昨夜、『クローズアップ現代+』を見た。
普段はあまり見ないのだけど…身近な話だったので。
「“息子を檻(おり)に監禁” 父の独白」
重度の知的障害のせいで暴力をふるう息子を、その家族が檻に監禁していたという話から始まる。何度聞いても胸が痛くなる話だ。市に助けを求めても応じてもらえない。暴れて人を傷つける息子を家族はどうすればよかったのか。どうすれば守れたのか。
「だって、いくらダメだと言い聞かせてもダメなんだから!」
と父親は言っていた。
きっと、周りから言われたのだろう。
なんにもしらない赤の他人に
「監禁なんかしなくても、穏やかに話せば…」
穏やかに言い聞かせてわかるくらいなら苦労はしないのだ。
重度障害ってそんなに甘くない。
てんかん発作みたいなもので、なだめてもすかしても通用しない時がある。そういう時は外部の人に被害が及ばないよう、全力で抑えつづけなくちゃいけない。家族は満足に眠ることもできない。
もしかしたらこの父親は、あまりのつらさに耐えかねて、息子を殺しちゃいそうな気がしていたのかもしれない。自分から守るために息子を檻に入れたのかもしれない。ほかに方法がわからなかったから。
事件が発覚し、監禁事件として警察が入ってはじめて、息子はようやく施設に入ることができた。
次はもっと苦しくなる話だった。
32才の男性。
父は病死、母は6年前に家出。
弟と2人で暮らしている。
弟は重い知的障害と自閉症、他人と話すことは難しい。ハンマーを持って壊してまわるため、家は廃墟のようにボロボロだ。天井も壁も床もすべて剥がされ、その部屋には家具ひとつないように見えた。警察のお世話になることも。
兄は働きながらも必死で闘っていた。他人に迷惑をかけないように、弟を守るために、必死で、全力で。
「幸せなんて考えたこともない」
「自分の人生を取り戻したい」
市に相談した。
無駄だった。
「地域で問題なく暮らしている」
とみなされた。
そのために兄が自分の人生を犠牲にしていても、問題とはみなされない。
兄はうつ病で入院した。
保護者がいなくなったため、弟は施設に入ることができた。
「障害者だって人間だ。」
煽るような文句が画面に映し出される。
私は思った。
「家族だって人間だ。」
私たちは奴隷じゃない。
家族だからって犠牲になんかなりたくない。障害者の人たちだって、家族を自分の犠牲にしたいとは思わないだろう。
話は変わる。
今日、『花さき山』という絵本を読んだ。
とある山に美しい花畑があった。その花は「自分を犠牲にして(我慢して)優しいことをする」と咲く花だった。花畑は美しく描かれている。美しいがせつない花だ。
この話に、私は昨夜みた兄の姿を思い出した。弟のために自分を犠牲にしてうつ病で倒れた兄。彼はたくさんの花を咲かせたのだろう。
でもそれは本当に美しい話だろうか。
そんな花を咲かせていいのだろうか。
私は咲かせたくない。
彼だってきっと咲かせたくなかっただろう。
それは血の涙を吸って咲く花だ。
あまりにもつらすぎて、きれいだなんて思えない。
もちろん障害をもつ人たちは悪意があって暴力をふるうわけではないし、家族を傷つけたいわけじゃない。彼らだって同じくらい、つらいのだと思う。なのにどうしてもそれを止めることができないのが障害なのだ。
監禁されていた息子は施設に入ることで落ち着いてきたらしいとどこかで読んだ。家族と離れ、施設で暮らすほうが幸せな場合だってあると思う。我が家がそうであるように。
我が家の場合、母が倒れてすべてが私の肩にのしかかってきたとき、
「みんなで助けるから!」
と言ってもらえた。大勢の人たちが妹の介護を引き受けてくれた。大勢の人たち・・・それは障害者の家族団体や、介護事業所や、仲のいい元ヘルパーさんだった。
市に相談することはあんまりなかった。
だって市が介護施設を運営してるわけじゃないもん。
