世界は明日、滅ぶかもしれない。

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世の中がやけにきな臭い。連日、北朝鮮とアメリカの挑発しあう言葉がニュースに流れ、戦争が始まるかもという恐ろしい話になっている。

「北朝鮮が25日にミサイル発射してくるかもだって!」
私と母も昨夜そんな話をした。もちろん冗談まじりに。
「明日はどうする? ミサイル怖いから家にいる?」
すると母はこう言った。
「核爆弾がとんできたらどこにいても同じじゃない? どうせなら遊びに行こうよ」
世界が終わるその日まで、母は楽しむことを諦めない。戦争がなくたって、人間いつ死ぬか分からないから。生きてるあいだは精一杯、楽しんでやろう。

ということで私たちは今日、花畑を見にいくことにした。

淡路島の「明石海峡公園」。パンとコーヒーとお菓子を持ってって、花畑を眺めながらピクニックランチだ。花の香りがすばらしかった。写には撮れなかったけど、花畑の向こう側には海が広がっている。

 

この公園を選んだ理由は、ネモフィラが咲いていると聞いたから。


(左上に母がいます)

世界は明日、滅ぶかもしれない。戦争なんかなくっても、私は明日死ぬかもしれない。人生何が起こるか分からない。そう考えたとき、何をしておきたいかって考えたとき、私は

「ネモフィラの花畑を母と見にいきたい」

と思ったのだ。

『自分の人生を楽しむブログ』
って私はサブタイトル書いてるけど、結局、今の私がやりたいことは「母と一緒に」なのだ。在宅介護をはじめる前は趣味もいろいろあったはずなんだけど、今はなんかもう忘れちゃったよ。だって不可能なことを追い求めても仕方がないから。

だからって共依存になってはいけない。私ひとりで没頭できる何かが必要だとも思う。何かおもしろいことを、考えていかなくっちゃ。

「きれいねえ、きれいねえ、これがネモフィラっていうの?」
母は何度も同じ言葉をくりかえして花の名前を覚えようと試みていた。
それから、どういうわけか
「あれにのりたい!」
と言って私を困らせた。
「でもおかーさんは無理やから、あんた一人で乗っておいで!」

・・・白鳥さんの足漕ぎボートに私独りで乗れと!?

コメント

  1. ネモフィラの群生。きれいですね。
     
    パッと見。「オオイヌノフグリ」(変な名前でしょ)かと思いました。
    金沢の公園の道端に生えていました。かわいい花です。
     
    「ネモフィラ」と「オオイヌノフグリ」は似てませんか?
    ネットによると科や属もまったく違う植物だそうです。
     
    「季節の花がこれほど美しいことに歳を取るまで少しも気づかなかった。」
    「一番美しい景色は、あなたと一緒に見る景色だ。」
    好きな言葉です。
     
    >生きてるあいだは精一杯、楽しんでやろう。
    同感!賛成!

    • 「オオイヌノフグリのでかい版?」って妹にも言われました(笑)
      たしかによく似ていますねえ。
      オオイヌノフグリという名前を知ったときは思春期だったので動揺した記憶があります(笑)。
      ネモフィラの和名は「瑠璃唐草」だそうです。
      ネモフィラのほうが色が淡く、数が多いせいか良い香りがします。

      >「一番美しい景色は、あなたと一緒に見る景色だ。」
      >好きな言葉です。
      ロマンチックー!コッシーさんにぴったりですね。

  2. そうですとも、いつだって明日は何が起こるかわかり
    ませんよね。
    できる範囲でという制約はつくけれども、生きている間は
    精一杯に異議なしです。
    60手前の母を20直前に見送って以来(遅~く生まれ
    た末っ子)、そのつもりで過ごしてきました。
    やれやれといった顔で家族や友人達が驚かなくなった年月
    をあとにした今、悔いはなけれど、正直なところ
    いささか疲れアリ、当人比でかなり大人しくなりました
    よ?(笑)

    • お母様、若くして亡くなられたのですね。
      ロコさんもいろいろあったのですね…。
      >当人比でかなり大人しく
      かつては大分はっちゃけていらっしゃったのでしょうか。
      私は好きなことばっかりやってきたので、学生時代よく
      「あとで後悔するぞ」
      と教師に脅されていました(笑)。
      どうせ後悔のない人生なんてありませんし、楽しいほうが良いですよね!

  3. はい、ありましたっ、いろいろと(笑)
    母の病は、抗がん剤や放射線治療がない時代の今でいうスキルス
    性がんだったと思います。
    婿養子のくせに関白で、おまけにめっちゃ経済観念希薄な父を
    表向きは立てながら家業を切り盛りする一家の支柱だったん
    ですが、老後の安らぎを味わうことなく逝ったあと、
    つくづく噛み締めた思いが、生きてるうちに、でした。

    私がはっちゃけていたのは、病的ともいえる引越し分野です。
    何だかんだ含めて、トータル20回を超えます。
    下の子が小学生になるのを待って社会復帰を企て、業績次第で
    可及的速やかにリストラ・増員を繰り返す外資でしか
    正社員になれなかったため転職回数も加わり、
    まーたかいな! アドレス帳のあなたの欄はもう何がなんだか
    判らん、と周囲にぼやかれました。
    引越し魔人はボンビーになる、これはマコトです笑)

    • やはりたくさんご苦労されてきたのですね。
      それにしても引っ越し20回以上とは凄いパワー!
      葛飾北斎みたいですね!
      私は子供の頃に1回しただけです。
      環境が変わると気分も変わってちょっと楽しそうに思うのですが、たしかに手間もお金もかかるでしょうねえ(笑)

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