責めないでほしい

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前にも同じことがあった。
前にも同じことを書いた。
それでも私はまた書いてしまう。
この言葉を聞いてしまったから。

「ひどい話よね。なんでみんな、簡単に施設に入れちゃうんだろう、可哀想に!」
そう言ったのは介護関係者だ。私はその人のことを心から尊敬しているし、誰よりも愛情深い人であることを知っている。利用者さんたち一人ひとりを人間として大切に考えているのだ。だからこそ、こういう言葉が出たのだと思う。可哀想にって、利用者さん側の気持ちになってしまうから。

だけど私はそうは思わない。家族は簡単に施設に入れてるわけじゃない。(そりゃあ愛情の薄い人たちもいるのかもしれないけど)

お金があって豪華な施設に入れるなら話は別だけど。そうではないとき、みんな一生懸命に考える。必死で悩む。考えても悩んでもどうしたらいいかわからないから施設に入れるという決断に至る人もいるかもしれない。

施設に入れるべきかと悩むとき、家族はたくさんのものを天秤にかけなくちゃいけない。

親の幸せと自分の体力。
厳しい現実と良心の呵責。
親の意思と周囲にかける迷惑。
時間とお金。
愛情と犠牲。
親の人生と自分の人生。

自分か、親か。施設に入れるときって究極の選択をしているのだ。みんな口にはしないかもしれないけど、それがどんなにつらいことか。

もちろん全員ではないと思うけど。
愛情の薄い家族だって現代では珍しくないから。
でも「ちっとも会いにこない家族」の中には、もしかしたら、入所させたことが後ろめたくて罪悪感に立ち向かえず会いにいけない人もいるかもしれない。

家とデイサービスではまるで別人、という人もけっこういるし、家族の苦労は、介護職の人たちにはわかりにくいのかもしれない。

在宅介護は1対1で向かいあわなくちゃいけない。夜中も休日もずっと向かいあわなくちゃいけない。何かあって呼び出されたら飛んで帰らなくちゃいけない。場合によっては逃げ場もなく助けてくれる人もいない。やって当然と思われて、見返りは何1つ無い。完全なる無料奉仕。介護職と家族とでは・・・土俵が違うのだ。

土俵が違うからこそ、家族の苦労は見えづらい。たとえ親戚だってケアマネだって、見えてないことがいっぱいあるはずだ。第三者の目からは楽ちんそうに見えても、家族にとっては本当につらい介護なのかもしれない。うちの妹がそうだったように。

「施設に入れるなんて、かわいそう」

そんな時代錯誤な風潮が田舎にはまだ残っていて、それが家族を追い詰める。施設に入れるのは、他人にまかせるのは可哀想だから、自分がやらなければ、自分でなんとかしなければと。

家族だって、自分を大切にしなくちゃいけないのに。自分の体や生活を、自分の人生を、守らなくてはいけないのに。周りに追い詰められたら、その先に待っているのは・・・介護事故や、介護殺人だ。

だから想像してあげてほしい。
外からは見えない苦労があるのかもしれないと。
あんまり責めないであげてほしい。
施設に入れた家族のことを。

本日の猫写真。

ダンボールチェック中のシシィさん。一緒に寝るには暑苦しい季節になってきました。