泣きながら食べた年越しそば

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誰かがこう言ってた。
「人間、一人で生まれてきて一人で死ぬ。結局は一人ぼっちなもんだ」
私はそうは思わない。生まれたら温かい手で抱きとめられる。死ぬときもきっと誰かに手を握ってもらいたいものだろうと思う。

この正月、私は訪問介護の仕事で一人暮らしの利用者さんのところに通っていた。
寝たきりで一人ぼっちの方だった。
口を開けば寂しいと呟き、つらいと呻いていた。

最後に食物を口にしたのは大晦日。
宅配のお弁当で年越しそばが届いていたのだけど、どうしても「食べない」って言うから、
「私と一緒に食べましょうか」
ともちかけてみた。
利用者さんは
「いいの!?じゃあ、半分こね!はんぶんこ!」
目を輝かせたっけ。
本当はいけないことだ。ヘルパーが利用者さんのご飯を一緒に食べるなんて規則違反だ。
でも、これがこのひとの「最後の晩餐」になるとしたら?
・・・多分、そうなる気がしていたんだ。すでに2日ほど食べていなかったから。
たとえ宅配弁当でも、たとえ赤の他人のヘルパーでも、最後くらいは誰かと一緒に食べたいだろうって思った。

蕎麦を半分ずつに分けて出汁を温めて食べてもらった。
「ああ、おいしい!おいしい!」
利用者さんは泣きながら食べてた。
「おいしいですね!」
私も泣き笑いしながら食べてた。
本当においしい蕎麦だった。
翌日は白味噌でお雑煮をつくってみたが、もう、お汁しか喉を通らなくなっていた。

このあいだ訪問したら
「さっきまで猫がいたのよ。もうずいぶん前に死んだ猫なんだけど、迎えにきたのかしら」
とうわごとのように言っていた。
「早くあっちに行って、抱っこしてあげなくちゃね・・・でもあの子は抱っこ嫌いなのよ」
そう言って微笑んでいた利用者さんがとうとう虹の橋を渡った。
今頃は猫と一緒にいるんだと思う。

一人ぼっちなのは自業自得だって言う人もいるかもしれない。自分の選んだ道だと言われるかもしれない。

だけどもしも家族がいるのなら。
最後の最後だけは、一緒にいてあげてほしいと思う。
過去に色々あったんだろうけど。
すごく難しいかもしれないけど。
最後の最後だけはそばにいることを赦してあげてほしいと願う。
たとえ憎しみでもいいから。
その手をとってあげてほしいと思う。

私たちヘルパーや看護師さんが訪問できるのは一日にたった数時間。
それ以外は、寒くて暗くて寂しい部屋で、幾日も幾日もたった一人で過ごす。
死神に怯えながら。
そんなのはつらすぎる。

人の手はあったかい

私もほぼ絶縁状態の叔父がいるけど、最後の最後だけは一人にしないでおこうと思った。

・・・とりあえずコロナどっか行け。

コメント

  1. 泣きながら読みました。
    だださん、ありがとう。その方と一緒にお蕎麦食べてくれて。
    規則なんてクソ食らえです(泣)きっと、本当に本当に美味しい蕎麦だったと思う。その一瞬が心の底から幸せだったはずです。

    だださんのブログを読む度に、自分が恥ずかしくなります(泣)
    あなたのように美しくて男前の心を持つ人になりたい‼️

    • ありがとうございます。
      規則違反したこと一応上司には伝えました(小心者なので)が黙認でした。
      ケアマネさんも訪看さんもいい人でみんなしょっちゅう顔見に来てましたけど、でも家族じゃないですからね。
      想像すると苦しくて。
      私も独身なのでいずれは一人で死んでいくのかなあって思うと、せめて一緒に蕎麦食べてるくらいええやろ、って気持ちになりました。

  2. 私も、だださんのような人に見送ってほしいです。
    絶対にそのお蕎麦の味とともに、幸せな感覚を持ったまま…理想的です。

    こういうのを、規則では禁止しているのは、たかりをする人が一定数いるだろうという性悪説に基づいているんだろうけれど…上司のかたも、ここで黙認できる人はえらいです!
    上がこういう人でないと、いくらだださんのような志を持っていても実行できませんもんね。

    信頼関係が土台にあるからなんでしょうね。

    うん、私のときはだださんがいいです!

