シシィは世話焼きな猫である。
毎朝ちゃんと起こしてくれるし、「いってらっしゃい」「おかえりなさい」を律儀にやるし、夜は11時になると「そろそろ寝よう」と誘いにくる。夜ふかししてると「もう寝る時間でしょ!」とミャーミャー怒るし、布団のなかでスマホを手にとろうものなら
「ダメでしょ、ちゃんと寝なさい!」
スマホの上にどっかりと座り込み、私から取り上げてしまう。あんたはオカンか!
どうして猫ってこんなに口うるさいんだろう。
この話をしたら母は笑って
「あんたはシシィに飼われてるんだよ。飼い主だからえらそうに面倒みてくれてるんだよ」
と言った。
そうか。
私は猫を飼ってるつもりだけど、実は、猫に飼われているのか。
なんだか納得してしまった。
たしかに私は猫の下僕だ。
なんでも、そういうものなのかもししれない。
当たり前に思いこんでることも、実はぜんぜん、違うのかもしれない。
美しく見えているものが実は汚くて。
幸せだと思っていたことが実は不幸で。
確実なものなんかひとつもなくて。
この世界は実はあべこべなのかもしれない。
コメント
>美しく見えているものが実は汚くて。
幸せだと思っていたことが実は不幸で。
確実なものなんかひとつもなくて。
この世界は実はあべこべなのかもしれない。
だださんのブログはシェークスピア戯曲みたいですね。
秋霜烈日と信じるがゆえに秩序が整っていると信じている人々が
総じてずっこけた「賭け麻雀の場」はシェークスピアも墓の下で
ひっくり返っているかも。
果たしてこれは喜劇か悲劇か・・・。
恐れ入ります。
シェイクスピアに「綺麗は汚い、汚いは綺麗」ってありましたね。
若い頃は『真夏の夜の夢』や『十二夜』が好きでした。
人間も政治も、歴史も正義も、すべて見かけどおりのものなどないのでしょう。