母はいつも言っていた。
「できるだけたくさんの人を巻き込むのが肝心!」
いろいろな人に相談して、たくさんの人に助けてもらえる環境が、介護には必要だということだろう。味方は多いほどいい。「家族のために頑張らなくては」と一人で背負い込み、「花さき山」に花を咲かせつづければ、いつかは残酷な結末にたどり着いてしまうから。
本日の猫写真。
シシィの猫パンチが首輪にからまって困ってる図。
この次の瞬間には取れましたが、シシィさんだいぶテンパってました。
コメント
考えさせられる内容で、何度も読み返しています。そしてだださんの文才に感心しています。
ありがとうございます。
私はすぐに感情的になってしまうので困ります。
そのくせいつも大事なことを書きそびれているような気がしています・・・。
だださん、こんばんは。
私にも、知的障害の兄がいます。
母が脳出血で倒れ介護が必要になったときに、兄はグループホームに入ってもらいました。二人を介護することがしんどかったからです。
私の精神状態も、そのときは最悪でした。
だださんも書いてらっしゃるように、
家族のことだから…と背負い込んでしまわず、たくさんの人に、助けて!!!と言いまくることも大事なことだと思います。
こんばんは!
ようこさんは私とよく似た経験をされたのですね。
お互い、入ってもらうことができて、よかったですね。
助けを求める相手が多ければ多いほど、誰かが助けてくれる確率はあがります。
一般的にそれは女性のほうが得意なんだそうです。
社交性の問題なのか責任感からか、男性は助けを求めるのが下手で、一人で抱え込みがちなのだとか。
介護殺人も男性が多いようです。
知的障害、自閉症の息子の母です。同じように困り果てています。行政には何度も窮状を訴えていますが、事件にならない限り動いてもらえそうにありません。もう親子心中しか、道はないのでしょうか。
一口に障害者と言っても、一括りにはできません。障害の重さという尺度よりも、暴れて人に危害を加える怖れがある、介護困難があるというのが、一番大変だと思います。
障害者総合支援法は、弱者切り捨ての悪法に思えてなりません。
この法律が施行されて、
1. 地域生活(家庭、グループホーム)の枠組みでは支援が困難な障害者までも、
十把一絡げに地域生活を強いられる。
2. 施設数が圧倒的に不足
3. 障害者の施設は流動性が低く、空所が出にくい
(保育所のように成長、老人施設のように入院・死亡による”空き”が発生しにくい)
4. 施設の新設・増設の許可がされにくい
5. 施設による入所者選別(最困窮層が見捨てられている場合あり)
ユタさん、こんにちは。お返事が遅くなってすみません。
どうお返事すればいいのかずっと考えていました。
以前にも、暴力と暴言があるためいくつもの施設を追われ、途方にくれておられるご家族がいらっしゃいました。
薬もきかず施設もだめでヘルパーさんにも断られたと。
現在の制度では本当に必要な人に助けはこないのでしょうか。
権力のある人にお願いしらなんとかなるのでしょうか。
よその国ではどうしているのでしょうね…
自立支援法に関しては不勉強で申し訳ないですが。
>十把一絡げに地域生活を強いられる。
なんでもかんでも在宅に向かわせようと言う方針は本当に無理があると思います。
一体誰が見るんだよっていう…
私の妹も結局は一般的なグループホームでは無理でした。
重度重複障害者のための入所施設は、高齢者施設に比べて本当に少ないですね。
うちも近所にいい施設がなかったため、
「高齢者ばっかり!」
と母はよく愚痴っていました。
愚痴りながら自分で作ろうとしていました。
母が活動していた頃とくらべて、今は主婦も働く時代ですから、親の負担は激増していると思います。
ユタさん、大変だと思いますが、くれぐれもお体大事になさってください。