『40歳からの遠距離介護』の工藤さんが、「わが家にとって認知症のお薬よりユマニチュードより大切なこと」という記事を書いておられた。薬よりも大事なこと、それは、できることをやってもらうことだと。
息子に料理を作る役割は、分からなくなるまで、動けなくなるまでやってもらうつもり。
料理ができなくなったっていい、リンゴをむけばいいから。
味付けができなくたっていい、コーヒーを入れてもらうから。
どんなお薬より、ユマニチュードより、うちはこれを続けることが一番の薬であり、認知症の進行を遅らせるものと信じている
わかるなあ。
うちも同じだ。
といっても、全く同じというわけじゃない。
うちの母は自分ひとりではリンゴもむけないからね。
母は退院したばかりの頃から
「寝てるのにも飽きたから用事がしたい」
と言っていた。でもその頃は妄想ばっかり見てぐちゃぐちゃだったし、今よりもっと見えていなかったしで、一人で何かをするどころか、一人で部屋にいることさえほとんどできなかった。
そんな母にできることはないかと考えた私は、一緒にゴミ出しに行くことにした。母の車椅子を押しつつゴミ袋を持ち、母にも小さなゴミ袋を持ってもらってゴミ置き場まで運んだ。近所の人はびっくりしていた。
今でも母が一人でできることはほとんどないが、こちらが手を貸し、見守っていれば、やってもらえることはたくさんある。
卵を割ってかき混ぜる。
野菜を切る。
お茶を注ぐ。
サラダを分ける。
味見をする。
容器から箸を出してそろえる。
皿のラップをはずす。
皿を洗う(これはだいぶ注意が必要)
どれもこれも、私が一人でやるほうが100倍早いんだけどね、もちろん。
問題はそこじゃない。
母が「できる」ことを見つけることが大事。
ゴミ出しから始めた母の仕事はこの5年でどんどん増えた。
洗濯を干す。とりこむ。
はたきをかける。
モップをかける。
古新聞を折る。
洗面台を磨く。
トイレ掃除をする。
「仮にも要介護5の母親にトイレ掃除をさせるなんて!」
という人もいるかもしれないが。
逆に
「なんで私がせなアカンねん」
と思う。
「自分でつかったトイレくらい自分で掃除してもらえばいいやん」
と思う。
車椅子をできるだけ便器に近づけて、トイレクイックルを渡せば手の届く範囲を拭くことはできる。汚れがあんまり見えてないけど
「ここだよ!」
って教えればブラシでこすることもできる。
お粗相が多い母のトイレはこまめな掃除が必要だ。
母は
「誰がこんなに汚すんだろうねえ」
と首を傾げながらいつも一生懸命トイレ掃除してる(私が仕上げ掃除をするんだけど)。
もう一度いうが、私がぜんぶやっちゃった方が100倍早いし100倍楽だ。母にはベッドで寝るかテレビ見てるか、本でも読んでて静かにしててもらったほうがずっと楽。
でも、楽なだけの生活なんて生きてるとは言えないんじゃないか?
なんのための在宅介護だ?
一般に、暮らしの中には面倒くさいことがたくさんある。というか、面倒くさいことのほうが多い。汚いところを掃除したり、働いて手が痛くなったり、玉ねぎを刻んで涙がでたり。細かくてやりたくないことがいっぱいある。でも、それをやるのが「生活」だ。「暮らし」というものだ。面倒くさいことも、やりたくないことも、しんどいことも、ぜんぶひっくるめて生きていくっていうことだ。
・・・以上はぜんぶ母の受け売りだ。かって重度障害のある娘を育てるとき、母は「なるべく健康的で普通の生活を送らせよう」と決めていた。私はそれを実践しているだけ。
母は言う。
「私は主婦だからね、家事をするのが私の仕事。あんたばっかりにさせたら、悪いよ」
仕事は生きる意味につながるもの。だからこそ母は退院した直後から仕事をしたがったのだろう。家族のために家事をするのが母の仕事なら、その生活を保つのが私の仕事というところか。
最後に、母にしかできない重要な仕事もあることを忘れてはならない。それは「オヤジを操縦すること」だ。
オヤジは母にめっぽう弱い。私が言うとはケンカになるようなことでも、母の言葉なら素直に聞きいれる(博打とタバコ以外)。
そこで私が
「オヤジに『いいかげん風呂に入れ』って言ってよ」
と頼むと、母は
「お父さん、そろそろお風呂入りよ、くさいよ、臭ってるよ!」
とボロクソに言ってくれるのだ。
だから。
おかあさん。
お願いだから、オヤジよりも長生きしてください。
・・・それが母の一番の仕事です。