母の用事で神戸へ行った。
用事が終わるのを待つあいだ、私はひとりで楠公さんを詣でた。湊川神社だ。
日曜日だけあって、七五三の子供たちや結婚式の人たちでにぎわっていた。白無垢の花嫁さんはとてもきれいだった。ひさしぶりの青空の下、みんな幸せそうだった。
奉納された絵馬のひとつに、こんなことが書かれていた。
「すべての人が、今を正しく生きられますように」
今を正しく生きる、か。いい言葉だなあと思った。でも難しいんだろうなあ、とも。
今やっていることが正しいか正しくないかなんて、どうやったら分かるのだろう? 「これが正しい」と決めて進んでも、ずっと後になって「やっぱり間違いだった」と知る。間違いとまではいかなくても、「本当に正しかったのかな…」「これでよかったのかな…」と悩んだり、後悔したり、うだうだする。だいたいみんなそんなもんじゃない?
こないだ読んだ本にこんな言葉があった。
人間って、毎日毎日いろんなことを考えて、いろんなものに憧れて、曲がりくねってるものなんです。(中略)でも僕は思うんです。曲がりくねることは、大事なことです。
(道尾秀介『カササギたちの四季』)
曲がりすぎてUターンしちゃってるかもしれない私でも、悩むことあるし後悔したりうだうだする時もある。ただ、なにしろ気が短いからいろいろ考えるのが面倒になって「まあ、いっか」でやめてしまう。
車のCMで高畑充希が
「私、前だけ見て頑張れっていう人、無責任だと思うの」
という台詞がある。あれ聞くたびにズキッ! とする。
正しいか正しくないかは、どうでもいい。後悔してもかまわない。正確にいえばだいたい全部のことに後悔してる。でも間違っていることに気がつけば、曲がりくねって戻ればいい。私には便利なパノラマモニターなんかついてない。後ろを眺めてる余裕なんてない。めんどくさいから今は考えない。後悔するのはあとまわし。無責任でごめんな!
(フィッシュアイレンズ使用。指が入っちゃった)
パノラマモニターはついていないけど、すごい注意書きがついてるバイクを発見した。
「高齢 危険」のインパクトと「BABY on BOARD」の矛盾。で、どこに赤ちゃん乗せる気なんだろう?
本日の猫写真。サンジと見つめあいつつ一枚。