あのとき「母は死んだ」と思った

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よく「切り替えが早いね」と言われた。
「前向きだねえ」
母が倒れて間もない頃のことだ。
なんとか意識を取り戻した母は私の顔さえわからなかったし、妄想がスゴいし、体はぜんぜん動かなかった。
オヤジは
「これからどうなるんだろう」
と泣いてばかりいたものだ。
けれど私はヨヨと悲しんでる場合じゃないと考え、前向きに動きまくっていた。
それを見た人たちが「切り替えが早いねえ」と呆れたように言うのだった。

今までいろいろ書いてきたけど、一つだけ黙っていたことがある。
前向きに切り替えることができた理由。

それは
「母は死んだ」
と思ったことだ。

8年前のあのとき・・・母が倒れたと知らせを受け、バンコクからとんぼ返りしてサンダル履きのまま病院に駆けつけた、あの寒い寒い冬の夜。
私をICU(HCUだったか?)に連れてきたオヤジが
「母さんは、そこだ」
と指さした。
ベッドに名札があるので母だとは分かった。
でも、そこにいるのはどうしても母に見えなかったんだ。
体中を管をつながれ髪の毛もない丸坊主。
もう私の知ってる母じゃなかった。
あのとき、
「えらいことになってしまった」
と思うのと同時に
「私の知っている母は死んだ」
と心の奥底で考えたのだ。
私の知っている元気な母は死んで、ここに横たわっているのは、「別の母」だ。

母はなにか違うものになってしまった。
だdから、意識を取り戻した母が私のことをわからないのも当然だったし、カプグラ症候群(親しい人が偽者と入れ替わるという妄想を抱く)がでて
「あんたはニセモノでしょ!」
と言われても笑っていられた。

でも家に帰ると悲しくなった。
家にはまだ「私がよく知っている元気な母」が遺していったものがたくさんあったから。
冷凍してあった作り置き、片付け忘れた洗濯物、カレンダーのメモ書き。
とくに手書きの文字はいけなかった。
文字は心だ。文章は声だ。
乱雑なメモ書きを見ただけで明るい母の声が蘇ってくる。
そんなものを目にするたびに、まるで遺品のように感じていた。

バイオリン教師だった母の5年日記

あたりまえだけど母は死んだのじゃなかった。
意識を取り戻して少し経つと、言葉の端々に母らしさが感じられるようになった。
私はこう考えた。
「元気な母はあの中にいる」
新しい母の中に、私の知ってる母がいるのだと。
それでリハビリを頑張った。
新しい母を元気な母に近づけるために頑張った。
リハビリをしたりお出かけをするたびに私の知っている母が表に出てきて、だんだん広がっていくように感じた。
ウィーンというゴール地点にたどり着いたとき、新しい母と私の知っている母は完全に融合した。

命を落としたわけでもないのに
「母は死んだ」
と考えるなんて不謹慎きわまりない。
でもそうやって「死んだと思ってあきらめる」ことで私は頭を切り替えることができた。
突き進むことができた。
つらいはずのことが、つらくなかった。

気の早い菜の花

これまで一度も、ブログにも本にもこの事は書かなかった。
誰にもこの話はしなかった。
隠していたわけではない。
自分でも気づいていなかったからだ。
あまりにも心の奥底で感じていたために、意識していなかった。
ショックから心を守るための防衛本能かもしれない。
現実を受け入れるための本能。
同じようなことが他の介護者にもあるんじゃないかと思う。
「そういえば当時はこんなふうに感じていた」と、今頃になって自分で気づくことができた。
早いもので、母が倒れてからもうじき8年が過ぎる。

コメント

  1. 生成流転。
    古今東西、変動があり、絶滅と変化を繰り返し、生命は進化を遂げてきた。
    大仰な進化論を持ち上げるまでもなく、身の回りの出来事でさえ物事に不変はありえない。
    幸せな黄金期はまたたくまに終わり、苦難と辛抱の季節が続く。
    けれど、それさえも永遠ではなく、いずれ苦闘の日々も終わる時が来る。
    そうやって日々は紡がれていく。
    その流れに、変化に対応できるものが次の橋頭堡にたどり着ける。
    過去の栄光だけを振り返り、時間を巻き戻そうとするものは前に進めない。
    元に戻すことに心血を注ぎ戦うという文言は雄々しく勇ましいけれど、特攻並みにそこに勝機は無いと思う。
    変わり始めたもの、変わってしまったものを戻すことはできない。
    まず事実を受け入れる。
    声高々に宣言せずとも、変わってしまった事実を受け入れ、そこから粛々と新たなステージを始める人の前に次のゲートが現れるのだと

    こっそり思ってましたのでー、今回のだださんの記事はとーーーーーっても腑に落ちました(笑)
    ただ、お身内でそう考えられるのは稀有だと思います。
    うちの場合、衰えていく老両親を義理姉はどうにか元に戻そうと熱心でしたから。
    (意欲も無いのに無理に脳トレや記憶クイズ強要されてる爺さまの困惑した悲しげな表情が忘れられない)
    (可愛い娘相手だから嫌がりもしなかったけど)

    • おお~名文ですね!
      >元に戻すことに心血を注ぎ戦うという文言は雄々しく勇ましいけれど、特攻並みにそこに勝機は無いと思う。
      そうなんですよね。
      家族と介護職員との差はそこなんです。
      元気だった頃をよく知っているからこそ、落ち込んだりイライラしてしまうんだと思います。
      介護職員は昔を知らないから、そういう人だと思って抵抗なく受け入れられる。
      時は戻りません。
      だからすっぱり諦めるしかないんです。
      こういう切り替えは男性より女性のほうが得意なんじゃないでしょうか。
      「恋は上書き保存」といわれるのと同じで「介護も上書き保存」でいいんですよね。
      失われたものより残ったものを数え、それを生かしていくことができればお互い一番ハッピーなんだと思います。

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