職場で、TOKIOの会見の話をしていたときのこと。80代半ばの利用者さんがこんな話をしだした。
「デイに変な人がおってなあ、突然、『あんたは善人か?』って訊かれたんや。『あんたは一回も悪いことしたこと、ないか?』って。
そりゃあ私は一回も警察のお世話になったことはないよ。人の嫌がることはしないように、気をつけてきたつもりや。そやけど、正面きって『善人か?』って訊かれると、返事ができんかった。
悪いことって、いろいろあるやろ? 方法も、いろいろや。 自分でも知らんうちに人を傷つけたこと、もあったかも知らん。いいことしたつもりで、実は悪いことやったかも知らん。
私は今まで自分が善人かどうか、考えたこともなかった。それって動物と同じやないか? そう思ったら、もう返事ができんかった。
80年以上も生きてきたくせに、情けないことに、わからんねん。私は善人やろうか? 死んだら極楽へ行かせてもらえるやろうか?」
いつも軽口ばかり叩いて、今の今までトキオがどうの、達也がどうの、城島くんがどうのと話していた人が、いきなり真面目な顔で言い出すからびっくりした。
「あなたがたの中で誰も罪を犯したことのない者だけが石を投げよ」
というイエス・キリストの言葉をなんとなく思い出した。
本日の猫写真。
冷えるので、久しぶりにホットカーペットをつけたら、歓喜したシシィ。
「ありがとにゃー!」って言ってる。たぶん。
コメント
お疲れ様です、だださん。
自分も、善人ではありません。
が、人は、人を叩く。
悪いことが明るみになって、さらに叩く。
自己は、そんなに偉いのか?。
と。
誰も弱い。
弱いから、助け合う。
が、自ら人を危険にさらすようなことは、
やるべきではないと思います。
お身体ご自愛くださいませ。
ありがとうございます。
>悪いことが明るみになって、さらに叩く。
>自己は、そんなに偉いのか?
本当に!
どうして人は他人を叩きたがるのでしょうね…
罪を犯した人は罰を受けなければなりませんが、それは法の仕事であって、余分に石を投げる資格が誰にあるのかと…。
ともさんもご自愛くださいね!
大半の人は自分が死んだら天国へ行きたい、と思ってるのかなぁ。
天国にはだーれもいなくて面白くないと思うよ。
地獄の方が色んな人がいて楽しいような・・・
こんな考えの私は間違いなく地獄行きだな~ ww
えええ、天国には誰もいないんですか!
たしかに罪を犯したことのないのはキリストさんだけだっていうことになりますが…。
誰もいない所なんて、むしろ地獄ですよね(笑)
少し趣旨はズレてしまうかもしれませんが、
本で読みハッとし、今でも心に深く刺さっている言葉があります。
「あなたは、貴重な犠牲の上になりたっている
この食事をいただくのににふさわしい生き方をしているのか」
禅寺の雲水たちが、毎回食事の前にこれを問うているそうです。
生き物の命を奪うに値する人間なのかどうかを問うことで
自らを戒めているそうです。
善人か、と面と向かって問われると、やはり堂々と肯定できないのですが
こうした精神性を高めてくれる自問を少なくとも忘れずに繰り返すことで
落ちずに済むかもしれない・・・とは思います。自分はそう心がけていますよ。
おお、深い…!
素晴らしいですね。
「いただきます」
の言葉とともに、そんなことを考えておられるのですね。
>「あなたは、貴重な犠牲の上になりたっている
>この食事をいただくのににふさわしい生き方をしているのか」
あ…私ふさわしくないから餓死しちゃうかも…。