「足るを知る」
という言葉がある。中国の偉人の言葉だ。
私はどうもこの言葉が好きになれない。たぶん、ちゃんとした意味がわかっていなくて、意味を勘違いしているのだろうと思う。
辞書で引いてみる。
「身の程をわきまえて、むやみに不満を持たない」
「身分相応に満足することを知る」
身の程ってなんだ?
身分ってなんだ?
このあたりがもうわからない。
無い物ねだりしなさんな、ってこと?
それとももしかして
「在宅介護してるんだから身の程をわきまえて旅行なんかしなさんな」
ってことなの?
中国の偉人はそんなにも冷たいこと言うの?
正確な意味がよくわからないものだから、言葉のニュアンスがなんとなく
「無理なことはあきらめて小さいことで満足してなさい」
「上を見るのは無駄だから現状で満足していなさい」
みたいに聞こえてしまう。それだと「向上心をもつのは愚か」になってしまうから、たぶん違うのだろうけど。
話は変わるけど。
今朝、庭にでてみたら、葉っぱにたくさんの水滴が浮かんでいた。
かつて私は旅先でいろいろな絶景を見た。
ウユニ塩湖の朝焼けや、アフリカの銀色の砂漠。
月に浮かぶヴェネチアや、夕暮れのタージ・マハル。
どれもすばらしかった。
でも、葉っぱのうえで光る雨粒も、同じように美しいと思った。
旅先でみた絶景が
「どうだ、俺様はきれいだろう!」
と威嚇してくるような美しさであるのに対し、葉っぱのうえの水滴は
「探してごらん、きれいな僕を見つけられるかい?」
と問いかけてくるような美しさだ。
種類は違うかもしれない。
でも、美しいものであることには違いがない。
ビクトリア瀑布にかかる虹も。
雨上がりの朝の庭も。
どちらも美しい。
世の中にはたくさんお金を出さないと手に入らないものが多い。
たとえばA5ランクのステーキとか。
私は食べたことないけど、きっとむちゃくちゃ美味しいんだろうな。
でも、昔おばあちゃんが作ってくれたお好み焼きも、むちゃくちゃ美味しいんだ。
現状に満足するんじゃない。
身の程をわきまえるんじゃない。
ただ、気づくかどうかだと思う。
今、自分が幸せであることに。
私は身分もないしお金もない。
でも、猫をひざに抱いているだけで、私はこんなにも幸せだ。
もっともっと幸せになろうと思う。
もっともっといろんなことをしたいと思う。
在宅介護してるけど旅行もしたいと思う。
やりたいことをやるよ。
欲張りに生きるよ。
足るを知ることなんてできない。
コメント
>私は身分もないしお金もない。
>でも、猫をひざに抱いているだけで、私はこんなにも幸せだ。
足るを知るって、そういう事と思います。
「もう充分持っているんだから、これ以上分不相応に望みなさんな」というより、上昇志向、出世欲、征服欲も素晴らしいバイタリティだけど、朝の小鳥のさえずりや朝露の光、どこまでも澄み渡った空、寄せては返す波音、鮮やかな朱に染まる夕空。
そんなものに触れるだけで満たされる思いになれることもまた充分幸せであると。
何処でもどんなものにでも幸福を感じ、足る事は出来る そういう考えは素敵ですよね。
そうそう、そうですよね!
多くの方がそういう意味で使っている言葉だと思うんです。
なのに辞書に書いてある意味は…身の程とかなんやねんと。
また辞書も変わるかもしれませんね。
私は欲張りなので足りてる感じはしませんが(笑)
どこにいても幸せにはなれると思います。