忍耐強い日本人

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日本人は忍耐強いとよく言われる。称賛に値すると。

私が子供の頃、巷にはスポ根マンガがあふれていた。神社の階段をうさぎ跳びするようなマンガ。
テレビのCMでは
「努力、根性、義理・人情!」
と歌いあげていた。
教師による日常的な体罰は愛のムチと呼ばれていたし、部活のシゴキによって根性を鍛えられることが重要視されていた。
心も体も弱っちかった私はよく大人たちから叱られたものだ。
「逃げたら負けだ!」
「頑張れば夢は必ず叶う!」
「楽な方を選ぶな!」

大人になった私が勤めたのはいわゆるブラック企業。ブラックだとわかっていても長らく辞められなかったのは
「逃げたら負けだ!」
と本気で思っていたからだ。
根性論は自己犠牲の美学にも通じるところがあって、
「自分ひとりが耐えれば仲間が楽になる」
とも信じていた。今考えれば「根性のある自分」に酔っていたのだろう。
限界まで耐えて耐えて耐え忍び、体と心がポッキリ折れて退職したときには
「自分に負けた」
と思い悩んだ。アホだなあと思う。忍耐する場所を間違っていることに気づかなかった。

忍耐強いって、そこまで称賛されるべきことだろうか。
根性って、そんなに大事なものだろうか。
自己犠牲って、本当に美しいのだろうか。
仕事に埋もれていた頃の私はただのMだったんじゃないだろうか。

もうひとつ日本人の特性に同調圧力というものがある。
みんなと同じ「普通」でなければいけないという恐怖感。
こうあるべき「常識」という暗黙の圧力。
異端者は叩かれ、自分の意見をいえば潰される。

たとえば今でも一部の人たちは「家事は女がするもの」「育児は母親がするもの」「介護は嫁がするもの」と決めつける。それが普通で常識だから。
やれと言われて彼女は頑張る。
「これくらい、みんながやってることなんだから」
と耐えて頑張る。
「逃げたら負けだ」
と根性で頑張る。
「自分ひとりが我慢すれば家族は幸せになれる」
と思って頑張る。
この頑張りは本当に必要だろうか。
自己犠牲によって家族は本当に幸せになれるのだろうか。

頑張ることは、耐えることでなくていいと思う。
頑張ることは、前へ進むことであってもいいと思う。

念の為いっとくけれど、私はスポ根マンガも読むし部活ではある程度の厳しさは必要だと思う。根性って言葉も嫌いじゃない。我慢して、根性だして、踏ん張らなくちゃいけないときが、人生には必ずやってくる。

ただ、何事にも良い面と悪い面があるし、限度ってものがある。みんながみんな同じように、強制的に、かつ無駄な根性をだす必要はないと思う。

自分を追いつめるような根性なんか、なくてもいい。
不幸を無理に我慢しなくてもいい。
みんなと同じでなくてもいい。
夢をあきらめてもいいし、忍耐強くなくてもいいし、ときには自分から逃げたっていい。

もっと楽しんでもいい。
もっと幸せになってもいい。
もっと自分を大切にしてもいい。
もう少し気楽に暮らせる世の中に・・・なればいいなあ。

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