    • 亡くなったのはお蕎麦食べてから2週間くらい後でした。
      私は独身なので、一人で死ぬのは嫌だなあと思いましたね・・・。

      ヘルパーが利用者さん宅でごはんを食べてはいけないのは、たかりをする人もいるかもしれませんが、利用者さんが
      「今週も食べさせてあげなくちゃ」
      と思ってしまうから、というのもあります。
      勘違いというか誤解というか。
      今回はそういう状況じゃなかったので黙認してもらえましたが、気遣いとか気持ちって難しいですね。

      • 確かに…一度してしまうと、やめられない。
        負担になってきても、「今日もヘルパーさん、期待してはるかも、続けなくちゃ」て思ってしまう利用者さんもでてくるでしょうね。

        一人暮らしなら、ヘルパーさんは関われる数少ない相手で、それも自分が出したものを喜んでくれた相手だとしたら尚更、ぞんざいなことはできないって思ってしまう人もおられるかも。

        その観点で考えてみたことがなかったです。
        物事はいろんな方面から見ないとダメだと、改めて気づかされました。

        ヘルパーさんのほうも、行った先すべてで食事が出てきたら、それはそれで困りますもんね(^^ゞ

        なんか、昔の家庭訪問の先生を思い出しました。
        お菓子はダメならせめてお茶だけでもと、各家でお茶がでてきて、でもあちらで飲んで、こちらで飲まないというわけにもいかないので、おなかがたぷたぷになったと担任の先生が言っておられたなあって。

        利用者さんの行動の根っこのところは「やさしい気持ち」だけに、規制しておかないとエスカレートして大変なことになるから、「原則禁止」なのかもしれませんね。

        • そうなんですよー!

          >「今日もヘルパーさん、期待してはるかも、続けなくちゃ」
          て思ってしまう

          そういうことなんです。
          私もずっと不思議でしたが、私は断ったんですが、他の事業所のヘルパーさんが1度もらってしまったため、毎週甘酒を買い込んでる利用者さんがいたりして。
          お互いの気遣いと優しさが負担になってしまうんだなあと思いました。
          「規則で禁止されていますので」
          がお互い一番断りやすいんですね。

  3. 読んでいて、私も
    泣き笑いのような感情で
    涙が零れそうでした。
    切なくて、なによりも温かくて…。

    その利用者さん、とても幸せで
    嬉しい気持ちを手土産に
    もう1つの世界へ向かわれた事と思います

    だださんは、いつも利用者さんのことを
    しっかり見つめていて…そこから
    湧いてくる言動には、いつも
    心動かされます

    何かを「一緒にする」ということの
    大切さ、尊さ、心の繋がりみたいなものを
    実感したやりとりでした
    今回は本当に特別な状況だと
    見極めて…。こんな動きは是非
    今後も、ゆるされてほしいものです…。

    うちの両親も要介護ななか、食事を出すと
    「〇〇も、一緒に食べたらええ」などと
    よく声をかけてくれてたなぁと
    (この場合は、単におなかすかしてるだろうからという親心?がメインかもですが…??)

    一日一日、できること
    前向きに、良くなるよう動いてゆきたいです

    • たくさんのスタッフに「ありがとう」って言いながら亡くなったのでそれなりに納得された最後だとは思いますが、それでも寂しかっただろうなあと思ってしまいます。結局はお金で雇われた他人ですもん・・・時間制ですもん。

      >うちの両親も要介護ななか、食事を出すと
      「〇〇も、一緒に食べたらええ」などと
      よく声をかけてくれてたなぁ
      ほのぼのしますね。
      母親とかおばあちゃんって、子供食べてるの見ると嬉しいんだそうですね。
      安心するのでしょう。
      病気になっても、動けなくなっても、親は親ですね。

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