登校拒否をしていた頃の私へ

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まだまだ酷暑は続くのに、夏の終わりが近づいている。8月が終わる。もうすぐ9月がやってくる。そのせいだろう、メディアでは登校拒否や引きこもりの話題をよく見かける。この季節は子供の自殺が一番多いのだという。

そういえば私も登校拒否をしていた。中1のとき数ヶ月だけ。イジメとかじゃなく、純粋に学校そのものが嫌だった。起立性調節障害という病気もあったが、昔のことだから理解されずに怠け病だと思われていた。

先生たちが数人、二階の部屋までドカドカ上がってきて、腕ずくで引きずって行かれたっけ。階段の柱にしがみついて抵抗したけど、男の先生もいたから敵わなかった。「大人の力に負けた」というのは今でも悔しい思い出だ。なにかこう、一発くらい反撃してやればよかった。犬のウンコ投げつけるとか。

母はあの頃からよく言っていた。
「楽しいと思えばなんでも楽しくなるものよ」
って。
アホかと思った。
私にとって学校は地獄で、地獄なんか楽しめるわけないから登校拒否してるのに。
「つらいことも、いつか良い思い出になるよ」
とも言われた。
『いつか』って、いつ? あれから30年が経過しているが一向に良い思い出にはなる気配はない。
「たかが学校くらいで」
と大人は思うのだろうが、学校に行けば私の心は死んでしまう。殺されてしまう。私は死にたくなかったのだ。登校拒否は自衛の手段だった。

母は学生時代、超リア充だったらしい。そんな人に登校拒否児の気持ちなんか分かるわけがない。母は困ったと思う。ずいぶん苦労をかけた。ごめんなさい。

子供の頃の私は、今とはかなりキャラが違っていた。体が弱く、陰気で消極的でウジウジしてて、いつも受け身だった。あの頃の私が今の私を見たらびっくりするだろうな。
「うっわ、アホな大人になってる!」
って。
しかも、母と同じように能天気になっちゃうなんて。
しかも、母といっしょにバイオリンを弾くなんて!
・・・人間って変わるなあ。

今の私はコレくらい能天気

日本は同調圧力が強すぎるため、一度ドロップアウトしてしまうと「普通」に戻ることが難しい。それが怖いからみんな躍起になるのだろう。「みんな違ってみんないい」なんて今の日本ではファンタジーに過ぎない。

あの頃の自分にもし言葉をかけるとしたら
「学校なんか行かなくてもいいよ、大丈夫だから、登校拒否がんばれ」
って言うかな。「先生に犬のウンコ投げてやれ」って言うかも。

私はアホな大人になっちゃったけど、それでも毎日幸せです。

コメント

  1. 初めまして。
    私の娘(25)もイジメに遭い不登校でした。娘の苦しい状況が解った時、「学校に行かなくていいよー。」と腹をくくりました。それでも娘が登校してイジメられた時、ガマンの限界に達し、イジメた子とその親を呼び出して先生方の前でイジメないことを約束してもらいました。私は心で(ナメたらあかんで!)と叫んでいました。

    • はじめまして!
      娘さん、ご苦労されたのですね。
      でも安さんのようなお母様がいらっしゃって良かったですね。
      イジメっ子とその親を〆ちゃうなんて頼もしい!
      うちの母も「行かなくていい」って言ってくれる人だったらよかったのになあ(笑)