悲しい話を聞いた。
「認知症の親を施設へ入れたとき、友達から言われたの。
『なんて酷いことをするんだ。あんたがもっと頑張れば良かったんでしょう』
って」
何もしない親戚が口だけ出してきて…という話をよく耳にするが、そうではない。親身になって介護を手伝ってくれた人なのだという。介護職をしている人かもしれない。親身に手伝ってくれた人だからこそ、ある程度、状態がわかっているからこそ、
「まだまだ在宅でみられるはずなのに」
と思ってしまったようだ。
「でもね、わかんないんだよね、他人だから。自分の親じゃないから」
どんなに手伝ってくれ、どんなに専門知識があるといっても、家族にしか分からない苦しみがある。友人も、ケアマネも、経験をつんだ介護士も看護師も、家族じゃない。他人なんだ。
「介護の大変さってね、たとえ兄弟や親戚でも、やってみないとわからないもんだよ。24時間ずっと目を離せないってどういうことか、実際やってみないとわからないんだよ」
外ではにこにこ愛想よく振るまっているくせに家では大声で罵ることが。眠っていても頻繁に起こされることが。近所のコンビニにさえ自由に行けないことが。深夜に摘便をすることが。インフルエンザにかかって突然高熱をだしても誰にも助けてもらえないことが。それをすべて「やって当然」「これくらいのこと」と思われていることが。どんなに心を削がれるか。
親が憎いわけじゃない。施設に入れたいわけじゃない。でも、
「私には私の人生があるの!」
と彼女は言った。
「それを言ったら、また『なんてワガママな』って言われたんだけどね」
家族を施設に入れる気持ちは他人にはわからないのよ、と彼女はため息をついた。
私も妹を施設に入れたから。彼女の気持ちがわかる。在宅介護やってる間は「えらいね!」「大変だね!」ってみんな言ってくれるけど、限界がきて施設に入れたら掌返しで「ひどい家族」になってしまうこともありえるのだ。
(きれいな月夜。)
昔から「障害者にも地域で暮らす権利がある!」とかよく聞くし、そのとおりだと思うけど、その言葉をきくたびに、私は妹からその権利を奪ってしまったのだと責められている気持ちになる。障害者の権利・・・じゃあ、介護者の権利は、どうすれば良かったのだろう?
どんな痛みも、本当のところは当人にしかわからないものだ。
コメント
こんばんは、だださん。
お疲れ様です。
在宅介護の苦しみ…、もちろん当人しか分からないですよね。
それぞれの立場がある。
一番苦しいのは、突然病に倒れた親(私の親)、子供に介護される苦しみを訴える。
して、自分ではどうにも出来ない痛みに泣く。
救いは、寝たきりでなく、何とか自力でトイレに行ける。
要介護4。
見守り介護の限界で、時に声を荒げてしまうことは、反省。
上に居る兄姉を上手くコントロールして、誰もが人生を犠牲にすることなく、
余裕を持つことにしてます。
以前は、兄姉も口だけ介護でしたが、少しずつ手助け出来るようになって来ました。
兄姉に感謝しています。
また、一人っ子の方でしたら、上手く介護サービスを利用して、人生を犠牲にならないように願うばかりです。
失礼。いつの時代もある悩みですよね。
ともさん、こんにちは。
介護、お疲れ様です。
お兄様とお姉様が動けるようになってきたようで、良かったですね。
たまには声を荒らげてしまうことは、たぶん、みんなあることです。
みんな反省してる…。
介護はそれぞれですが、そのへんの悩みは同じですね。
介護しながらでも、自分の人生を楽しみましょう。
私も母の介護を長年していてつくづく思うのは、他人(自分以外家族であっても)は皆、当たり前ですが、所詮他人事で、無責任だということです。その方が親を施設に入れた後、自分を責めることなく人生を楽しむことが出来たらと思います。
どんなに親身になってくれてる方でも、自分以外はみんな他人。
他人だからこそ見えてくるものもありますが、敢えて他人のいうことに耳を貸さない勇気をもつことも、ときには大切なんですね。
だださん こんばんは。おっしゃるとおりだと思います。
逆バージョンで『シヨートステイでも利用して貴女も旅行くらい行かなきゃダメよ』と言われるのも嫌ですね。サービスを利用すればお金もかかります。お金以外にも利用するまでのハードルはいくつもあります。それを考えただけで疲れます。
『まだまだ在宅で介護できる』かどうかは、介護度だけで判断できるものではないし、ましてや他人にとやかく言われたくない。
限界まで頑張らない。余裕がなくなったら他者に委ねる。私は、そう考えます。我が家は金銭的余裕がないので、それも厳しいけれど。
>逆バージョンで『シヨートステイでも利用して貴女も旅行くらい行かなきゃダメよ』と言われるのも嫌ですね。
イヤですね―私こないだ言われましたけど(笑)
ほんと、●●するなら金をくれって思っちゃいます。
>『まだまだ在宅で介護できる』かどうかは、介護度だけで判断できるものではないし、ましてや他人にとやかく言われたくない。
同感です!
それが外からは見えないんでしょうね…。