありがとうございます。
自分のことは自分でやりたい、誰かの役に立ちたい、という欲求は誰もが持っているもので、それを伝えられるのは心が健康である証拠だと思います。
その欲求をうまく満たすことができれば認知症などは進行を遅らせられるかもしれません。難しいんですが。
ヒゲちゃんのモデルは3匹いるのですが、いずれも息子さんや娘さんに引き取られている・・・はずです。
みんな幸せであることを祈ります。
何かあったときに引き取ってくれる人がいるというのは高齢者にとって絶対条件ですね。
初めまして。だださんのブログは以前からずっと拝見させてもらっています。
来月93才になる義母(介護2)は猫(14才)と暮らしています。
このお話を義母にも読ませてあげたい気持ちと高齢者の立場からだったら
どうかなぁと考えながらも 義母の気持ちは自分と同じような年齢の人はどんな暮らしをしているのか知りたいと思うほうなのでやはり体調・気分の良いときに見せてあげようと思います。この物語を読んで涙、涙です。
初めまして。
コメントありがとうございます。
そして長文をお読みくださってありがとうございます。
文中にでてきたおばあちゃんの心情はすべて、モデルとなった方々が私に聞かせてくださった言葉です。
創作はありませんので、こう言う人もいる、というお話にはなると思います。
ただ、皆さんお一人暮らしの寂しい方ばかりでした。
azuさんのお母様は93才ですか!
お子さんと同居で、猫さんも安心して一緒にいられてお幸せですね。
azuさんもご自愛くださいね。