気まぐれな言葉

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近頃、言葉に悩んでいる。
書き言葉だ。

たとえば漢字かひらがなか。
「一人」か「ひとり」か。
「分かる」か「わかる」か。

たとえばうちの妹は、
「障害を持つ」のか。
「障害がある」のか。

どっちでもいいようで、全然よくない。

「一人」はただの数だが「ひとり」は寂しい。
「分かる」は白黒はっきり分かればいいが、「わかる」ためには理解が必要だ。
障害は自分で選んで「持つ」ものではないが、「ある」と形容されるのが嫌だと言った人もいた。

私はすごく気まぐれだから、統一性もルールもなく気分によっていろいろ変わる。これではいかんなあと思う。

と、思っていたら!
それどころではなくて!

電話をかけるときの表現として
「相手の番号をまわした」
と書いた。そしたら若い人に
「黒電話ですか」
ってツッコまれたのだ。
・・・あれ? 『番号をまわす』って今は言わないの?

私は『チャンネルを回す』と同じくらい、慣用語として根付いてるもんだと思いこんでいたから、同世代の何人かに尋ねてみた。そしたら

「言わないね」
「うん、言わない」
「せめて『押す』じゃないかな」
「スマホのどこを回すいうねん」
「チャンネルも回さへんやろ!」

全面否定された。
どうやら私は二十世紀に取り残されていたらしい…。

これではいけない。
時代錯誤な文章を書かないように頑張らなければいけない。
昭和のおばちゃんやけど、回さずに押すわっ!

「スマホだともう押すことすらないよね」

ああ、言葉はこの先どう変わっていくのだろう。

本日の猫写真。

猫の言葉は世界共通ニャ!

コメント

  1. だださん こんばんわ。

    書き言葉の選び方は本当に奥が深いと思います。
    本を読むと一度目は流し読みをしても、二度目はたった一つの単語が引っ掛かってページをめくり直してしまうほど 話の見えかたがガラリとかわってしまうものです。

    書き方の違いで読み手が感じる空気も味も臭いも変わってくるところが日本語の素晴らしさだなあと感じます。
    だださんの表現はしっかりと伝わってきていますよ。
    沢山の文章に触れることで 自分の心の豊かさにも繋がると感じています。

    今 私は江戸時代の物語を読んでいて、頭のの中の言葉がおかしな事になっています…。

    いつも読みごたえのあるブログありがとうございます

    • こちらこそ読んで頂いてありがとうございます。
      tomoさんは読書家でいらっしゃるのですね!

      >書き方の違いで読み手が感じる空気も味も臭いも変わってくるところが日本語の素晴らしさだなあと感じます。
      本当にそうですね。
      話し言葉だとイントネーションや表情で伝えるべきニュアンスを、書き言葉でどう伝えるか。
      そのひとつが仮名の使い分けだと思います。
      本当は統一するべきなのでしょうが、私はすべて気分で書いてるので
      「今日は漢字の気分!」
      「でもこっちは平仮名の気分!」
      と、まあいろいろです。
      文字は心ですね…。

      時代小説はカタカナ語が出てきませんし、きれいな日本語を感じられる作品が多いですよね。
      私は近現代の文豪の作品を読むと影響されておかしなことになります(笑)