いよいよ明日。コンサートの本番がやってくる。子供と若者が中心のユース・オーケストラで、私と母の2人バイオリンも後ろで弾かせてもらうのだ。
コンサート直前ともなれば連日何時間もの練習がおこなわれるのだが、さすがに全部は無理なので、私の仕事が終わってから参加した。(仕事あがりの汗臭い体でバイオリン弾いたよ…。)
上手な人たちはバッハやハイドンなどいくつもの曲を弾くが、私と母が弾くのはビバルディのRV121とRV127の2曲だけ。合計7ページくらいかな? それも全部弾くとクタクタになるので、2楽章は休憩させてもらうことにした。
今まではバイオリンだけで練習してきたけれど、チェロやビオラの低音が入り、そのうえ昨日からはチェンバロまでが加わった。ピアノのご先祖であるチェンバロはすてきに古風な音で鳴る。私たちの練習してきたビバルディはとたんに本物らしく「ヴィヴァルディ」らしくなった。
121は苦手なポジション移動があるし、127の3楽章はすごく早いから、だいぶ必死だ。口が半開きになっちゃうくらい必死だ。でもあと1日でこの曲ともお別れなんだなあと思うと愛しくて、一生懸命に弾いた。
目で指揮と楽譜を追いかけながら、耳で自分の音と全体の音を聞きながら、体ぜんぶで母の様子・・・体の傾き具合、顔の位置、腕と弓の角度を感じとりながら。
バイオリンの音は母の腕から弓へ、弦へと伝わり、最後に私の指先の干渉を受けて空中へと放たれる。
一音、一音。
跳ねるように、転がるように、押し出すように、震えるように。
一音、一音。
時にはなめらかに。
時には力強く。
時には疾風のように。
そして最後のフォルテ、フォルテ、フォルテ!
がんばれ、がんばれ、がーんーばーれー!
今日の母は完璧に弾いてみせた。ほぼノーミス。高次脳障害があって右足が痛くてほとんど立てない要介護5にはぜんぜん見えないよ!
音は形に残らない。目にも見えないし触れられない。録音はできるけれどただの残響にすぎない。あらわれたかと思う間に消える泡沫だ。明日、一度きりの本番の舞台で、私たちのビバルディは儚く消えてなくなってしまうだろう。8ヶ月間の苦労も汗もぜんぶが消えて・・・そして報われる。バイオリンから放たれた音楽は、聴くひとの耳から心へと伝わっていくはずだから。本当に大切なものは目に見えない。
本日の猫写真。
サンジ君、可愛いかわい~
・・・うん?
明日、うまくいきますように。
皆様、祈っていてください!
コメント
だださん! 二人バイオリンの描写、臨場感いっぱいです。
お二人の様子が、とてもよく伝わってきました。
まるで、速いテンポのビヴァルディみたいです。
意気込みが感じられます。
今日は今ごろ、お支度に忙殺されているでしょうか。
ご成功を祈るとともに、またのご報告をお待ちしております。
音楽(に限らず)の生のパフォーマンスは、その時のその音
その声その出来で、確かに消えてしまいますね。
機械的に媒体に記録されはしても。
どんな名手であれ、常に一分の違いもないパフォーマンスは
できないでしょう。
そこに、何と申しましょうか、妙味というか唯一の価値が
あるのだと思います。
サンちゃ~ん、おばちゃんからも、可愛いかわい~~~。
ありがとうございます。
終わりましたよー!
どんな舞台も生き物で、消え物です。
一度限りのものだから、消えてなくなるものだから、美しいのですよね。
まあ結果は散々でしたが(笑)なにしろ楽しかったです。
サンジは近頃シシィにやられっぱなしなので、遊んでもらえると喜ぶだろうなー。