よその家を勝手に心配する

スポンサーリンク

コロナ以前の話だが、友達とぷらぷら散歩しながら、よくこんな会話をしたものだ。

「あの家は大変そう!」
「隣はそのままで大丈夫やのにな」
「こっちの家は、玄関は厳しいけど掃き出し窓なら出入りできるかも」
「うわあ、あの家、絶対にスロープつけられないよ!どうする?」
「昇降機かな」
「送迎バスを停める場所も厳しそう」
「ちょっと難儀やなあ」

住宅街を歩きながら話していたのは、
「もしこの家の住人が歩行困難になった場合、どうやって出入りするか」
という問題だった。
私は介護士だし、友人は理学療法士だ。
階段のある家をみると、条件反射で勝手に心配してしまうのである。

建てられた年代や、地形によっては、階段をのぼったところに玄関、という家がけっこうある。
高齢者にとって階段は鬼門だ。
車椅子にとっては行き止まりである。
1,2段ならスロープをかけられるが、4,5段もあると相当キツい。
階段があるために家から出づらくなり、家から出ないとますます足が弱る・・・という悪循環。
「家を建てるときはみんな若いから」
と友人は言った。
「想像ができないんだろうな」
いつか自分もトシをとるということが。
・・・もしくは、いつか自分も介護をするかもしれない、ということが。
おしゃれな新築の家の前に大きな階段があると、そんなふうに思う。

おていれ

今日、驚いたこと。
仕事から帰ってトイレのドアを開けたら、
「ニャアー!」
とシシィが飛び出してきたこと。
誰も気が付かないうちに閉じ込められていたらしい。
朝しか使わないトイレだから・・・ええっと・・・
「あんた、何時間も閉じ込められてたの?」
「ニャンニャー!」
シシィは大きな声をあげた。
私の肩によじのぼり、必死でニャンニャン訴えた。
「呼んだのに!『ここを開けて!』って鳴いたのに!誰も開けてくれないなんて、ひどいじゃないのニャアーーーーーー!」
シシィさんはめっちゃくちゃ怒っていたのである。
ちゅーるを食べたら機嫌をなおしたけど。
真夏じゃなくてよかった。

タイトルとURLをコピーしました