私はお年寄りの話を聞くのが好きだ。
訪問介護の仕事をしていると、利用者さんはいろんな話をしてくださる。
中でも、猫と本をこよなく愛するMさんが聞かせてくれる話はいつもおもしろい。
子供時代の苦労話。
戦時中の話。
朝鮮半島に帰っていった友達の話。
ついこのあいだは「本当にあった怖い話」を聞かせてくれた。
Mさんの話のなかでもとっておきの話を2つ載せておこうと思う。
1つは、終戦直後の話だ。
「戦争が終わって何がびっくりしたって、神様やと思ってた天皇さんが人間になったことやった。子供やからほんまに神さんやと信じてたんやなあ。
でも、天皇さんの他にも崇められてる人はいるやろ。宗教の教祖さん。神様の生まれ変わりですごい力があるとか、言うやん? その頃、うちの村にも新興宗教が流行っててな。わりと大手の新興宗教で、その教祖ちゅうんか神様みたいな人がいたんや。
『神聖な人やから、じかに見たらいかん。見たら目ぇつぶれる』
って言われてた。そやけど終戦で天皇陛下が人間になってしもたんやで? 天皇さんをじかに見てもかまへんのに、教祖さんを見たらアカンなんて、おかしいやんか。
そう思ったからな、
「いっぺん見たろ」
と思って、お祈りをする建物に入りこんで、その教祖さんの顔を見にいったった。大きな建物の大きな廊下を、しずしずと教祖さんが歩いてくる。信者をぎょうさん引きつれて大名行列や。周りの人たちはみんな『ははー!』とひれ伏しとる。そらそうや、じかに見たら目がつぶれるからな。
「おまえもひれ伏せ」
と言われて、私も周りの大人に無理やり、頭を下げさせられた。そやけど『ここまで来たんやから、なんとしてでも顔を見たろう』と思って、教祖さんが横を通るときにチラーッと目を上げた。・・・おばちゃん、だったよ。きれいだけど、神々しい感じはしたけど、それでも、普通のおばちゃん。やっぱり教祖さんも人間やったなあと思って帰ってきた」
大事なことは自分の頭で考え、自分の目で見てたしかめるように、それから宗教にはよくよく気をつけるようにと、Mさんは教えてくれた。
もうひとつは・・・海の話。私がちょっと落ち込んでるときに聞かせてくれた話だ。
前にも書いたけど、再掲しておこう。
「わたしはこの山の中で生まれ育った。生まれも育ちもずっと山。山と田んぼと、小さな村と町しか知らない。昔は旅行なんか行けなかったから、ここから出たことがなかったんよ。
だから海なんか知らんかった。海というものは、話には聞いたことがあるけど、見たことがなかった。
初めて海を見たのは33才のとき。そうや、30を超えるまで海を見たことがなかったんや。会社の人に汽車で連れていってもろて・・・あの時のことはよう覚えてる。そりゃもうびっくりしたし、感動した。あんなに大きな、大きな、どこまでーも青い海。もう、なんともいえん気持ちになった。
『世界はこんなに大きいんや。ものすごう大きいんや。小さいことをクヨクヨ考えるのは馬鹿らしい』
って思ったなあ。
それからもう50年以上たつけどな、今でも心に、あのときの海をずっと持っとる。クヨクヨしそうになると、あの海を思い出すようにしてるんや。・・・あんたの一番大きいモンは何や?」
心の中に海を持て。
大きな大きな海を。
そうすればちょっとだけ生きやすくなると、Mさんは教えてくれた。
話に聞きいっていると、いつも飼い猫のココちゃんがやってきて、私とMさんの間に割り込んできた。「あたしもお喋りに入れてよ」と言うように。
先日、そのMさんが亡くなった。
「あんたらが来てくれるから勇気がでる。なんとかやっていける。ありがとうな」
と言ってくれた、その翌日に倒れてそのまま帰ってこなかった。
「また来週ね」
と別れたのに。
来週も話を聞かせてもらいたかったのに。
Mさんにはもう会えないけど、私の心の海のなかで、Mさんの話は、Mさんの言葉は生きつづける。
本日の猫写真。
扇風機の風をぼわーっとヒゲに受けてるサンジくん。
コメント
地上のすべての命は海から生まれ海に還るといいます。
Mさんも時の環の宿命に従い、旅立たれた。
だださんに真理と導く言葉を託されて。
寂しいけれど、切ないけれど、その言葉を我々もまた次の誰かに伝えていかなければ。
Mさんのご冥福を心からお祈りします。
ありがとうございます。
Mさんも大きな海に還っていかれるのですね。
「私は学がないけんど」
と言いながら、たくさんの言葉を教えてくださいました。
歳を重ねた人々の話は本当におもしろいし、ためになるので、少しでも残していけたらなあと思います。
今月98歳になる祖母に、明日会いに行きます
もっと頻繁に会いに行こう❗️と思いました。
ありがとうございます❗️
Mさんは戦後の大転換時に真贋を見定める眼を後になられたのですね。
ご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございます。
お祖母様、お元気でいらっしゃいましたか。
誰にとっても明日という日がくるという保証はないと考えると、出会いも再会も、一つ一つが大切なものになりますね。