ダブル介護の再開(1)

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オヤジは病院から
「もう少し入院されたほうが」
「このまま施設入所はどうか」
とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。

理由は、孫に会いたかったから。
小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。
オーストラリアで暮らす孫たちが日本にくるのは4年ぶりだ。
次はいつになるか分からない。
もちろん帰宅すれば転倒や誤嚥性肺炎の危険があるのは承知の上。
それでも、たとえ再入院となっても、いや最悪死んじゃってもいいから、孫たちに会いたい気持ちが強かった。
そして泣いちゃうくらい猫を抱っこしたかった。

念願かなって退院したのは1月4日のこと。
オヤジは車椅子にのって、すっきりとイイ感じにやせて、明るい表情で病室を出てきた。
家では妹とその子供たちが迎えてくれた。
猫たちはちょっと
「誰だっけこの人」
という顔をしていた。

正月三が日は終わっていたけれど、お節が大好きなオヤジのために、妹が冷凍のお節を買っておいてくれた。
なので退院祝いはお節料理だ。
オヤジはまた嬉し泣きをした。

脳梗塞の後遺症でムセがひどく、本当なら食べてはいけないものも多かった。
病院からは厳重に注意されていたのだ。
「飲み物にはとろみをつけなければいけない」
「柔らかいものしか食べさせてはいけない」
などなど。

けどさー。
なんか。
食べちゃうんだよね。
意外にムセないんだよね!
病院では小食で困っていたなんてウソのように、オヤジはがつがつと何でも食べた。

家族そろっての外食も果たした。
人手があるので、車椅子を2台連ねてもてもいける!
子供たちが大好きなファミレスへ行って、トンカツとパスタをぺろりと平らげた。

車椅子で移動し、トイレは全介助、夜はテープ式オムツ。
立てないくせに立ち上がるので、ベッドの足元にはセンサーマット。
話すことはほとんどできない。

わりと手のかかる状態だったが、妹たちがいるので問題はなかった。
孫たちも
「おじいちゃん、まだ立ったらだめだよ!」
「おじいちゃん、遊んであげる!」
とよく面倒をみてくれた。
小学生の龍がトランプをもってきて、ババ抜きや大富豪の相手をしてくれた。


(動じないサンジ)

退院してからの3日間。
オヤジはとても幸せそうだった。
・・・3日間だけだったけど。

妹には仕事があり、孫たちは学校がある。
1月7日、オヤジの退院から3日後に、妹たちは海の向こうに帰っていった。

家には、私と両親と猫たちだけが残された。
2台の車いすの周囲にはまだ折り紙やお菓子のくずが散らばったまま。
まず部屋を片付けるところから始めなくちゃ。
それから両親のトイレ介助だな。

私はたったひとりの相棒であるシシィ(猫)に告げた。
「さあ、これからだ!
 今日からまた、おひとりさまダブル介護が始まるから、よろしくね!」
シシィは不安そうに
「龍ちゃんはどこにいったの?」
と探していた。

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