母は目についた文字をぜんぶ声に出して読む癖がある。癖、というより病気である。高次脳障害の一部なんだろう。町をあるけば看板や店名を読みあげるし、家にいるときはパッケージ裏の注意書きなんかを読んでくれる。
しかも、聞いてもらいたがる。高次脳のせいで空気を読めないもんだから、私が用事をしていようが急いでようがおかまいなしで
 「ねえねえ、この海苔『12枚入り』って書いてあるよ!」
 と、死ぬほどどうでもいいことを教えてくれたりする。
そんな母がテレビを見たら、CMの一つひとつが気になってしょうがない。
 「イノベーションってどういう意味?」
 「これおもしろいね!」
 「フェリシモ!フェリシモ!」
 正直、けっこううるさい。
今日も母はCMを見て、新しい言葉を教えてくれた。
 「ねえ、『はたらいて、笑おう』って言ってるよ」
 パーソナルのCMだ。
 ・・・はいはい、人材派遣かなにかだっけ?
 私はてきとうに返した。
 「働いて笑えるなんて幸せだね、ブラックで働いてた頃の私には嫌味にしか聞こえないだろうな」
すると母は、こう言った。
「『介護して、笑おう』。
 あんたの場合は、介護して笑おう、だよね。」
そうだね。家も仕事も介護だし。
 それじゃあ、お母さんは、
「『介護されて、笑おう』だね」
「そうやねえ。笑いっぱなしやねえ」
母はまた嬉しそうに笑った。たしかに私も母も毎日、笑いっぱなしである。母がとぼけたことを言っては笑い、オヤジがアホなことをしては笑い、猫たちが可愛いと言って笑い、私が鈍くさいと言っては笑う。
たとえば食事中にパンツがボトボトになっちゃった時には
 「ほんまにもう、おかーさんオシッコ出過ぎやで。ちょっと止めときや」
 「そんなん私に言うてもしゃあないやん、オシッコに言うてよ」
 「こら、オシッコ!ごはん食べ終わるまでちょっと待っとれ!」
 「そんなん無理~」
 2人でアホなことを言って笑う。
もちろん現実は甘くない。
 仕事も介護も、その多くが笑ってなんかいられないことは身をもって知っている。
私だって母だって、今は笑っているけれど。
 世界のすべては移ろいゆくもの。
 つらい季節もきっとくる。
 笑っていられるのは今だけかもしれない。
それでも私は笑っていたい。
 笑う努力をしていたい。
 介護も仕事も人生も。
 母がよく言うように。
 「笑ったもの勝ち! 楽しんだもの勝ち!」だから。
本日の猫写真。
 「ひらけゴマ」って言ってるシシィさん。

私の目をみて「ウニャアアア!」と請求する。のびあがってドアをノックしたりもする。それが可愛くて、わざと焦らしてみたりする。


