G線上の母と私

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「どうしてこんな簡単なことができないのだろう」
と母が嘆いた。
2人バイオリンの練習をしているときだ。
私たちが今挑戦しているのは、バッハの『2つのバイオリンのための協奏曲』。小学生がつかうバイオリン教本に載ってる曲で、私も弾いたような覚えがあるし、母なんて「もうイヤというほど何回も弾いた」曲。

・・・なのに。
母はいつも同じところで間違ってしまう。
子供みたいに止まってしまう。

間違えるのは「ドレミ」のド。G線のド。
理由は明白で、母には半側空間無視、モノの左側を認識できない障害があるからだ。
バイオリンの左側、とくに一番左にあるG線が認識できない。
見えているのに、あることがわからないのだ。

 

「レ」の音なら隣のD線でも弾けるのだが、「ド」はどうしてもG線じゃなくちゃダメだ。だからどうしても「ド」で間違えてしまう。

楽譜上に「ド」があらわれると、私は薬指でG線を押さえて、母が弾いてくれるのを待っている。けれどいつも母は来てくれない。母の弓はG線を探してさまよい、見つけられずに、つい隣のD線を弾いてしまう。ブイーと変な音がでる。私の薬指はG線上でいつも待ちぼうけをくらう。

「また間違えた。」
子供なら、何回かやれば覚えることができる。ところが母の障害は逆だ。やればやるほど、練習すればするほど、わからなくなる。こんがらがってゲシュタルト崩壊を起こし、さっきは弾けた「レ」の音まで出せなくなる。

「どうしてこんな簡単なことができないのだろう。泣きたくなってきちゃった」
母は呟く。私はバイオリン教師なのに。プロなのに。もっともっと難しい曲をガンガン弾いてたのに。あんなに上手に弾けたのに。…今でも弾けるはずなのに。

「もうやめよう」
私は母からバイオリンを取り上げる。やればやるほど、練習すればするほど、悲しくなるだけだから。どうにもしてあげられなくて、私もイライラしちゃうから。
「今日はもうやめよう。コーヒーを飲もう」
気分転換!
大事なのは、美味しいものをたべて、笑うこと!

それから猫をモフモフすること!

ゲシュタルト崩壊をおこした母の弓も、明日はきっと元に戻る。
不可能じゃないんだ。今まで弾いたどの曲もそうだった。
ちょっとずつちょっとずつ、母の弓はG線に近づいていく。子供が学ぶ何倍もの時間をかけて、ちょっとずつ。
そうして、いつか私の薬指と母の弓がG線上で出会い、「ド」の音を奏でる時がくる。
いつかきっと、この曲も弾けるようになることを、私は知っている。

ちょっとずつ。
ちょっとずつ。
進みつづけよう。
母と私がG線上で出会う、その日のために。