猴硐の猫村は当然ながら猫グッズだらけだった。買わなかったけど。
・・・だって店の前に、めっちゃヤバい子がいるんだもん。
「ちゅーる! ちゅーるをくれええ!」
この客引き、ちょっと強引すぎない?
でも、よく見たら、この子・・・目ヤニが出ている。
身体も少し痩せている。
ほかの猫たちはカリカリを食べているのに、その子だけはエサ皿には近寄らず
「ちゅーるをくれ!」
と、ひたすらにせがんでいる。
ちゅーるは美味しいだけで栄養にはならない、あくまでもおやつだ。おやつばかり食べて、ちゃんとしたゴハン(カリカリ)を食べないから痩せているのだろう。
そこにはどんな理由があるのだろうか。生存競争が激しくて、弱い猫はゴハンを取られてしまい、仕方なく人間にちゅーるをねだっているのだろうか。
それとも、ちゅーるの麻薬作用にハマって中毒となり、普通のゴハンを食べないため栄養不良になったのだろうか?
どっちにしろ、ちゅーるの食べ過ぎはよくないと思った。
猫たちのほとんどは、いわゆる地域猫みたいな感じだ。まわりは山だし、外猫だからあんまりキレイじゃない子もいる。ノミでもいるのか、それとも皮膚病か、さかんに掻きむしってる子もいた。
たまに首輪をしている猫もいたが、そういう子は毛並みもつやつやだった。
仕方がないことだけど、これだけの猫がいれば自然と格差も生まれるのだろう。
それに、よく見ればこの村、だいぶレトロ感がでてきている・・・端的に言えば、古ぼけてきている。看板はハゲかけ、イラストや置物は色あせて。ブームとなったのが2009年、もう10年も前だからな。新しく工事してるところもあったけど。
この町は本当に猫で潤っているのか?
・・・は、わからないけど、とにかく猫たちは本当に幸せそう。
猫村を出て、駅の反対側へ行ってみる。
炭鉱跡や記念館がある。川沿いは気持ちのいい公園だ。
川辺を歩いていたら、おばあさんに話しかけられた。地元の人みたいで、杖をつきつきお散歩をしているところ。話かけられても当然、言葉がわからない。首をひねっている私を見て、
「日本人、ですか?」
おばあさんは日本語で言った。
「わたしは、日本語、国民学校で習いました」
日本統治時代の国民学校ですか。どうりで日本語がお上手ですね。
「ええ。83才です」
おばあさんは微笑み、次に、川辺を指差して
「この木、私が植えました」
と言った。
立派な木ですね!
「はい。30年前に植えました。大きくなった。夏になると、いい日陰になる。散歩をして、この木の下で座る」
それはいい木を植えられましたね。
ずっと猴硐に住んでおられるのですか?
「そう。ここは空気がいい。川。いい水がある。いいところ」
そうですね、と私は答えた。
83才のおばあさんは、この町でいろんなものを見てきたのだろう。日本の統治も、炭鉱も、国民学校も、炭鉱が閉鎖されてからのことも、猫で町興ししてからのことも。
「あなた、一人?一人できたの?」
そうです。ちょっと寂しかったから、話せて嬉しかったです。ありがとうございます。
「はい。また遊びにいらっしゃい」
おばあさんは杖をつきつき、歩いていった。短いがいい出会いだった。