私の肩書き

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このあいだ、肩書をきかれた。
「あなたの肩書は何ですか?」
肩書?
そんなものないぞ、って思った。
まともな社会人じゃないから、よくわらない。
私の肩には猫しか乗ってないです。
「いや、あなたが『何をしてる人か』ってことですよ」
じゃあ職業かなと思って
「介護士です」
って答えたけど。
本当にそうなの?・・・どうだろう?
心の中で自問自答してしまった。

主婦とかサラリーマンとかアルバイトとか、職種や職業をきかれたらそんなに戸惑わない。どのカテゴリに属するか、という意味なら。

だが「肩書き」という言葉には独特の臭いがある。

肩書き
① 名刺などで、氏名の右上に書かれる職名・地位など。
② 人の社会的地位や身分を示す職業・役職名など。 「 -が物をいう」
(三省堂大辞林より)

「社会的地位や身分」って、なんとなく嫌な響き。
要は、他人に自分を説明する端的な言葉、ということなのだろうか。

私がピンとこないのは、「肩書き」は自分にくっついているモノ、
「自分はこうである!」
と発表し、断言するものであるからだろう。
断言できるだけのモノが私には何もない。
「介護士です」
といったって、まだまだ駆け出しのペーペーだし。たいした資格もない。
本は出版させてもらったけれど、肩書きにつけるのはおこがましい。
だから・・・私はまだ、何者でもない。
そんな気分なのだ。
そして、そんな気分がなんとなく自由で、好きなのだと思う。
まだ変われる気がして。何にでもなれるような気がして。こんなこと言ってるから、まだ何にもなれないんだけども。

一方、肩書きは、自分で名乗ってもいいモノらしい。
たとえ1枚も売れてない画家だって
「私は画家です!」
と張り切って言ってもいいのだ。
売れても売れなくても、誰に認められなくても、自分が画家だと決めれば画家なのだ。
それに現代ではブロガーとかゆーちゅーばーとか新しい肩書きもあって、・・・あっ、私も一応ブロガーになるんだっけ?

いい年こいてフワフワしすぎだけれども。
・・・やっぱり肩書き、あんまりほしくないな、って思う。
自分で名乗るのなら、小さい頃になりたかった「お話を書く人」か、昔やってた「旅人」になりたい。
他人には伝わらないから意味ないけど。
それよりも、なりたい自分になれますように。

本日の猫写真。

シシィさんが相変わらずお腹をみせてくれます。
帰宅するたびに
「おなか見て!おなか!」
と丸出しにしてきます。だいぶ見飽きました。

コメント

  1. だださん

    取材相手が「結局あなたは何をしている人なの?」というのを「すぐ」知りたいから、肩書きがあるような気がしています。しかも、そのウェイトは大きかったりします。

    わたしは自分で肩書きを作ってしまったところもありますし、一方で佐々木俊尚さんの発想もはあちゅうさんの発想もすごく共感しています。

    佐々木俊尚さんの肩書の考え
    https://www.fnn.jp/posts/00288321HDK

    はあちゅうさんの肩書の考え
    https://lineblog.me/ha_chu/archives/67281306.html

    • くどひろさん、ありがとうございます!
      取材などを受けようと思ったら、他人にわかってもらえるように肩書きが必要になるのですね。
      学校の名札みたいに?

      実をいうとこの記事を書く前にはあちゅうさんの文章を読んで考えちゃったんです。
      自分は一体何者だろうなあって…
      自分は何をしている人なのか、自分でもよくわかっていないから迷うのです。
      ぼやぼやしすぎですね…
      しばらく悩みます。

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