私と母の2人バイオリンは、3年前から、子供中心のオーケストラの演奏会に参加している。かつて母がバイオリン教師だったときにつくったオーケストラだ。
3年前、初めて参加したときは1曲しか弾けなかった。
去年はすごく頑張って、3曲も弾いた。
今年はもっと頑張ろう!
・・・と、思ってたんだけどさ。
うまくいかなかった。
今年の曲は、去年のヴィヴァルディよりずーっと難しい。
そこに高次脳機能障害の壁が立ちはだかった。
左側が見えない。
音符がうまく読めない。
繰り返しがわからない。
いろいろ試したけれど、モーツァルトはどうしても楽譜を読むことができなかった。
この曲は難しすぎるのだ。
私たちはモーツァルトをあきらめ、バッハのコンチェルトに賭けることにした。
楽譜はギリギリまで拡大コピーした。
色をぬった。
音符の読み仮名を書いた。
私たちなりに工夫を重ね、練習してきたつもりいだ。
それでも。
ダメだった。
今日、オケの全員がそろった合同練習で、母はほとんど弾けなかった。
間違ったとかそういうレベルではない。
弾けないのだ。
普通の人にとってはそんなに難しい曲ではないが、傷ついた母の脳は休符を読むことができない。
1小節休みとか。
4小節休みとか。
一旦、音がとぎれると、次にどこで入っていいかわからない。
私が必死でカウントしたり合図を出すんだけど間に合わない。
「あ、あ、弾かなくちゃ」
うろたえてる間に次の休符がやってくる。
みんなが弾くのをやめてから母はようやく音をだそうとする。
私は慌てて母を抑える。
一曲ずっとそんな調子だった。
まともに音を出すことはほとんどなかった。
予想以上にテンポの速い曲だった、ということもあるし、練習不足も否めない。
でもそれ以上に「母には向いていない曲」なのだと思う。
休符がこんなになければきっと弾けるのに!
本番までもうあと一週間しかない。
高次脳で「周囲に合わせる」ことが難しい今の母が、あと一週間でリズムをあわせて弾けるようになるのは不可能だろう。
帰りの車で母は無言だった。
大丈夫?と声をかけると
「うん、凹んじゃった・・・」
と言われた。
なんでこんなに簡単なことができないのだろう?
子どもたちでさえ弾いているのに。
私は先生なのに。
こうなることはわかっていた。
障害のある人はみんな経験していることだと思う。
昔、重度障害をもつ妹が小学生の頃、「座る練習」をしていた。
いっしょうけんめい練習して、少し上手になってきた頃に、知り合いが子供をつれてきた。
小さい小さい赤ちゃんだった。
その子は妹のとなりで同じように座っていた。
覚束ない姿勢で「座る練習」をしている二人は可愛らしく見えたし、妹も
「さやかちゃんとお座りする」
と喜んでいた。
ところが健常児は成長する。
次に会ったとき、赤ちゃんは自分ひとりで座れるようになっていた。
その次に会ったときは立てるようになっていた。
次には歩けるようになっていて・・・
妹はひとりで、いつまでも、座る練習をしていた。
あのときの妹のせつない顔と、母の「へこんじゃった」が重なるようだった。
母が落ち込んだとき、私は甘いもので気を紛らわせることにしている。
こんなこともあろうかとクリームブリュレを用意してるんだよね。
母の好物・クリームブリュレ。
手作りだからおいしいよ!
と言ったら母は
「私はクッキーのほうがいいな」
・・・なんで断るのか・・・。
こんどは私が凹んじゃって、クリームブリュレはひとりで平らげました。