障害者よ外へ出よう、と呼びかけていた母の言葉

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ニ十年くらい昔のこと。妹の車椅子を押して近所のスーパーへ行ったら、見知らぬおばちゃんがジロジロ見てきた。そしてすれ違いざまに
「きもちわる!」
と言い捨てた。

当時は車椅子そのものが珍しかったこともあり、ジロジロ見られるのなんていつものことだったが、さすがに「気持ち悪い」はショックだった。

たしかに妹は脳性麻痺で、首がぐらぐらと座らないし、手足がつっぱっているし、斜視だし、ガリッガリだ。でも、妹はそのとき花の女子高生。常盤貴子に似ているといわれていたし、服だって可愛いものを着ていたのに。

気持ち悪いはないだろう!
と言い返してやりたかったが、
「放っとき」
母に止められた。
「これくらい、いちいち反応してたらキリないよ。そんなことしてたら、しんどくなって、家から出られなくなるよ。ねえ、優子?」
妹は車椅子の中でニヤニヤ笑っていた。

差別は一部、本能からくるものじゃないか思う。人間も動物だから、自分と違うものやよく分からないものを恐れ、拒否する本能があるのかもしれない。とくに日本人は
「みんなと同じ」
であることを良しとし、異端は排除しやすい傾向にあるから。

初対面の人には目からの情報がほとんどだから、見た目にインパクトがある障害は不利だ。顔や全身におよぶ障害は隠したりごまかしたりできない。

「ブスは3日で慣れるっていうでしょ。要は慣れなのよ。障害者がどんどん外に出て、街中にいっぱい障害者が歩いてたら、それが普通になって、いつか誰も気にしなくなるよ。だから、障害者よ外へ出よう!っておかーさんはいつも言ってるの」

それが母の目指すところだった。お互いに慣れて理解をするためには、障害者が外に出ることが大事なのだと。(まだ田舎の方では座敷牢みたいなものが残っていた時代だ!)

母はまた、こんなこともよく言っていた。障害をもつ子たちが世間の人たちに慣れてもらい、そして手助けをしてもらうためには、
「上手にじょうずに言わないといけないよ」
と。
「怒らせちゃったら、手伝ってもらえないじゃない! 和をもって貴しとなすのよ」
たしかに元気な頃の母は、和して同ぜずのプロだった。母の口車笑顔にのせられて、たくさんの人が助けてくださったものだ。笑顔とありがとうの言葉には魔法のような力があった。

この二十年のあいだにバリアフリー設備がすっごく増えて便利になった。高齢化がすすみ町中で車椅子を見かける頻度が爆発的に増えたからだと思う。車椅子だからってジロジロ見られることなんて、ほとんどなくなった!

すごくいいことだと思う。いい方向に向かっているはずなんだと思う。『バリバラ』っていうすごい番組もあるし、テレビのドラマとかで障害者とかでてきたらいいのになーって思う。そうすればきっと、世間のひとたちはもっと見慣れてくれるんじゃないだろうか…。